塾の高校生に指数と対数について講義したときに、少しその歴史などを調べて話してあげた。

ドイツ人のミハエル・シュティーフェル(1487~1567)が著した『算術大系』に、
1,q,q^2,q^3…q^(n-1)
という「幾何数列」(公比qの等比数列)において、たとえば、
q^2×q^3=(q×q)×(q×q×q)=q×q×q×q×q=q^5
つまり、指数(冪:べき)の2と3の和が成り立つことが書かれている。
一般に
q^m×q^n=q^(m+n)…①
q^m/q^n=q^(m-n)…②
などと書けるわけである。

しかし、②の場合、一つ困ったことが起こる。
m<nの場合である。
指数が負の数になるわけで、その場合の定義として
q^-n=1/q^n…③
が必要となる。
もちろん、m=nのときにも、
q^0=1…④
の定義が必要であろう。

そうすると等比数列の各項は公比qの累乗であることがわかる。
さらにその指数の数列は等差数列であることも理解される。
シュティーフェルは指数が整数の場合しか考えていなかったのである。

対数の概念と自然対数の底(てい)を発見したスコットランドのジョン・ネイピア(1550~1617)はシュティーフェルの指数の考え方を連続したものにまで拡張するという、たいへん難儀な問題に取り組んだのである。
それがついに対数という、大変大きな数字を扱う際に便利な算術に到達させることになった。
ネイピアの信念は「数の掛け算や割り算は、その指数の足し算と引き算と等価だ」という一点だった。
この考え方が元になって「計算尺」という素晴らしい道具を人類は手にするのである。
ある数のn乗は、その指数をn回足すことに等しい…ということだ。
そしてまた、ある数のn乗根を求めることは、n回続けて引くことだから、nで割ることに等しいのだとも言える。

q^(m/n)=n(q^m)…⑤
qを「底(てい)」というが、連続した指数の間を埋めるには底を十分小さくするか、⑤のように分数の指数を定義するかの二通りの方法が考えられる。

ネイピアは残念ながら分数の指数を利用する考えを持っていなかったので、十分小さな底を利用するほかなかったのである。
ネイピアは試行錯誤の結果「1-10^-7=0.9999999」という底を使ったらしい。
その意味は、われわれには理解しがたいが、どうやら、彼は小数を使うことを嫌ったからだと言われる。
ネイピアの時代に小数という概念は、あまり普及しておらず、計算しにくいものだった。
先に「0.9999999」という底を書いたが、これは今の時代だからそう書けるのであって、ネイピアにとってはあくまでも「1-10^-7」であったのである。
ネイピアにとって「1に最も近い数」としてこの数が採用されたのだった。
想像するほかないが、ネイピアは、今のお金の計算で1ドルを100セントに分けるような感じで、単位円の半径を10^7個に分割して、三角法を使ったらしいことがうかがえる。
1から10^7分の1を引く(10^-7)と、この考え方の中で1に最も近い1より小さい数が得られるので、これを公比として、ネイピアはうんざりするような引き算を繰り返すのだった。

ネイピアは二十年を要して、膨大な対数表をこしらえ、世に問うたのである。
世界は彼の業績を絶賛した。
ヨハネス・ケプラーはネイピアの対数表によって惑星の軌道を計算し、大成功を収めるのである。
また遠く中国にも瞬く間に「対数」は到達し、中国の科学技術に多大な影響を及ぼしたのだった。
ネイピアの偉業はヘンリー・ブリッグズ卿に引き継がれ、10を底とする対数表に改良されて現在に至っている。
ブリッグズ卿は、
log1010=1=10^0…⑥
という「常用対数の定義」を提案したのである。

ネイピアにはもう一つ大きな業績がある。
それは「小数点の導入」である。
これによって整数部と小数部に分けて計算をしやすくしてくれたのだった。

イングランドに住んでいたブリッグズ卿は、スコットランドにわざわざ晩年のネイピアを訪ね、その邂逅に感激し、
「わかってしまえば、簡単なことなのに、閣下が思いつくまでだれもそのことに気づかなかった」と讃えたのだった。
のちにレオンハルト・オイラーをして自然対数の底が定義されるも、この数の近似に最初に到達したのはネイピアその人であり、その功績をたたえて自然対数の底を「ネイピア数」と呼ぶことがある。
※自然対数の底を「e」とするのはオイラー(Euler)の頭文字を取ったものであり、複利計算で出現する(1+1/n)^nの極限値としてeが2.71828…という無理数であることに到達したのはヤコブ・ベルヌーイであるらしい。

ネイピアは、大きな桁の掛け算や割り算を仕事にしていたわけだが、その際「ネイピアの骨」と後世の人が呼ぶ計算器を考案して使っていたようだ。
我々日本人は算盤(そろばん)を知っているのでこの器具を使うことはないが、なかなかよくできていて、ネイピアもこの器具で相当仕事がはかどっただろうと推測できる。
もし彼に算盤があれば、対数表製作のスピードアップに貢献しただろうと思う。
算盤が寺子屋などで日本で普及したのは江戸時代中期、18世紀ごろだったからネイピアよりもずっと後だった。
日本の算盤自体は織豊時代に実生活で使われていたらしいから、ネイピアの生きた時代と重なる。