サンケイ新聞社出版局からかつて出されていた「バランタイン版第二次世界大戦ブックス」は、第二次世界大戦がいったいどのようなものだったのかを知るうえで有用な書籍でした。
米英人による取材が中心の叢書で、その分け隔てない取材は、もちろん日本の軍人や政治家にも及んでいます。
客観的にあの未曽有の世界大戦をふり返るには、かならず手に取ってほしい本なのですが、残念なことに絶版になってしまいました。
私も、これだけは所有しております。
バランタイン版第二次世界大戦ブックス
もっと出版されているのですが、古本屋にいかないと手に入らないでしょう。
入手は可能です。そんなに高値はついていません。
好事家には、あまり値打ちのない本なのかもしれませんね。

この日本語訳を出版するにあたって、中野五郎という人が監修されているのが注目すべき点でしょう。
中野氏は東大法学部卒、朝日新聞社に十八年の長きにわたって記者として勤務されました。
この十八年間は、日本が戦争に突入していく時期と重なります。
そしてなによりも1942年まで野村・来栖両大使一行とアメリカにいらっしゃった。
日米が開戦し、日本の駐米大使たちは交換船で帰国しますが、中野氏もそこに同行して帰ってこられました。
中野氏の監修の言葉を引きます。
「日本軍が一九四二年八月から六ヵ月にわたり、ガダルカナル島で悪戦苦闘していたとき、ドイツ軍は、スターリングラードで血戦死闘をかさねていた。また日本軍が一九四四年六月、マリアナ沖大海戦を戦っていたとき、欧州戦線では、ノルマンジー上陸作戦が決行されていたし、さらに一九四五年二月、連合軍のヤルタ会談がひらかれた直前に、日本軍は硫黄島で玉砕した。」
「このように、第二次世界大戦を正しく理解するためには、太平洋戦と欧州戦の二大正面を総合的に把握し、その千変万化の実相をパノラマ的に展望、批判することが肝要である(中略)この原本(バランタイン社版)の総監修にあたった、英国の世界的な軍事評論家リデル・ハート卿の「平和を欲するならば、戦争を理解せよ!」という警句にはわれわれ日本国民にもしみじみと考えさせられるものがある。」
(引用終わり)

歴史、ことに世界史はかようにグローバルな視点に立たねば、その全容を把握できないとは、私たちも日ごろから感じることですが、なかなかそういう手ごろな文献に出会わない。
ところが、このバランタイン版第二次世界大戦ブックス叢書は、こと第二次世界大戦において、貴重な示唆を与えてくれる文献なのです。

思想の左右などに振り回されない、事実の記述が淡々とおこなわれることがいかに難しいかも、この叢書に当たれば理解できます。

さらに特筆すべきは、これらの日本語版に訳された訳者がほぼ当時の陸大や陸軍士官学校や海軍兵学校などの出身者で、戦後も防衛庁などに勤務してこられたエリートたちです。
かれらのなんと英語に堪能なことか。
そうなんです、当時の陸海軍のエリートは海外での勤務も経験し、英語やドイツ語、フランス語、中国語に堪能だったんです。
敵性語だから、しゃべらない、使わないというのは、下士官以下の兵卒に多く、将官級になるとまったく反対に英語がぺらぺらというのは普通でした。
それだけ、事情通だった上層部が、何も知らない国民を負けるとわかっている戦争に巻き込んだ原罪は問われねばならないと思います。

せめてもの生き残った彼らの罪滅ぼしとして、戦争の忠実な記録の和訳に勤しんだ成果だと私は理解しています。
だからか、とても訳がうまいんですね。
軍事的な専門用語も彼らの手になれば、正確に記述されます。
日本人が疎い、ヨーロッパ戦線の状況も、映画を観るように訳されていて、どこの国家の軍人も、悩み、奮い立たせて、戦いに挑んだのだと知ることができます。
『ミッドウェイ 運命の三秒間』はイギリス陸軍大佐のパーカーによる著作ですが、日本語訳はは陸士61期の芳地昌三(ほうちしょうぞう)氏です。
『パールハーバー われ奇襲に成功せり』もパーカー氏の著作ですが、これは中野五郎氏が訳されています。
『メッサーシュミットMe109 ドイツ空軍のエース』は戦争中からずっとアメリカUP通信社の航空専門記者であるマーティン・ケイディンが、自らもパイロットである経験を生かして精力的な取材で著したもので、日本語訳は、中野五郎氏と同じく東大法学部出身で戦中はフィリピン・ダバオで陸軍病院付主計官として勤務した加藤俊平氏(戦後はサンケイ新聞社、朝鮮戦争国連軍従軍記者)が担当しています。
『パリ陥落 ダンケルクへの敗走』イギリス軍砲兵隊士官だったジョン・ウィリアムズという戦史家が著したもので、邦訳は陸士32期、宇都宮直賢氏で、陸大卒の参謀本部部員、終戦時は少将だった方です。マニラでの山下奉文大将の戦争裁判で特別弁護人にも選ばれた人です。
『Dデイ ノルマンジー上陸作戦』はイギリスの従軍記者で情報部大尉でもあったR.W.トンプソンが劇的に描いた佳作です。邦訳は神戸外大英語科卒でサンケイ新聞社記者の宮本倫好氏で、中東戦争への従軍記者も経験されています。

ほかに陸士42期、陸大卒、陸軍戦車学校教官、北支方面軍参謀などを歴任した加登川幸太郎中佐(終戦当時)が『零戦 日本海軍の栄光』を、海兵54期海大卒、伊号54潜水艦乗艦、重巡「愛宕」飛行長を歴任し、開戦時にはワシントン大使館付駐在武官だった寺井義守中佐(終戦当時)が『Uボート 海の狼、あの船団を追え』を潜水艦乗りの立場で訳されています。

このように、日本の旧陸海軍には、優秀な人材が今よりもずっと多くいたわけです。

今の日本人の方が、よほど世界から孤立しているのではないかと思われます。

しかしいくら優秀な人材が豊富であっても、日本は誤った道を進んだのですから、なんとも虚しいことです。