これもリーアム・ニーソンの主演作品です。

よくできてます。
ニーソンの主演作品の中でも、ぜひ観ていただきたいと私が推薦します。

アクション・ミステリーとでもいいましょうか。
「自分が自分であること」が危うくなってしまった男の話。
マーティン・ハリス(リーアム・ニーソン)は旅先で交通事故に遭い、たった四日間、死の淵をさまよってよみがえったら、その事故前後の記憶がない。
たしか、自分は生物学の博士であり、妻とベルリンで開催される学会に招かれて、講演するためにベルリンにおとずれたのだ。
ところが自分の手には父親から譲り受けた植物学の小さな本と少しのお金、ペンだけであり、身分を証明するものは何も持っていなかった。
その本には書き込みがあり、妻の文字で数字が並んでいた。まったくもって意味不明である。
それもそのはず、彼がベルリンの空港から妻とタクシーに乗るさいに、パスポートや論文、学会の招待状などの入ったカバンを道端に置き忘れてしまったのだ。
そしてホテルに着いてからそれに気づき、妻をフロントに残したまま、別のタクシーで空港に取って返した。
タクシーの運転手は若い女で、ブランデンブルク門のそばで渋滞に巻き込まれるとマーティンは「近道を知らないか?」と女に頼む。
女はハンドルを切って、抜け道に入るのだが、前のトラックから積み荷が落ち、マーティンのタクシーにあわや激突というところで女が回避したが対向の二輪車に当たって、橋から川にタクシーは転落してしまったのだった。
浸水し、みるみるタクシーは水没する。女は気丈にも脱出してリアウインドウを割りマーティンを救い出すが…
そのあたりから、マーティンは記憶がない。彼はかけつけた救急救命士によって救急搬送され、命はとりとめたものの、女は恐れをなしてか現場から去ってしまったらしい。
目を覚ましたのは病床だった。看護師や医師の話では四日間も昏睡していたという。
そして自分のことを徐々に思い出すが、そのことを医師に証明することができないのだった。
身元不明の患者として過ごすことになりそうだが、病室のテレビニュースで自分が参加するはずの学会の様子が報じられ、滞在予定だったホテルの名前も思いだした。
体が動くようになると彼は医師が止めるのも聞かずに妻のいるホテルに向かった。
ホテルに戻って、妻に会えば自分が誰であるか証明してもらえるはずである。
が、しかし…
学会の懇親パーティがホテルのバンケットで開かれているのに、身分証のない彼は入れてもらえない。
そこに妻の後ろ姿があるのに…
なんとか頼み込んでセキュリティのボーイにバンケットに入れてもらうのだが、その妻である女は彼のことを「知らない人」だといい、「夫はこの人だ」と知らない男を紹介するのだった。
自分の名を彫り込んだ名札を胸につけている男は、マーティンに成りすましているのか?
だとしたら妻はなんでそんな見え透いた芝居をするのだ?
悪い冗談だ。

自分が自分でない…
私はストレンジャーだ。
どうやって自分を取り戻せばいい?

祖国から遠いベルリンの街でマーティンはホテルから放り出され、立ちすくんだ。
頼みの綱は、元の病院のやさしい看護師と、あのタクシーの運転手だった。

並行してアラブのある国の王子暗殺計画が浮上する。
マーティンが参加する学会がその実行場所であるらしい。

マーティンが脳の精密検査を受けるところから不穏なことが起こる。
彼をMRI検査する若い医師が妙な薬を注入した、造影剤かと思いきや、体が動かない。
気づいたあの優しい看護師が、彼の目の前で殺される…
マーティンはその医師によって結束バンドでストレッチャーにうつ伏せに拘束されていたが、かろうじて右手が自由だった。
薬によって意識が遠のくさなか、床に仰向けに倒れている看護師の胸ポケットから鋏を取ろうとするマーティン。
果たして、危機一髪で鋏を手に入れ、結束バンドを切断し、医師の目を盗んでストレッチャーから逃れ、MR室の隔壁を閉じて逃げる。
医師は隔壁の向こうで閉じ込められたが、じきに追いかけてくるのだった。
「おれは命を狙われている」そう確信したマーティン。
ここから、マーティンが何者なのか?
彼の妻がどうして彼のことを知らないというのか?
観る者は、この不可解な出来事にハラハラさせられる。
サスペンスドラマの真骨頂がここにある。
伏線がなかなか収束しないところがいい。
最後に一気に収束に向かい、私たちを納得させるに十分な意外な結末を迎えるのだった。

私はマーティンのような気持ち、周りの人々に疑いをもった経験がある。
父母も叔父も、みんな赤の他人で、彼らはある私にかかわる過去を隠すために仮面家族を演じているのだと。
私の知らないうちに、机の中がかき回されたり、本棚の本の位置が変わっていたりしたことに気をもんだりもした。
本当の両親は別にいるか、すでに死んでしまっているのかもしれないと本気で思ったこともあった。
それを周囲の人間は、担任の先生さえもグルになって私に隠し通そうとしているだと。

こんな気持ちになったことが、あなたはないだろうか?
教職課程を履修したときに教育心理学の講師に尋ねたことがあった。
そのころ四十半ばの女性講師は、メガネの奥の柔和なまなざしで、
「一人っ子のお子さんにはよくあることですよ。横山さんは一人っ子なんでしょう?」
「ええ」
「お母さまの愛情が、少し偏っていたのかもしれません。一人っ子というのは、お母さまにとっても第一子ですから、子育ても新米さんなんですよ」
「はぁ」
そう言えば、母の立場になればそうなるだろう。私はそんな考えを持ったこともなかった。
「だから、あなたに冷たくしたこともあったのかもしれない。つれなくしたこともあったでしょう。お父さまは、お仕事でお家を開けがちだったんでしょ?そこに叔父様が同居なさってたという特殊性もあった」
「そうかもしれません」
「幼いあなたは、寂しさを感じていたんでしょう。もしかしたら、私はここの子ではないのかもしれないと思ったりして、ことさら悲劇のヒロインにあこがれた」
「そんなこと…」
「ないとは言えないわ」
それ以上、わたしは反論もできなかった。
そうかもしれないと思いもした。
先生によれば「拾われた子症候群」だという。

よくよく考えれば、私一人を騙すのにそのような大がかりな嘘をつかねばならない理由がない。
祖父母も、友達も学校の先生さえも巻き込んでの手の込んだ「芝居」を打つのである。

私は母が叔父と不倫関係にあるのではないかと疑いを持っていた。
母の愛情を私に、一身に受けることができない不満もあった。
母はあまり私に関心がないように思えたりした。
良い成績を取って喜ばせようとしても、「あなたは、できて当たり前」みたいなことを言う。
叔父の方がよく褒めてくれた。
私の進路にしても、母はあまり大学進学に乗り気ではなく、叔父が母を説得して後押ししてくれたくらいだった。
たまにしか帰ってこない父よりも叔父にべったりだった私。
すると、母よりも叔父に褒められたいと思うようになってしまう。
私が叔父を、母と取り合うような複雑な関係だったように思えるが、母は頓着していなかった。
私の「独り相撲」だったようだ。

「アンノウン」を観て、ふと私はそんなことを思い出したのである。