「パイドン」に「白鳥が死ぬときに美しい歌を歌うのは、死が苦しみではなく、喜びに満ちているからだ」とあるよね。
人が創造主の所有物という考え方からすれば、その死は神に祝福されているはずだからね。
従って、自殺は神の意思に反する行為であるから背徳なのよ。

広くキリスト教や、古くはギリシャ哲学にその根源的思想を垣間見ることができるわ。

一方、仏教にも同じような教えがあるわね。
阿弥陀如来の本願に導かれる死の捉え方がそうよ。
死は、やはり天から「賜る」ものであり、如来の「お迎え(来迎)」があって初めて人は死ぬの。
それは、苦しみではなく、まぶしいくらいの幸せの光に包まれて極楽浄土に旅立つのよ。
永遠の別れの悲しみなどではなく、抱えきれないほどの祝福に送られて旅立つの。

そして、同じく自殺行為は背徳とされるよ。

人はこの世での苦しみを味わいつつ、生き長らえなければならないの。
死が訪れるまで耐えなければならない。
「南無阿弥陀仏」と唱えつつ、ただひたすら生きるのが浄土真宗の教えだから。
生きること自体が「易行(いぎょう)」とされるゆえんです。
はたして「易行」だろうか?
生きることそのものは「苦行」ではなかろうか?

「何行」であれ、人生の途中で放棄して死を選ぶことは許されないのよ。
「死」は安楽かつ喜びだから。
そんなに簡単に、安楽になられては他の人がやってられないの。
だって死んだ人はみんな安らかな顔をしているもの。
「いいなぁ」と思ったよ。
はやく「お迎え」がこないかなと思ったよ。
「病死」「事故死」「他殺」は祝福されても、「自殺」は祝福されない死なの。
自分の意思で死ぬから。

わかった?
死のうと思ってる人、電車に飛び込んじゃだめだよ。
許さないよ。
生きて、生き恥をさらしなさいよ。
勝ち逃げ(負け逃げ)は許しまへんでぇ。

あたし?
たぶん「病死」か「他殺」かな。
うらまれてるし。
「事故死」なぁ。
食べもんの事故では死にたないなぁ。
なんや、あさましいからな。
吐きまくって、下痢にまみれての死よ。
喉つめて、苦しんで死ぬ?ぎょえ~
祝福されてる死なのにぃ~

「他殺」もなー
腹を断ち切られて、内臓をぶちまけて死ぬのもええかもな。
まだ意識はあるやろなぁ。
やっぱりマグナムで頭に一発、みまわれて、脳漿を飛び散らすように殺してくださらないかしら?
何も言わないで・・・
何も聞きたくないから・・・
最期に、網膜に銃口を焼き付けて逝くから。

残るは「病死」説。
なんの説だか。
前から言うておるように、なおぼんは「癌」で逝きたいの。
神様、仏様お願い。

「な~もあみだ~ぶ」
合掌