会社が乗っ取られるというのはよくある話である。
杉浦電子工業のオーナー一族と外様社員の攻防があるいみ象徴的な出来事だった。
杉浦電子工業というのは硬い名前だが、遊戯台の防犯装置を主に開発、販売している会社だ。
特許も多数保有しており、業界では確固たる地位を築いて社歴も半世紀を越えた。
社員数は全盛期には千人に届くかという規模だったけれど、長い不景気のせいで半数近くに減った。
それはどこでもいっしょだろうけど。

上場していないのは乗っ取りを危惧してのことだけれど、なにも上場企業だけが乗っ取りの危機にあうわけではないのよ。
杉浦電子の会長、杉浦要(かなめ)は創業者であり、会社をここまで大きくさせたのは彼の手腕に負うところが大きい。
二代目の息子、杉浦治夫が現在の代表取締役となっている。
治夫が父親を引き継いだのはまだ三十になったばかりの頃だった。
要(かなめ)が心筋梗塞で急死し、やむを得ない事情があったのだけれど、当時治夫は、手品師としてアメリカに修行の旅に出ていた。
父親からは放蕩息子呼ばわりされて、家に寄り付かなかった治夫である。
父親が急死したからとて、母からの呼び戻しに応じるわけがなかった。
治夫の母、佐代(さよ)がしかたなく亡夫の後を襲ったわけである。

佐代はしかし、会社の経営のことなどこれっぽっちも関与したことがなく、専業主婦として生活してきた。
代表取締役の椅子に座って、印鑑の管理だけをしていたのだった。
そのスキを狙って、ライバル会社からスピンアウトしてきた赤川博、久野洋介の二人が暗躍しだしたのだった。

赤川と久野はワンダー産業というパチスロメーカーからやってきた。
不正経理の嫌疑をかけられての放逐だったが、「トカゲの尻尾切り」にあって詰め腹を切らされたというのが本当のところだった。
赤川が久野の二年先輩で、久野が彼の腰巾着のようにふるまっていた。
二人とも技術屋で、「裏ロム」の仕事を主にやってきたらしい。
赤川が言葉巧みに杉浦電子の人事部長に自らを売り込んで、まんまと入り込んだというわけね。
杉浦電子もワンダー産業の技術力の高さを知っていたから、さらに有力な人材確保ともくろんで、彼らをもろ手を挙げて迎えたわ。

ただね、赤川はかなりのワルで、頭が切れたの。
蒲生譲二の話だと、赤川は暴力団とも関係していて、「裏ロム」をブラックマネーで売ってたらしいの。
ワンダー産業自体が、北鮮系の会社で社長はあっちの人だったし。
蒲生はパチスロで不正に儲けた金で、ヤクを仕入れ、その代金として北鮮のマカオの銀行口座に振り込んでいたわ。
あたしが入金作業をしてたのでよく知ってるのよ。

赤川はだから、最初から杉浦電子を乗っ取ろうとして入社したのよ。
そのためには久野の力が必要だった。
久野が「裏ロム」の開発者だったから。
赤川の周辺で、ロムライターを操れ、逆アッセンブルのできる男は久野しかいなかった。
久野はまた、父親が大阪府警の生活安全課課長だったのも強みだった。
「がさ入れ」の情報はすぐに赤川や蒲生の耳に入ったのだから。

創業者を急に失った杉浦電子は、漂流しだしたのね。
佐代は、不安に駆られ、日ごろから優しげな赤川博に相談を持ちかけていた。
赤川は上手に彼女に近づき、弱点を探っていたわ。
彼から見れば、弱点だらけなのよ。

「株主総会でぼくを専務取締役に推薦してください」
なんてことまで言うようになったの。
さすがに、佐代もいぶかしんだけれど、会社の危機を救ってくれるのは赤川以外にないとも思い始めていたわ。
1992年の六月末日に株主総会があって、その日を目指して赤川と久野は活動を開始したのね。
五月の連休に息子の杉浦治夫(芸名はマジカル・ラジカルだったと思う)がマジックの武者修行から帰国してきたのよ。
そこで、彼が見たのは、赤川たちに巣食われて、ぼろぼろにされている母だった。
母の佐代と赤川は、みだりにも、白昼からゴルフ三昧で、夜も遅くなってから帰宅という生活だった。
肉体の関係もあったのだろう。
妙な性具が社長室の戸棚から見つかってもいた。
それもこれも、社長に近い治夫の叔父の杉浦卓巳(たくみ)専務が教えてくれたのだった。
「どうします?はるちゃん」
叔父には小さい頃からそう呼ばれてきた。
「おっちゃん、このままじゃ、あれだね。乗っ取られるね」
「いかにも」
「おれさ、社長になるよ」
そのころ、治夫は実際、マジシャンの道に行き詰っていたらしいわ。
「はるちゃんの、その一言が聞きたかったよ」
叔父は、一族を挙げて、治夫をバックアップすると約束され、今度の株主総会が会社の命運を分けるとまで言い切ったの。

佐代は息子につめよられて、最初は否定していたが、心の底ではやはり、赤川への不信感を拭いきれなかったらしく、治夫の後継指名に賛成してくれた。
ほかならない、息子の申し出である。
断わる親などいないだろう。

こうして、赤川たちのたくらみは株主総会でみごとに打ち砕かれ、乗っ取りは未然に防がれたわ。
でも、赤川らに確たる不正が見当たらなかった。
だから放逐する理由が無かったのよ。
でも、治夫はよほどアメリカで鍛えられたのか、考えをめぐらせ、うまい方法を編み出したわ。
「母さん、赤川と久野を子会社のエス・アンド・エスに左遷させようよ」
「なんで?あそこは、うちのプリント基板を実装してもらっている百パー子会社よ」
「だからさ。うまいこと持ち上げて、あそこの社長と専務に就かせるんだよ」
「今の加藤社長と山下専務は、どうすんのよ?」
「こっちに呼び戻す」
「わかんないな。あんたはどうしたいのよ」
怪訝そうな佐代は、息子に問う。
「エス・アンド・エスは本社からの仕事しかできないだろ」
「そうよ。よその仕事はさせないことになってるの」
「そこで、赤川らに会社をまかせて、売り上げを上げろとせっつくんだ」
「そんなことしたって、うちから仕事を出さなければ売り上げなんてあがるわけがないじゃない」
「そこがつけ入るスキなんだよ。連結営業会議でエス・アンド・エスは売り上げが上がらないのは経営陣のせいだとつるし上げるんだ」
「本社が仕事をくれないから上がらないんだって言うわよ、きっと」
「営業努力をしろと、さらに突き上げるんだよ」
「だって無理じゃない。あそこの設備でよその仕事をやれるわけないでしょ」
「無理なのはわかって言うんだよ。営業して仕事を取ってこいとね。でなけりゃ、利益確保のために身を切れと」
「うわ、ひどい」
「来年数字が上がらなかったら、経営陣は辞めてもらうと脅すんだ。辞めてもらったあとに加藤さんと山下さんに戻ってもらう」
「ふう・・・よく考えたわねそんなこと」
こうして合法的(?)に辞めさせる口実を親子は考え出したのである。

このたくらみは見事に功を奏し、翌年には赤川博と久野洋介は引責辞任の憂き目に会った。
杉浦電子工業は、そのセンサー技術を駆使して、遊技機以外に販路を広め、グローバル企業として今も活躍している。

あたしは、その子会社のエス・アンド・エスにいるんです。
なんでだろ~、なんでだろ?