夕暮れに合う曲といえば、迷わずあたしはライオネル・リッチーのHelloを挙げる。

夕日そのものじゃなくって、窓から部屋に夕日がさしこんで、誰もいない部屋のイメージ。
探してももうあなたはいないんだって感じかな。

いつも取り残されるのはあたしなんだよ。
父も母も、叔父も逝ってしまった。
だんなも、先に逝くんだろう(不謹慎なやっちゃな~)

猫のみすずも先に逝っちまうに違いない(まだ元気やで)

お一人様の一丁出来上がりって寸法だ。

寂寥(せきりょう)や、まったく。

人は一人で生まれて一人で死ぬもんや。

驟雨(しゅうう)のあと、夜の帳(とばり)が降りてくる。
こういうときは、小林亜星作曲の「夜が来る」がいいな。
琥珀色の酒が氷を融かしつつ、時を刻む。

薄暮の中、みすずの目が光った。
あたしは、明かりも点けずにいたことに気付く。


明るくしてピアノのふたを開けてみた。
調律をしてもらったところなので、いつもは物が置いてあるのに、片付いているのだ。
パッヘルベルのカノンを弾いてみる。

何年も前の小学校の卒業式を思い出した。

あたしは、母に買ってもらったチャコールグレーのブレザーを着て順番を待っている。
そう、一人ずつ、前に出て、将来の夢を披露するのだ。
「わたしは、世界中の人が自由に話せるように無線のエンジニアになりたいです!」

たしか、そんなようなことを女の子のくせに言ったように思う。
電話級の試験に落ちても、けろっとしてこんなこと言う子だった(中学になって受かったけどね)

バックに担任の先生が弾く「カノン」が流れていた。

あたしは、結局、進路を大きくずらせて、化学の道に進んだのだけど。


さあ、今日のお話は「代書(だいしょ)」です。

明治後期から昭和初期くらいの頃と思って聞いてくださいな。

代書屋といって、字のかけない人のために公の文書を代わりに書いてあげる職業の人がいたの。今で言ったら、行政書士とか司法書士ってとこかしら。

昔はね、字の書けない人のほうが、読めない人より多かったのよ。


ある男がね、履歴書を書いてもらいに町の代書屋さんのところへ来たんだ。
今だってパートの応募でも履歴書を出さないと面接もしてもらえないよね。
昔もそうだったのよ。(あたりまえか)

「こんちわー!ちょっとつかんことをお伺いいたしますけどね」
いきなり、立て付けの悪いガラスの引き戸を開けて入ってきた小汚い格好の男を、怪訝そうに代書屋が書きかけの書類から顔を上げて見ました。

「はあ、なんぞ御用で」
「お宅ですかいな、で~しょやさんは」

けったいな言い方をするやっちゃなと思いながら
「さようで、うちが、だいしょやでおます」

相好(そうごう)を崩して、男は近寄ってきます。
「書いてもらえますかいな」
「何を書かしてもらいましょか」
「履歴書ちゅうもんですけど、書いてもらますやろか」
「書かんでもないですけど」と代書屋。
男は、安心した表情で、代書屋が座っている机の前の腰掛にどっかと腰を下ろしました。

「あ~よかったぁ」
「どうしなはったんです」
男は、汗ばんだ顔をつるりと手でぬぐって、
「ここで、断られたらどないしょと思いましてね。このたび、履歴書てなもんが是非いるちゅうことになりましてね、わたいもこんにちになりますまで履歴書っちゅうもんがこの世にあるなんて知らなんださかいね・・・」
「はあ」
「帰って、かかぁに、履歴書ちゅうもんがうちにあるかと聞いたら、知らんて言うし、とりあえず、お向かいのよっさんのとこ行って事情を話してみたら言うて・・」

ながなりそうやなと思いつつ、しかたなしに代書屋は男の話を聞いてます。
「よっさんがね、お父ちゃんの時代のもんが、ひょっとしたら残ってるかもしれん言うてね、用が済んだら返してくれたらええから言うて、探してくれたんやけど・・・」

(人の履歴書借りてどないすんねんな)と口から出かけたけど代書屋さんもできた人ですわ、辛抱して聞いてます。

「ほたらね、よっさんの父親いうのんが帰ってまいりまして、履歴書なんてもん、友達の家に借りに来るやつがあるけ、あほんだらって怒られましてね」
(あたりまえや、もうええかげんにしてくれへんかな)と代書屋さんは苦虫をかみつぶしたような顔で男を見ています。

「で、よっさんのおとんに促されて、お宅に参りました次第で」
「終わった?」代書屋はあきれ顔でたずねます。

「はいー」と男は、おじぎをひとつしまして、ちんと手をひざに乗せて、にっこり顔で代書屋を見ています。

「ま、うちにお越しになった経緯は、ほぼ、わかりました。書かしてもらいます。で、あんさん、どっかに就職でもしなさるか?」
「何です?」
「何ですて、いや、どっかへ就職されるんでっしゃろ」
「いやね、そういうたいそうなもんやおまへんね。うちの近所の金物(かなもの)作ってる鼻くそみたいな工場(こうば)でね、夜警がひとりいるちゅうんで、わたいがここんとこブラブラしてるもんでっさかいに、来てくれへんかということでね、履歴書持って来てくれというわけで」

「あのね。そういうのを就職て言うんです。最前も、一人同じようなお客があって、用紙もここに出てございますので、これから履歴書をおつくりいたしまっさかいに」
「へぇ、どうかよろしゅうに」
「ほたらね、まず本籍をうかがいましょか。本籍、つまり、あなたのお生まれになったとこはどちらです?」
「はぁ、わたいの生まれたとこ?白状しなあきまへんか?」
「巡査が尋ねてんのとちゃうねんから白状てなことあるかいな」

「大阪の日本橋です」
代書屋は筆をなめなめ、書き始めます。
「大阪市浪速区日本橋・・・と」
「三丁目です」
「はい、三丁目・・・と」
「二十六番地で」
「にじゅうろく・・・やね」
「向かいがさくら湯ていう風呂屋でね、大将がなかなかできた人で、いつも番台でね・・」
「そんなことはええです。次は現住所、つまり、いま、お住まいになってるところはどちらですか?」
「わたいね、生まれてから一度も替わらずで」

「そうですか、そういう方、ちょいちょいおられます。右に同じ・・・と。ほたら、お名前をお聞きしましょか」

「誰の名前?」
「これね、あなたの履歴書を書いてますねん。他人の名前を書いてどうしますのや。あなたのお名前を言うてください」

「わたい?ははっ。留(とめ)ちゅうんです。人によったら留公ちゅうやつもいまっけど「留、飯食いにいこか、留!」とかね。わたい、留ていいまんねん。以後よろしゅうに」

(何が、以後よろしゅうにや)代書屋さんはあきれています。

「留さんというのはわかりました。けど、それは通称でしょ?おそらく、ちゃんとした名前やないと思いますけど」

「わたいの名前、ちゃんとしてまへんか」
「そやなしに、たとえばやね、留吉とか留五郎とか」

「良くご存知で。留五郎です」
「当たった?で、何留五郎さんです?」

「なんですぅ?」
「あのね、ここにはね、姓名を書かなあかんのです。留五郎は名ぁでしょ。姓(せい)を言うてください」
ちょっとイラっときた代書屋さん。

「せぇですか。五尺ぐらいかな」
「背ぇちゃいます。「前田」とか「山本」とかありまっしゃろ」

「良くご存知で、山本です」
「適当に言うても当たるもんやね。え~と、山本留五郎と・・・。あのね、自分の姓名ぐらいすらっと言えるようにしといてもらわんと、どんならんですよ。ほんまに」

一息ついて、
「ほなら山本さん、生年月日言うてもらえますか?」
「うまいこと言えるかな。せ~ねんがっぴ」

「生年月日て言うてどないしまんねん。どない言うたらわかってもらえんのかな。あなたが、生まれたときのことを言うてください」
「生まれたとき?ああ、何も覚えてないわ~」

「誰でも覚えてないでしょうけど、あんさんが、いつ、いっか生まれた、てなこと、親御さんから聞いていはりませんか」
(もう、いやや~この人・・・)代書屋さんは頭をかかえています。

「ああ、それやったらそう言うてくれはったらええのに。イチゲツツイタチです」
「一月の一日ですか?へぇ」

「おかんが、お前はイチゲツツイタチ生まれや。太閤さんとおんなじ日やで、出世するでぇ、ていつも言うてましたから」
「親ならこそやなぁ。で、何年のイチゲツツイタチですかいな」
「う~ん」考え込んでしまう男。

仕方なく、
「あなた、だいたい今、おいくつでんねん?」
「わたいの歳をお尋ねですか。二十六です」

とうとう、開いた口がふさがらない代書屋さん。
「うそでしょ。どうみても四十は過ぎてまっしゃろぉ。サバ読んだらあきまへんわぁ」

「いや、これは間違いないんです。親父が死ぬ間際に、わたいを枕元に呼んで、留ぇ、お前も二十六や、もうここまできたら大丈夫や、あとは任せた・・・コトッて逝ってしまいよりました。そやから、二十六で間違いおまへん」と真面目な表情で男は言います。

「ほんならね、お父さんはいつ亡くならはったんですか」
「早いもんで、もう二十年になりますなあ。けさもかかぁと話してたとこですわ」
(ほれ、みてみい)もう、腹立つより、あほらしなってきた代書屋。

「あなたはね、もう四十六なんですよ。もうちょっとしっかりしてもらわんと。歳がわかったら、何年かはこっちで調べますよって。で、次は学歴やけど・・・」

「えっと」
「先に言うときますけどね、学歴ちゅうのは学校のことです。学校はどこを出たはりますか」
「懐かしいなぁ、学校でっか。ここしばらく行きませんのでね」
「四十六ですからね、ここんとこは行かんでしょうけど、むかし行った学校で結構です」

「小学校です」
「たいていの人は小学校はまず行きます。何という小学校でっか、どういうような」
「うちの近所の小学校ですよ。真ぁ裏の。校門に大きな桜の木のある。春になったらそらもうきれいに満開になって、すぐ散ってしもて・・・」
(つきおうておれんわ)

「本籍地内小学校卒・・・としとけ」と投げやりな代書屋

「それでね、わたいのたった一つの自慢が、二年で小学校を卒業したことですかね」
がくっと、代書屋さんの首が落ちかけましたよ。

「中途退学・・・と。次は職歴を言うてください」もう、どうでもええわ状態の代書屋さん。

「え」
「あのね~。あなたが、若い時分からやってきた、お商売、お仕事、それを順々に言うてください!」代書屋さんはとうとう、バンと机を叩きました。

「そないに怒らんでも。なんでも言わすんでんな。そんなことしたら、わたいのことがみんなわかってしまいますがな」

「分かるようにこれは書くんです!一番初めの仕事は?」
「嫁をもろた年ですわ」
「それはいつのことです?」
「親父が死んで、翌年で、嫁もろたんです。もう一年早かったら、親父に嫁の顔を見てもらえたのになぁ」
「もう、ごじゃごじゃ言わんでよろし。二十年前の一年後、何月ごろでした?」
「暑い盛りでしたわ」
「八月にしときます。場所は?」
「玉造の駅前です、三軒ずつ向かい合わせ、六軒並んだ東側の真ん中の家です。お隣はたしか・・・」
「そこまでいりません。玉造の駅前にて・・・と。で、何をやらはったんです?」
「ともえ焼きをやったんです。よっさんが、最前も申しましたヤツがともえ焼きの道具を貸してくれまして、きったない、ふるい道具でね、かかぁと二人でね、紙やすりかけて・・」

「もう言わんでよろし。ともえ焼きかぁ、そのまま書いたらわからんやろな。あれは太鼓饅頭かいな。今川焼きとも言うなぁ。回転焼きとも言うしなぁ。饅頭商を営むとしておこかい」
代書屋さんは、考えに考えて、書き加えました。すると、
「それね、結局、いっぺんもやらなんだんです」
「え~。やらなんだ?」
「店まで借りたんですけどね、なんせ、暑い時分ですからね、火つかいますやろ、もう続きませんわ。いっぺんやってみなはれ。とてもとても」
(しばいたろか。それを早よ言え)と代書屋さんは腕に力をこめて、さっき書いた職歴欄にくじら尺(竹製の定規)を当てて、

「一行抹消・・・。あんさん、判(はん)持ってきはった?」墨で線を引いて消しました。

「へえ、よっさんのおとんに言われて持ってきました。さすがあの人は偉い」
「はよ、貸しなはれ」
奪うように、代書屋さんが判子をつかみ、朱肉につけて捺印しますが、つぶれて読めない。

「いっぺん、判子、掃除しときなはれ。ほんまにやったお仕事だけを言うてください!」

「夜店出しをやりました」
「今度はまちがいおまへんな。えっと、露天営業人として・・・と。何を売ってなはったんや」
「へりぃどめです」
「何ですぅ?」
「そやからへりぃどめ」
「襟止めですね」
「いや、えりどめやなしにへりぃどめ」
「どんなもんですかいな」
「下駄の歯に打つゴムでできた、歯がすり減るの止めるんですがな。あなた知らない?」と得意げな男

「あ、ああ、あれ減り止めちゅうんですか」
「そう、へりぃどめ」
「履物付属品販売・・・としとこか」

「まったく売れへんので、開店して二時間でやめました」

こんどこそ代書屋さんがこけました。
「あんたね。どういうたら分かってもらえるんかな。あなたが暮らしを立てていた職業を言うてください。一行抹消と。はよ判、貸しなはれ」


「わたいね、長いことガタロやってましてん」
(もういやいや)代書屋さんは机につっぷしそうになってます。

「ガタロてなんだんねん」
「知らはれへんか?ゴム長をここまで履いて、川の中に入ってね、金網でざーっと川底をさろて、鉄骨の折れたんとか、拾いますねん。あれ」

「あ~、あれガタロて言いますのか。初めて聞いた。しかし、ガタロ業を営むとも書かれへんしなぁ。河川に埋没したる廃品を収集して生計を立つ・・としよか。しゃあないな」


なんとか男の履歴書を仕上げた代書屋さん。かなり疲れた様子です。

最後に、「右の通り、これ相違なく候(そうろう)なり」としたためて、今日の年月日を書き入れて、
「ほんなら、あなた、ここんとこに名前を自分で書いてくれますか」
「え?そんなん書けたら、お宅のとこに来ますかいな」
「名前も書けへんのかいな。名前だけは自分で書かんと通用しいひんねんけどな。どないしょうか」

自署不能につき代書す・・と代書屋さんは書き加え、

「ここにさっきの判子ついてや」
「へい」


「御代は、罫紙(けいし)二枚やから六十銭いただきますよ」
「うわ、三十銭しか持ち合わせがおへんわ。その一枚だけもろて帰ります」
「ちょっと待ちいな。こんなもん、履歴書の半分だけ置いていってもろても、使い道あらへんがな。困った人やな。もうええ、三十銭に負けとくわ」
「おおきに、ありがとさんです」
さてさて、この男の先行きは、かなり不安です。

ちゃんちゃん・・・

あたしが司法書士の勉強をしていたときに、枝雀さんの「代書」をカセットテープで何度も聞いて疲れた頭を癒していました。

昔は、弁護士のことを「代言(だいげん)」、司法書士とか行政書士を「代書」と言っていましたそうな。

法律文書や公文書以外に、釣り書とか、詫び状とか、無心の手紙の代書も承っていたようです。

夏目漱石の「我輩は猫である」には「代言」がでてきます。
あまりいいようには書いてなかったので、今も昔も弁護士は好かれていなかったのでしょうね。
口先三寸で「黒を白と言う」んですから、尊敬されるはずがないですね。