団まりなはもう故人であるが、発生生物学の泰斗だった女性博士だ。
音楽家の団伊玖磨(だんいくま)の従妹にあたるそうだ。
ともに祖父が団琢磨(だんたくま)で、三井三池炭鉱の経営に当たっていたが、血盟団事件で右翼活動家に射殺されたと本書のあとがきにまりなが書いている。
まりなの父が団勝磨(だんかつま)という高名な生物学者で、ペンシルベニア大学に留学してそのときに同じ研究者のアメリカ人女性(団ジーン)と結婚して、まりなをもうけたそうだ。
もっとも祖父の琢磨も鉱山学者でマサチューセッツ工科大学に遊学していたという。
団伊玖磨の父、団伊能(だんいのう)と団勝磨が団琢磨の長男と末っ子という関係である。
※姓の「団」は旧字体の「團」とすべきであるが、本書では著者が「団」としているのでそれに従う。
団まりな

どうやら団まりなは生涯独身で通し、子供はいなかったようだ(私が調べた限りでは)。

2014年に他界されたが、本書は2010年に書かれていることがあとがきからわかる。

生物学の解説書の中でもっとも理解しやすく、また読みやすいと感じた。理系の人でなくても、いや、「生物なら得意だったわ」という人なら難なく読み終えることができるだろう。
私は一気に読んで、だいたい二時間ぐらいだった。
副読本として高校時代の教科書「生物Ⅱ」(実教出版)を手元に置いた。
※理数系の教科書と参考書だけずっと持ってるのよ。なんでかな。好きなんだろうな。

生物が「性」を獲得するまでの長い、およそ35億年の歴史がこの一冊に込められているのだ。
だいたい「性別」は、なにゆえ必要だったのか?という素朴な疑問に、もちろんすべてがわかっていない現在、断言できないが、確からしい推論をこの本は私たちに与えてくれる。

生物が地球上に発生した時は、まだ性の役割などなかった…そんな複雑な「機構」を具える材料もなにもなかったからだ。
原始の海で原核生物(原核細胞)という極めて原始的な生き物が生まれた。
私たちの体を作っている「有核細胞」の「核」だけで生きている生物を原核生物という。
核は「遺伝情報の入れ物」とか「DNA(デオキシリボ核酸)の入れ物」と呼ばれている細胞の中心的構造だけれど、原始の生物はまさに核だけでしばらく繁茂していたらしい。
それでも無機物ばかりの過酷な地球環境でどんな偶然が彼らを作ったのかわからないが、とにかく「生まれた」のだ。私たちの祖先が。

大気も酸素がなく、亜硫酸ガスや窒素や二酸化炭素が占めていただろう。
有害光線や電磁波が太陽から直接降り注いでいただろう。

生物が生命を維持するには、タンパク質で体を作る必要があるのは原核生物でも同じである。
タンパク質はアミノ酸でできていて、20種類ほどの必須アミノ酸をDNAに書かれた情報を手掛かりにつなぎ合わせて生物自身が作り出す。
決して、でたらめにつなぐのではない。
実はそれだけで原核生物は生きていけて、死ぬこともないのである。
ところが環境が変化して窒素欠乏に陥ったとしたらどうだろう?
アミノ酸にはアミノ基(-NH₂)が必ずある。
この窒素を含む官能基は窒素欠乏ではどうしようもなく、原核生物は死ぬほかない。
死ぬ前に、窒素を節約するために他者と合体しようとしたようだ。
生き延びるためには、それがもっとも合目的的だった。

原核生物は「ハプロイド細胞」といって配偶子がn個の細胞に発展していく。
そのころには紫外線と葉緑素によって二酸化炭素から酸素を作り出すストロマトライトやクラミドモナスなどの藻類が地球上に現れる。
クラミドモナスにはまだ性別はない。
にもかかわらず、相手を選んで近親交配を避けている。
見えない分子レベルの「鍵と鍵穴」がその識別にかかわっているらしい。
原始の性の発現かもしれない。

ハプロイド細胞が面白いのは配偶子(遺伝子の鎖)が1本で、私たちのように2本備わっていない。
ゆえにハプロイド細胞同士が出会って初めて2本鎖を獲得し、ディプロイド細胞となるのだった。
これはまさに私たちがセックスして子供を作る際に、減数分裂した生殖細胞の卵子と精子を出会わせることと同じことではないか?
ハプロイド細胞に雌雄の区別はないようだ。ただ、同類の細胞が接合してディプロイド細胞になるということを繰り返し、子孫を増やしているのである。

原生動物のゾウリムシにもそのような生殖がみられる。
かつてゾウリムシは不死身で、欠乏や環境の激変がなければ生き続けるとされてきた。
実際はそんなことはないわけで、彼らも老化し、やがて死を迎える。
ところが、ハプロイド~ディプロイドを行き来することで、細胞は若返って、限りある細胞分裂回数がリセットされるそうな。そうなると永遠に生き続けるという話もありうるわけだ。

細胞が若返るという現象は、細胞の核ではDNAの転写の回数に限りがあり、それに近づくとだんだん分裂回数が減って行ってついには細胞死を迎えるのであるが、いったん減数分裂することで傷んだDNAが修復され新たな命になっていくというのである。
明らかな「死」がなく、命がつながっているように見えるから「不死身」などと言われるのだった。
この遺伝情報の修復は、見方を変えれば遺伝子の組み換えでもあり、老化して短くなったDNAを元通りの長さに直したりするさいに、書き換えが起こることもしばしばみられる。
DNAはRNA(リボ核酸)よりも安定で破壊されにくいが、RNAは容易に書き換えが起こるのでこれを遺伝情報としているウィルスは変異しやすいのである。

長寿命の生物はDNAで遺伝情報を保持し、世代交代の早いウィルスはRNAで遺伝情報を保存している。

団まりなが強く訴えるのは「階層」という考え方である。
日本の学際ではあまり「階層」の概念がなく、世界レベルの思考から考えると古臭く、固定的だ。
これは解剖学者の養老孟司も本書のあとがきで述べている。
下位概念の上に上位概念を積み上げる学問の手法を用いれば、生物の進化もたちどころに明示的になるのである。
「性」にも下位概念があって、現在につながっている。
原核生物では「性」は必要的ではなかった。
それよりも過酷な条件で生き延びる(遺伝子を残す)ことで、どうやって情報を保存し、伝達していくのかだけを目的としていたのである。
伝達を確実にすると同時に、単細胞が集まって(ボルボックスなど)集団生活を獲得し、それが一個の多細胞生物に発展するためのハードル越えが、ハプロイド(n)~ディプロイド(2n)の循環であり、その後の生殖という生物の究極(最上階層)に達するのだという考えである。

生殖は「減数分裂」という不思議な細胞分裂で維持されているが、上の考えに立てば、おのずと理解されるのである。

発生学はまさに受精卵の学問である。
精子が雄性細胞であり、卵子が雌性細胞であることは論を待たない。
受精卵は卵割して一個の生体へと変化していく。
水の中で生物が育まれたことから、水生生物の発生を観察するとその歴史を垣間見ることができる。
棘皮動物(ウニ、クラゲ、ヒトデなど)や甲殻類(エビ・カニ)である。
生れたばかりでは親とはまったく形の異なる状態を経て生体になることがわかっている。
サンゴ虫で顕著だが、海水中で卵が放散され、そこに精子も放散される。
海水が生殖の一翼を担っている。また、幼生の生活も助けている。
イカやタコ、軟硬骨魚類、円口類(スナヤツメ)もまた同じである。
脊索動物の原始的な形であるホヤやナメクジウオも同じだ。
しかし、陸に上がると決めた生物には新たな試練が待ち受けている。
両生類から爬虫類にかけて、卵生だが硬い「殻」を持つ卵を要した。
魚類の卵は卵黄のみでできているが、両生類のカエルでは卵がゼリー状のもので覆われることになった。
また爬虫類や鳥類では硬い殻と卵白を必要とした。
なぜなら、水中より陸上では重力の影響を受けることと、乾燥に打ち勝たねばならないからだ。
卵白は卵黄を浮かせ、大量の水を貯え、またその殻も外気と通じている。
そしてカモノハシである。
この特異な生物は、卵生だが哺乳類であった。
卵割は盤割で胎盤の原型を持つ。
実は、ヒトの発生も鳥類などの卵と同じで、盤割なのである(細胞分裂が板状に拡がる)。
それが胎盤となって母体と通じで、栄養を胎児に送り、排泄物としての尿を母体で処理する。
ニワトリの有精卵を観察すれば、卵の中で胎盤と母体でおこなわれることがすべて入っている。
古い尿を溜めておく袋状のものができるのもそうだし、母がいない分、栄養のための卵黄が大きいこと、羊水の役目のカラザと卵白がある。

哺乳類は、カモノハシなど一部を除いて胎生だし、有袋類を除いて、子宮と胎盤と羊水を胎児のために母親が用意する。
そして生まれた子は哺乳して大きくなる。

哺乳類が胎生なのは良いことばかりではない。
母体への負担が大きいし、ことに大脳の発達したヒトではあまりにも長く母体にいると、分娩困難となる。
ゆえに、未熟児で産まざるを得ないのだった。
いくら3000g以上で生まれても、ほかの動物からしたら未熟である。
もっと詳しく言えば、脳だけが発達し、体が立てないくらい未熟なのである。
ウマは生まれてすぐに立ち上がり歩くというのに。
※ジャイアントパンダが未熟児で産むのはなぜなんだろうか?有袋類は子宮が発達していないので未熟児で産んで、袋で授乳するのだった。

卵子と精子のサイズが比較にならないくらい違うのにも、団まりなの言及があった。
卵子は卵割のエネルギー源(卵黄)を要するので精子の数千倍の大きさになる。
遺伝子の入れ物としての卵子ならもっと小さくてもいいわけだが、それでは受精後の卵の生活が窮乏してしまうのだ。
反対に精子はぜい肉をとことん削ぎ落して、遺伝子のみを頭のケースに保存し、鞭毛と分子モーターだけで卵子に向かうよう設計された。
どちらも遺伝子の入れ物に過ぎないが、受精とともに用済みになる精子には「弁当」も持たさない徹底ぶりだ。(もっとも分子モーターを動かすには精液中のわずかな果糖を使うらしい)

良く言われているように、どのような生物にも雌雄があるけれど、メスが基本で、そのバリエーションとしてオスが作られるのである。
メス社会がオスを必要とするときだけ、メスからオスに性転換する魚類の一部や、女王がオスを生むミツバチの世界で良く知られている。

ヒトの受精卵の観察でも、細胞でできた中空の球体がまずでき、一部がくぼんで「原口」ができ、並行して男女共通のミューラー管ができ、あるときミューラー管が閉じて男の子になり、精巣が発達し始める。女の子のときはミューラー管から膣や子宮、卵巣が作られるのだった。
総じて男の子の器官のほうが複雑で失敗する確率が高いらしい。
女の子の尿道を伸ばし、クリトリスに使っている海綿体で尿道を覆っていってペニスができる。
小陰唇がペニスの包皮にあたるのかもしれない。
女の部品をうまくつかって男性器を作り上げるのである。
うまく尿道を閉じないと「尿道下裂」という奇形になって、座っておしっこをしないといけない。
そういう不都合が多いのは男の子だった。
世の男性はペニスの大きさなんかより、ちゃんと機能していることを喜ばねばいけない。

生物は生殖のために遺伝子を保全する方策として原核生物時代からの「減数分裂」を獲得し、多様性を生むために「交配」することで「倍体」に戻すことを可能にしたのだった。
それには雌雄の必要性はなかったのだが、受精卵を確かならしめるために精子と卵子に別々の任務を追わせるために雌雄を明確にした。
動くオスと、動かないメスという感じだろうか?
雄性遺伝子の入れ物が男であり、雌性遺伝子の入れ物が女である。
どちらが欠けても子孫は繁栄できないのである。