毎日新聞日曜版には書評が載っているが、面白い本が紹介されていました。
『江戸の乳と子ども』という本で、沢山美果子さんが書かれたものです。

選者は磯田道史氏です。あたしは存じ上げない方です。

江戸時代の子育て事情をつぶさに調査してその実態を明らかにした本らしく、「貰い乳(もらいぢ)」という制度というか慣習ですわね、そうやって乳の出ない母親の代わりや、出産で母親が死んでしまった乳飲み子のためにそういうことを江戸の庶民は助け合っていたのだということです。

いわば「日本授乳史」とも言うべき本です。

よく、昔の女性は人前でも恥じらうことなく、おっぱいをさらけだして子供に含ませていたといいます。
そんなことが恥ずかしいと思うこと自体が常識はずれだったのです。
また男性もジロジロ見たりしませんでした。
当たり前の光景だから、劣情をもよおす事なんてなかったのです。
そういう絵も残されていますしね。

また「飢饉図」では、飢えて死んだ母親の乳に、まだも食らいつく乳飲み子が描かれて凄惨さを伝えています。
選者も指摘しているように、江戸時代は産婦の死亡率が高かったそうです。
あたしが思い出すのは、壷井栄さんの『柿の木のある家』という童話の中で、出産は命がけだと母親が娘に話す場面があったことでしょうか。
だから不幸にして母を失った乳飲み子の父親が「貰い乳」をして歩くということが江戸ではよくあったのでしょう。

無償の好意で行われる「貰い乳」ばかりではありません。
お乳の出る女性はお金で、その行為を売ったり、取りまとめる口入屋もあったとか。
口入屋ではお乳の出方、お乳の大きさなどで乳母(うば、めのと)のランク付けがあり、価格も異なったそうです。

東北では、強制的に武家の子息のために、農家から乳母を奉公させたそうです。
それも遠い村からでも徴用させた。手弁当と徒歩で乳母を武家屋敷まで来させたのです。
ひどい話ですね。
お乳の搾取ですよ。文字通りの。

日本では乳牛とか家畜の乳の利用の文化が根付かなかったのもあるのかもしれない。
これはあたしの思ったことだけど。
開国後には、壷井栄さんの作品にも登場するように、農家は乳児のためにヤギを飼って乳を搾って飲ませたとありましたから。

それとこの本で、おもしろいことが指摘されています。
それは江戸時代の離乳期までが長いということ。
五つくらいのお子さんでもおっぱいを吸わせていたとか。
というのも、あまりに早い離乳は早死にしたり、発育不良になると信じられていたそうです。

そして「母乳」という言葉は大正時代に入ってできたもので、昔から日本では母親が必ずしも乳を子のために出す必要はなかったのです。
「貰い乳」という赤の他人のお乳で育ててもなんの不都合もない。
いや、むしろ、そうやって母親の負担軽減になっていたのかもしれない。
今は、「母乳で育てなければいけない」みたいな、窮屈な考え方を持つ医師や看護師までいて、新米お母さんを追い詰めているらしい。
全くそんなことはないということを江戸時代の庶民が教えてくれているんですね。
お乳が出なけりゃ、出る人からもらえばいい。
また、ヤギや牛の乳でもなんらかまわないし、今はちゃんと粉ミルクがあるじゃないか。
動物園の飼育でも母親の授乳が期待できない場合には人工乳を用いますからね。
もっと科学を信じましょうよ。
と、授乳もしたことないあたしが言うのもなんだけど。
ただし、科学は「疑うこと」だということも忘れずに。
自分で調べ、客観的に評価して、人に頼らずに自分の考えで子育てしてください。
他人はいろいろ勝手なことを言うものですから。

この本、買ってみよう。