山本五十六聯合艦隊司令長官はハワイ作戦の攻撃目標の地を「真珠港」と言った。
アメリカが"Pearl Harbor"と綴っているので、英語がわかる長官は直訳したのである。
実際、「湾」ではなく、入江にできた「港」であることは、ここに来れば理解できる。

あたしは、日本料理店「春潮楼」のテラスに腰掛けて、真珠湾を見下ろしながら、奥田乙治郎布哇(ハワイ)総領事代理から、かつて聞いた話を思いだしていた。

奥田さんは、ドイツ人の雇われスパイのオットー・クーンに、いつも金を無心されていて、不満をこぼしていらっしゃった。
クーンという男は、何事においてもだらしなく、あたしにはとてもスパイが務まるとは思えなかった。

前に、郡司とかいう年配の総領事がいたのだけれど、どういうわけか突然、日本に召喚されてしまった。
で、総領事が不在のまま、奥田さんが「代理」ということになっていた。
そして、新しく総領事として赴任したのが喜多長雄氏だった。
スパイ仲間の「森村」こと吉川猛夫大佐が言うには、郡司元総領事は生真面目すぎて、諜報活動を潔しとしないカタブツだったから、小川さんに疎まれたんだということだった。
小川さんというのは、あたしたちハワイスパイ団の長、小川貫爾大佐のことだ。

森村とは、ほぼ一緒に暮らし、寝食をともにしていた。
二十八の若い男は、さかりのついたイヌのようなもので、毎晩あたしを抱きたがった。
神経を使う仕事であるから、癒やしたくなるという心理もわからなくはない。
森村も本土に帰れば、妻や子がいるとあたしは勝手に思っているが、そういうことを一切話さない、まことにスパイにふさわしい寡黙な男ではあった。
ただ、あたしが「誰と寝た」だとか、「どんなだった」とか、そういうことを執拗に聞きたがるという変質的なところがあった。

「エンタープライズ(米空母、以下同じ)は、ハワイ周辺で演習中ですって」
「サラトガの情報はあるかね?」
「うわさでは、サンジエゴでドックイン(修理)だとか」
「港には戦艦がやたら多いな」
「あんなもんじゃないの?」
「いや、多い。演習に参加する様子もない」
「あとは、ホーネットだ」
「大西洋艦隊に所属しているワスプ、ヨークタウン、レンジャーとともに大西洋にあると思います」
「レキシントンはミッドウェイに派遣されていると水兵たちは言っている」
あたしと森村、クーンはこうやって情報交換をしていた。

九月に入ると、どうも大本営が真珠港を攻撃するのではないかということが信ぴょう性をもって、あたしたちの間で語られるようになった。
それまでも、そういう話はしていたし、第一、あたしたちの仕事が「真珠港攻撃」のためにやっている自覚はあった。

クーンは酒浸りで、ますます使えない男になり下がっていた。
あたしは、好みではないので、彼と寝たこともない。
もっとも、彼の方からあたしにちょっかい出してくることもなかったけれど。

「森村さん、クーンのことだけど」
「あいつがどうかしたか?」
「あまり信用しないほうがいいわ。口が軽そうだし。シラフのときが少ないし」
「そうだな。おれたちだけで動くか」
「そうしましょうよ」
あたしたちは、いつしか、クーン抜きで諜報活動にあたるようになった。
米軍の将官クラブに出入りできるのは、喜多総領事と愛人のあたしだけだった。
あたしの父、横山高雄も数少ない日系名士としてクラブに招かれることはあった。

横山商会は、ハワイで発酵法メチルアルコールを扱っていた。
これは、航空燃料に添加するので、そのうち需要が爆発的に増えると見込んでのことだった。
もともとあたしたち横山子爵家は、満州で業を興し、砲金を扱って陸軍に儲けさせてもらっていた。
今も、砲金や薬莢材が主な商いだけれど、あたしが物心つくころにはハワイでコーヒー豆の商売を始めていた。
海軍がコーヒー豆を大量に買うのを知ったからだ。
そして、メチルである。
父は、メチルアルコールのことを「メチル」と呼んでいた。

「お父さん、ハワイで戦争になるかもしれない」
あたしは、とうとう父に秘密をうちあけた。
父はさして驚きもせず、
「そうか、だめかもしれんなメチルの商売」
「引き上げるの?」
「仏印(フランス領インドシナ)に拠点を移すか…」
「蒋介石と手を結ぶの?知れるとひどいことされるんじゃないの?」
「知り合いはたくさんいるほうがいい」
「あたし、児玉誉士夫さんに取り入って商売した方がいいと思うの」
「尚子は児玉機関を知っているのか?」
「知ってるもなにも、母さんから聞いてるわよ」
「おしゃべりめ。尚子は心配せんでいい。お前は東京に帰ったら、学校に戻って、勉強しなさい」
「いやよ」
「跡継ぎにふさわしい教育を受けてもらう」
ちょっと怖い顔で、父さんがあたしに言った。

十月も終わりのころ、あたしたち横山商会は本土に引き上げることになった。
喜多総領事は大変残念がったが、お餞別までいただいて、あたしはオアフ島を後にすることになった。
引き上げる前日の夜、森村は、名残惜しそうに、何度もあたしを求めた。
手持ちのサックがなくなって、米兵のサックをつけたらぶかぶかで、しょうがないから、生でやらせてあげた。

ハワイ作戦は、もう確実となっているようだった。
ルーズベルト大統領と野村吉三郎駐米大使はぎりぎりまで折衝しているという。
このままほんとうに戦争になるのだろうか?

父は、あたしの素朴な疑問に、
「国連を脱退したころから、戦争になると思っとった」
と答え、
「石油を止められたら、もう戦争になる。だからメチルがいるのだ」
そう続けた。
「メチルは仏印でも、満州でもやれる」
帰りの貨客船のデッキで、遠ざかる見慣れたダイヤモンドヘッドを眺めながら、父は言った。

さようなら、布哇(ハワイ)。
さようなら、パールハーバー。