今日の「クローズアップ現代」は、東日本大震災の当時中学三年生だった若者が今春、成人式を迎えて、どのような気持ちで新な生活を送っているのかを取り上げていました。
そう、明日は、東日本大震災から丸五年が経った日です。

あの時、十五の春を迎えた少年少女は、今年、二十歳になった…

津波で親友を亡くし、親を亡くした彼らは、悲しみを胸に、これまで、様々な場所で生きていた。

卒業式に息子の遺影を抱いて出席した父親もいました。

卒業し、ぞれぞれの進路を取って船出した彼らを追います。

A子さんは、親友のB子さんを津波で失いました。
B子さんの亡骸(なきがら)に会わせてくれろと、泣き叫んで叶わなかったあの日。
B子さんの分まで高校生活を楽しもうと、いろんな行事に参加し、部活に参加し、「背負う」ことで前を向いて生きようとしたA子。
A子さんは、高校を卒業し、仙台市で写真館の見習いをしながら一人暮らしをする二十歳のお嬢さんに成長しました。
「人々の想い出を作る手伝いをしたい」
その動機が、彼女をこの職業を選ばせたそうです。
そして、その忙しい生活の中で、B子さんのことを思い出す機会が減ったと言います。
もう、自分の道をしっかりを歩いているA子さんは、B子さんのために生きているという使命を少し下ろしたようです。
それは正常なことだと思います。
なにも、亡くなったB子さんを軽んじているわけではない。
B子さんだって、天国から、一人、歩き出したA子さんを応援しているに違いない。
第一、ちゃんと節目節目で、B子さんとの楽しかった日々を、DVDに記録してある動画を再生して思い出している。
それでいい。
忘れたわけではないのです。
亡くなった人を、生きている人が忘れてしまったとき、本当にその人は死んでしまったことになると聞いたことがあります。
思い出せるうちは、あなたの心に、あの人は生き続けているんだと。

C君は、お父さんを津波で亡くしました。
ただ、卒業式の時はその安否はまだわからなかった。
卒業式からまもなく、父の亡骸が発見された。
お葬式でも泣かなかったC君。
火葬場で、棺の扉を閉じ、炉に棺を入れ、点火ボタンを押したとき、
「もう、泣いてもいいんだ」と思い、号泣したと言います。
気丈にも、母の前で涙を見せないとこらえていたんだね。
なんて強いんだ、君は。

母は、傷心し、C君が励ました。
兄と一緒に家を支えるたくましい男になりました。
C君は高校に入学し、勉強に、ラグビーに勤しみます。
ただ、父の遺影を見るのを避けていました。
父を自分の中でちゃんと捉えられない。
あの卒業式のあと、父や母に渡すべき、感謝の言葉を記した作品があったのです。
「父さん、あんたの子でよかった」
そう書かれていました。
C君は横浜で、大学に通い、自炊をしています。
父がかつて、母の代わりに弁当をつくってくれたこと、教えてくれたことが、一人暮らしをするようになって、役に立っている。
父が後ろから支えてくれているような気がすると言っていました。
なによりだと思います。
天国のお父さんも安心だ。

A子さんやC君、ほかの中学時代の同級生が成人して集まり、津波で亡くなった同級生の両親を訪ねようと企画します。
あの息子の遺影を抱いて卒業式に参列したお父さんの家です。
生前の彼は、野球部のエースで、勉強もできました。

そんな息子を津波で亡くし、生きていれば彼らと同じ、成人して父と酒を酌み交わす年齢になっているはずです。
だから、会うのは、憚(はばか)られました。
お父さんだって、つらいはずだから。

しかし、五年という月日は、息子を亡くしたお父さんの心もほぐしていました。
「みんなで、いらっしゃい。妻と一緒に、息子の好物でおもてなしをするから」
と、快諾してくれたんです。

本当なら、息子と祝う、成人の日。
息子の親友たちが、息子の代わりに、その日を演出してくれた。
わだかまりなく、若人と語らいあう夫婦が、あたしの涙を誘いました。
叶えられなかったはずの、息子との成人式の乾杯。
それが、息子の親友たちによって、はからずも叶えられたのです。

「これからも、こうして来てくれよ」
父は、息子の友人たちにそう言って、送り出しました。

あしたは、震災の日。
亡くなった人に思いを馳せ、自分がしっかり生きていることを感謝する日です。