「自衛隊は軍隊か?」という問いかけは、自衛隊が日本に生まれたころからあった。
私も大学生のころ、民青同盟の末席を汚していたので、この命題に何度も挑んだものだ。

私も年齢を重ね、自衛隊のさまざまな活躍を目にするにおよんで、自分自身の中で自衛隊に関する捉え方も変わってきた。
自衛隊を語るうえで日本国憲法前文と九条は避けて通れないという認識において安倍晋三も、私も同じである。
彼は、この前文と九条を邪魔と考え、私はこの二つがあるからこそ平和憲法たる要件だと思っている。
憲法前文と九条を対立軸に、右派と左派が分かれるというような単純なものではない。
むしろ、改憲派か護憲派かの対立軸としてとらえることが大事だ。

憲法談義はそれくらいにして、自衛隊が軍隊なのかどうかの試論をしてみたい。
自衛隊は、知られているように警察予備隊が元祖である。
日本が太平洋戦争で敗北し、米軍によって統治下におかれた。
そのときのマッカーサー元帥の指導の下、幣原喜重郎らの日本人閣僚によって新憲法が制定された。
これをアメリカの押し付けと見るかどうかは、この際どうでも良いことだ。
憲法内容が、戦争放棄となっているだけでも十分だったのである。
連合国側は、日本が再び軍国主義に向かうことを極めて恐れており、そして朝鮮半島が共産圏に支配されようとしてきており、日本の赤化も懸念した。
朝鮮動乱(朝鮮戦争)は共産国のソ連と中国の干渉で北部から南部(韓国)に侵攻が進んだ。
このような半島の状況下で日本の立ち位置は「最前線」としてアメリカも軍事的に重要視しており、このまま半島が共産圏に押し切られたら、最後は日本列島も奪取されるという危機に陥る。
マッカーサーは、朝鮮動乱の指揮のまずさから解任され、本国に召還されるが、日本の再軍備は進められることになる。
※マッカーサーの作戦のまずさもあったが、米軍が韓国軍に貸与した兵器が第二次世界大戦で使われた旧式なものだったことも原因とされる。対してソ連が北朝鮮側に貸与した兵器は最新のものだった。

朝鮮動乱に乗じた日本の再軍備は、米軍の沖縄駐留と警察予備隊の組織に始まる。
警察権ならば、軍備とは言えないだろうという考え方があった。
今も、海上保安庁と海上自衛隊のすみ分けはこの頃の名残を引きずっている。

警察予備隊は途中、名前を変えつつ、組織を日米安保条約に応じて大きく育て、自衛隊と名を変えた。
自衛隊は三軍に当たる、陸上、海上、航空と役割分担され、さながら軍隊と同格に見られる。
日本に脅威を覚える中国や韓国、北朝鮮、ロシアは自衛隊を軍隊だとみて、現在も非常に警戒している。

私は、しかし、自衛隊は根本的に軍隊ではないと考える者である。
モノだけ見れば、その軍備は自衛権を主張するには重装備だと思えなくもない。
とはいえ、運用は限定的で、攻撃や侵略のために用いることは厳しく禁止されている。
海上自衛隊の艦船は「護衛艦」であり、攻撃性が排除されている。
運用の仕方如何によっては、攻撃にも使えるのだが、憲法によって戒められている。
自衛官は国家公務員であって兵隊ではない。
だから、上官も昔の軍人のような命令は出せないのだ。
いくら兵器を有しているからといっても、クーデターを起こすこともできない公務員集団である。
その点は警察官と変わらない。
私の友人に大久保駐屯地に勤務する自衛官がいるが、軍人らしいところはまったくない。
どこからみても公務員であり、体が屈強だというだけで、それなら消防官と変わらない。

とはいえ災害救援の集団としては比類なきプロ集団である。
まさに「自衛隊」の名に恥じない働きぶりであり、報道でも見ることができる。
そういった災害に対する「作戦」の立案、行動は日ごろから銃器の扱い以上に訓練されるそうだ。
国民を生命と財産を一番に守ると、彼らは口をそろえる。
昔の軍国主義の兵隊さんとはまったく違った思想がここにある。
我々は、安心していいのかもしれない。

確かに人を殺傷するための銃器を保持していることは事実だ。
しかしそれは暴徒に対する威嚇のためのもので、最終的には自分や国民を守るための正当防衛や緊急避難的に用いられるものだ。
これは、小銃からイージス艦にまで通底する考え方だ。

だから、幕僚たちに侵略のためのミッションやスキルは求められていないし、日米共同訓練でも自衛隊が担う部分は戦術的なものであって、戦略的なものはない。

日本にアメリカ海兵隊のような「切り込み部隊」がないのもその表れだろう。

日本政府は、自衛隊の運用を交戦権ではなく、自衛権の範囲で収めようとしている。
これは安倍晋三首相も同じだと思う。
ただ自衛隊が違憲状態におかれ、その働きに報いられないことに忸怩たる思いがあって、憲法に明記したいというだけらしい。
私は憲法に明記したからと言って、自衛隊の存在理由が確固たるものになるとは思わない。
警察権の延長に自衛隊があるのなら、もとより合憲ではないか。
自衛隊は、周辺国がどう思おうと軍隊ではないのだから、彼らを侵略するような兵力や作戦も持ち合わせていないと政府も明言している。
護衛艦「いずも」が空母に近い兵装になったからといって、直ちに攻撃性が増して攻撃空母を保有したかに報道されるのは、好ましくない。
航空戦力(戦力と言う言い方がよくないが)は、近年、その必要性が増している。
海上において、航空機動力を強化するには「いずも」のような艦船も必要なのだ。

自衛隊には、災害支援のほかに、対外的に威嚇の効果があることは無視できない。
私も、これは認めたくないが、認めざるを得ない。
威嚇のための戦力も保持してはならないのが日本国憲法の示すところだからだ。
しかし「威嚇」が「自衛」になることも事実だ。
警察官が拳銃を所持するのと同じである。
その威嚇が過度にならないように、門構えや塀を堅固にするくらいのものであればよいが、どうやらアメリカの高価な装備を買わされる口実にもなっているのが口惜しい。

それでも、私は自衛隊を軍隊とは思いたくない。
日本の主権の防衛のためには必要最低限の装備で自衛権を行使するにとどめ、災害救助のためには自国のためだけではなく、世界の人々のために最大の装備と技術で対応してほしい。

私からは以上です。