フィールド・サーベイが終わってしばらく、あたしはどうかしていたようだ。
母から、
「合宿から帰ってから、あんた、ずっと、ぼけーっとしてるなぁ」
「そ、そうかぁ?夏バテかな」
「ええ若いもんが、なにぬかす」
母は、口が悪い。

しかし、原因はあたしが一番よくわかっている。
「長谷川さんからしたら、あたしは妹みたいなもんなんかなぁ。お兄ちゃんかぁ、それもええなあ」
「これが恋というものかしら」
などと乙女チックに独り言をつぶやいたりしてしまう。
父にでも聞かれたら大ごとだ。

無線なんかする気も起らなかった。
そういえば、西村さんが、FSでワンゲルの小野先生とつながったって喜んでいた。
「野口五郎岳」という冗談みたいな名前の山頂から、小野先生のパーティは発放(電波を出す)していたらしい。

つけっぱなしのライナー2DXから144.15MHzであたしを呼ぶ者があった。
科学部の先輩の佐野浩二さんだ。
この周波数はSSBという電波形式の呼び出し用として慣習になっているものだ。
あたしはマイクを取った。
「了解です。こちらJF3***、ジュリエイト、フォックストロット、ナンバースリー…」
「ポイント20にQRV(移動)してください。どうぞ」
「了解です」
呼び出し周波数で長々と話すことは禁じられているので、空きチャンネルの144.20MHzに移動するように佐野さんから指示があったわけだ。
「JF3*** こちらはJR3Y**オペレータの佐野です…」
音声がちょっとずれているので、RIT(リット)ダイヤルで調整する。
チャンネル式は水晶発振器なので送信周波数を動かすことができないから、受信周波数だけを少し動かして相手に合わすことでよく聞こえるようになる。それがRITだ。
VFO式のトランシーバならダイヤルなのでそれで微調整できるが、こちらの送信周波数だって動いてしまう。
車載機はそういうわずらわしさを除くためにテレビのようにチャンネル式になっているのだ。

「なおぼん、今日の晩、みんなで屋上に集合することになってんねん。天文観測会や、おいでぇな。どうぞ」
「了解です。長谷川さんも来られますか?どうぞ」
あたしは、なぜ,、とっさにそんなことを訊いたのだろう?
「もちろん、長谷川も来るよ。山本先生といっしょに。どうぞー」
山本先生と一緒に?
どうしてだろう。
妙に最後の佐野さんの言い方が気になった。
「了解です。二十時目指して、学校に向かいます。どうぞ」

八月半ばの十九時(アマチュア無線家は二十四時間制で言うのがしきたり)はまだ明るい。
母の許しを得て、あたしは学校に向かって自転車を漕いでいた。
晩御飯はそうめんだったので、さっさと平らげて、おなかがタポタポしている。
校門に滑り込んで、ピロティに自転車を停めた。
校庭ではまだ野球部やテニス部が練習をしているようだった。
カポーン、カポーンとボールを打つ音が軽快に響いていた。

「おう、高安。今頃なんやねん」
同じクラスの赤松義男が競泳水着姿で声をかけてきた。
さすがに水泳部員らしく、腹筋が割れて、たくましい体を見せつけてくれる。
あたしは、目のやり場に困り、下を向いて、
「科学部の集まりで…」
「へえ、こんな時間に?」
「天体観測するって先輩が」
「そっか、今日はよう見えるで、暑かったもんな。ほな」
ビーチサンダルの音が遠ざかっていった。

あたしは階段を駆け上がって、屋上出口に向かった。
外へのドアは開いていた。
夕焼けが終わりかけで、空は紫に染まっている。
もう秋の風が感じられた。
六甲山系が遠くにかすんでいる。
端の方から人の声がしたので、そっちに歩いて行った。
白い筒の望遠鏡が浮かび上がる。
数人の人影もうごめいていた。
「こんばんは」
あたしは、声をかけた。
「おう、来たな」佐野さんが振り向く。
市原君も来ていた。
長谷川さんと山本先生の姿は見えなかった。

天文が好きな柏木さんが望遠鏡を調整している。
「反射望遠鏡はな、筒の中の気温が見え方に影響するんや」などと、市原君に説明していた。

西村さんは、屋上に上がった機会にと、アマチュア無線のアンテナをしきりに点検している。
「おい、佐野って、このGP(グランドプレーンアンテナ)の同軸、雨が入ってるんとちゃう?」
「ビニテでしっかり巻いてへんのかいな。どこやな」
薄暮があたりを包み始め、お互いの顔もよくわからなくなっていた。
「今日は月齢が十九で半月です。下弦の月は夜中にならないと東から上ってきませんので、星の観測には今の時間が最適です」
柏木さんが説明する。
なるほど、月が出ていない。
街の明かりが邪魔するというのだが、門真の南部は蓮池(レンコン畑)がまだたくさん残っているので環境は良い方らしい。

「みんな来てるわね。はい差し入れ」
山本真理子先生の声が後ろから聞こえた。
あたしも、みんなも振り向いた。
長谷川さんがそばに立って、荷物を持っている。
「うわ、モスバーガーですやん」
と、誰かが声をあげた。
「おい、西村、ランタン持ってこいや」
「ほ~い」
あたしは、それよりも、長谷川さんが山本先生と仲睦まじくしているのが気になった。

なんか、夫婦みたい…

あたしは、面白くなかった。