ここは南米に近いのだろうか?
少なくとも日本列島よりは、少しだけ南米に近いかもしれない。
中南米のラジオ局が良く聞こえる。
古いハリクラフターズS-38という短波専用ラジオが、フォルクローレを聴かせてくれる。
アンテナは、灯台の裏手にあるガジュマルの木に引っかけた被覆銅線だ。
郷愁を誘うこの旋律は、日本人にもなじみが深い。
環太平洋に暮らす同胞の血がそのような感覚を与えるのかもしれなかった。
「あ、これは『花祭り』だわ」
踊り出したくなるようなこの曲は、フォルクローレを代表するものだった。
ウニャ・ラモスのものが有名なのだが、誰のでも楽しい。
私は『コンドルは飛んで行く』と同じくらいこの曲が好きだ。

実は、私は「ケーナ」というインディオの民族楽器を持っている。
これは葦のような、竹のような植物の筒でできた「たて笛」である。
ただ、リコーダーのように息を吹き込んだら音が出るという簡単なものではない。
自分の唇が笛の一部になって音が出るようになっているのだ。
つまり、空き瓶の口を吹くと「ぼぉ~」と鳴るが、そういう原理で音が出るのである。
だから、この笛は見たところ単なる筒でしかない。
口を当てるところを少し削いであるのが、笛たる特徴となっている。
音を出せるようになるまで、かなり練習をしなければならないのである。
音が出るようになると、哀愁を帯びた、独特の響きを奏でることができる。
私は、ほかにオカリーナも持っているので、寂しさを紛らわせることができている。
しゃべる相手もマーシャル以外にないこの孤島では、楽器が唯一の対話の装置だ。
これで私は「存在」と話すことができるような気がする。

「存在」は自身でもあり、他者でもある。
不可分か?可分か?
そのいずれでもあり、いずれでもない。

すると「ケーナ」によるパッヘルベルの『カノン』がラジオから流れ出した。
フォルクローレアレンジのクラシックも良いものだ。
パッヘルベルが今も生きていたらどう思っているだろう。
世界の人々がこのカノンをさまざまな楽器で奏でている。
カノンロック』もそうだ。
もしかしたらベートーベンやモーツァルトよりも演奏されているかもしれない。