私は、当ブログ「電子殻と電子軌道」で電子殻に小軌道(亜殻)が含まれているという表現をしました。
それが合っているとか、間違っているとかは、この際、どうでもいいと言えば投げやりな感じもしますが、本来、電子殻も電子軌道も人間の思考の産物なんですね。

だから、一番いい表現というのはないわけで、自分が良いと思っても、他人は「なんじゃそりゃ」と思わないとも限らないのです。

私がここで、これだけは間違ってはいけないなと思うのは、電子殻にしろ、電子軌道にしろ、地球と月の関係とは全く異なるのだということです。
つまり「逆二乗の法則」には従わないのが量子の世界であり、それこそが原子核と電子の関係なんですよ。
「逆二乗の法則」とは万有引力の法則やクーロンの法則のように質点(しってん)の間に働く作用・反作用の力学であり、質点間の距離の二乗に反比例した力の作用が働くことをいいます。
これらの法則の式中の分母側に距離の二乗項が入っているので「逆二乗」と言うのです。
この式の言わんとするところは、等速円運動に見える地球と人工衛星の関係でも、だんだんに人工衛星の推力が地球の引力によって失われ、人工衛星の軌道はらせんを描いて、地球に落下してしまうのです。
これは人工衛星の質量が地球のそれより極端に小さいからですが、あの月でさえ、何億年後には地球と衝突するという学者もいます(アイダホ大学のジェイソン・バーンズ博士)。
つまり一般論では月と地球の引力と遠心力が釣り合って、月は地球に衝突しないとされていますが、年に3.8㎝ずつ月は地球から遠ざかっているから、地球に落ちてこないという説もあります。
バーンズ博士は、地球の自転周期と月の公転周期が釣り合ったとき、地球の引力が月の引力と遠心力の合力を上回って、月が地球に近づきだすと言います。

いずれにせよ、古典力学では、引力と遠心力の作用で円軌道を回る質点は、その力のつり合いを欠くと外へ飛び出すか、内側へ引っ張られて中心へ向かって落下するのだと説明されます。

ところが電子殻は違います。
電子はエネルギーを持っていますが、電子の遠心力や核の引力というものとは無縁です。
電子のエネルギーはその軌道のエネルギー準位で決まります。
なお電子ボルト(eV)は電子一個を1Vの電圧で加速したときのエネルギーのことであって、エネルギー準位のことではありません。

エネルギー準位とは原子核から一定の距離の軌道をいい、その距離が不変であることがそもそも古典力学と異なるのです。
電子がそこに無くても、軌道は用意されていて、だからこそ「とびとびの値を持つ」と言われるのです。
もし「逆二乗の法則」に電子も従うのだったら、電子軌道は連続的に変化し、決して「とびとびの値」を持たないことになります。

水素原子にはK殻しか電子軌道はありませんが、ちゃんとL殻やM殻も用意されているのです。
電子の存在する電子殻がK殻しかないというだけです。
だから外から光エネルギーを水素原子に与えて、K殻の電子をL殻にまで軌道を持ち上げることができます。
エネルギーの供給が止まると、電子は元の軌道に落ちます。
その時に一定の波長の光を放つのでスペクトルには輝線として現れます。
この輝線の系列をライマン系列、バルマー系列、パッシェン系列などと呼ぶのです。
これらの系列は見事にリュードベリの式がはじき出す値と一致します。
ニルス・ボーアが、水素原子のスペクトルがリュードベリの式に従う理由を説明づけました。

このように電子はエネルギーを得たり失ったりして、エネルギー準位の異なる軌道を行き来するだけで、円運動をしているわけではないのです。

日本語で「軌道」といえば「レール」を意味します。
英語の「orbital」では連続的な「軌跡」を表しているように思えます。
電子軌道はまさに「すでに敷かれたレール」に似ています。
電子(電車)がなくても、レール(軌道)は存在しているし、そのレールのないところには電車(電子)は行けないのです。
一方で、地球と月や人工衛星の関係は「軌跡」を描く関係です。
つまり、お互いの力関係で、どのようにも描けてしまうのです。

電子軌道はとびとびのエネルギー準位にレールが敷かれて、それに乗っかって原子核の周りに、ある確率で存在しているのです。
それがあたかも「回っている」かのように説明する向きもありますが、その動きや位置は不確定性原理によって知ることはできません。
電子の現在位置とか運動量なんてものは考えることができないのです。

すると電子軌道とは電子の存在確率の高い「エネルギー準位」であると言い換えることができませんかね?