ああ、いい天気だ。

私は読みかけの「エセ―」を閉じて伸びをした。
このモンテーニュの大著は、一生のうちで一度は読むべきとされている。
この灯台の書庫(それは名ばかりの物置だが)の一等目立つ場所に積まれていた。
前任者が最期に読んでいたものかもしれなかった。

さざ波が打ち寄せ、海鳥がかん高かい声をあげている。
「けり」に似た鳴き声の鳥はなんという鳥だろう?

モンテーニュは言う。
「われわれに対して怒った人たちが復讐を手にしてわれわれを自由自在にできるとき、彼らの心をやわらげるもっとも普通の方法は、降伏して、彼らの同情と憐憫の情を動かすことである」
と説き、その反対の例をつらつら挙げる。
彼は「憐憫の情」を相手に求めることや、自身が憐憫の情を起こして敗者を助けることを良しとしないようだ。
そういう「弱い心」はストア学派以来、賢者はそういうものを持つべきではないというのだ。
最愛のものを失う時の「悲しみの心」なども表に出すものではないと。

モンテーニュの時代、またはそれより昔の時代もだが、人々は戦いに明け暮れていた。
欧州大陸はまさに戦火にまみれていたのだろう。
言葉もわからぬ相手と闘い、殺し合うのは当然のことだった。
さもなければ、負けた方は奴隷として連れていかれる。

そういう「血で血を洗う」世の中で、唯一、信じられることは「勇猛果敢」で敵に訴えることなのかもしれない。
死をものともしない「不屈の精神」こそ、どの国の戦士にも通底して、感銘を与えるようだ。
もっともモンテーニュによれば、アレクサンドロス大王には通用しなかったようだが。

「エセ―」は「随想録」と訳されるけれども、その後「つれづれなるまま」に書かれるものは「エッセイ」とか「随筆」と軽く扱われる。
モンテーニュに比肩される日本の随筆家は鴨長明だそうだ。
わからなくはないが、吉田兼好の「徒然草」だってそうだろうし、清少納言の「枕草子」だって比肩されていい。

とはいえ、モンテーニュが「エセ―」をものした心意気は生半可なものではなかったようだ。
彼の大著は何度も作者自身によって稿を改められ、付け足された。
「随筆」などと簡単に片づけられない書物なのである。

あくまでも「エセ―」はモンテーニュの「私的なもの」だという断りから始まるこの書物には、いったい何が書かれてあるのだろう?
読む者に好奇心を掻き立てさせる書き出しだ。

私は午睡から目覚め、尿意を覚えたので草むらにしゃがんで用を足した。
すると、沖にマーシャルの舟が小さく見えた。

「いっけない…マーシャルが水を持ってきてくれる日だったわ」
あたしはそそくさと、つぎはぎだらけのズボンを上げ足早に灯台に戻った。

もう砂浜に舳先を乗り上げて、板を渡し、ジェリカンに入った水を両手に下げて、たくましいマーシャルが下船してきた。
「やあ!」
「おはよう」
あたしは手を振って応えた。
つかの間の、楽しいひと時が始まる…