妻の澄江(すみえ)が亡くなって、四十九日法要も過ぎた。
子供がいないおれは、一人ぽつねんと家に取り残された。

寂寥(せきりょう)感がおれの心をひたひたと水没を待つ船のように満たしてきている。

長い介護生活だった。
「やっと終わったのだ」という開放された気持ちがあってしかるべきなのに、どういうことなのだろうか?

借りていた介護用ベッドや車椅子は業者が引き取ってしまい、妻の部屋は空間が目立った。
あんなに物が積んであったのに、妹の規子(のりこ)があらかた始末してくれたのだ。
このたびのことで、規子夫婦には、大変世話になった。

澄江の両親は先に亡くなっていて、彼女の兄という人がいるのだが、栃木に住んでいることもあって葬儀で会ったきりである。
おれも彼女も親戚付き合いがないのだった。
おれの両親も病弱なので手伝わせるのはためらわれた。
だから、規子たちには感謝している。

テーブルの上のケータイが鳴った。
手に取ると、規子からだった。
「もしもし・・・」
「兄ちゃん?あたし」
「おう。どうした?」
「今日は、いるん?」「いるよ。土曜日は休みやから」
「じゃあ、今晩、ご飯のしたくしたげるわ。何がええ?」
「ええんか?聡(さとし)君も来るんか」
「だんなは今日から一泊で会社の人とゴルフやねん」
「ふうん。そうか。水炊きでええよ」
「かしわのか?お安い御用や。ほな、五時ごろ行くわ」
そうして電話は切れた。

規子も夫婦二人暮らしだった。
息子が一人いるが、すでに所帯を持って別に暮らしている。

五時を十分ほど過ぎたころ呼び鈴が鳴った。
インターホン代わりの電話の子機で返事をすると、妹の声が元気に聞こえてきた。
「こんちはーっ!」
「開いてるよ」

がらがらと引き戸が開いて、やや中年太りの妹が両手にレジ袋を持って入ってきた。
「今日もあったかいなぁ」
そう言いながら、玄関で履物を脱いでいた。
「なんや、ようけ買うて来たんやな」
「お酒ないやろ?缶ビールと焼酎も安かったから」
ばたばたとキッチンに消える妹。
「お前が飲むんやろ?どうせ」
「兄ちゃんも飲んでや。義姉(ねえ)さんのことでゆっくりできんかったやろ?」
「もう四十九日も過ぎたんや。ゆっくりっていうか、ぽっかり穴があいたような毎日や」
「そうかぁ。ま、いっぱい食べて、飲んで。あたし泊まっていくし」
「一人やもんな。しかし、着替えとかないで」
「車に積んできた。お布団くらいあるやろ?」
規子は軽に乗っている。自分のだそうだ。
「ほなら、用意するわ。兄ちゃんはテレビでも見ててぇな」
「ほーい」
おれは、しっかりした妹に任せて居間に戻った。
読みかけの新聞を広げて、老眼鏡をかけた。
将棋欄を見ていたのだった。
おれの少ない趣味の一つだった。