元夫の徹(とおる)の嫌がらせがかなりひどくなっていた。
無言電話などは可愛いほうである。
あたしの両親にまで、危害が加えられそうになったので警察に届け出た。
一応、ストーカー防止法に則った調書を取られ、徹に勧告がなされた。
しばらくは、おとなしかったが、電話が始まった。
最初は世間話みたいなものだったが、核心に迫ると、縒(よ)りを戻したいとか、心を入れ替えたとか、しおらしいことを言う。
あたしは信じなかった。

食べていくために、夜の仕事に出るようになって、蒲生(がもう)という男に店で知り合った。
あたしより二つ三つ年上で、口数の少ない男だったが、しゃべると一言一言に重みがあった。
なんでも、裏稼業の男らしい。
それは、チーママに聞いたのだけど。
金払いもいい客なので、あたしも嫌いじゃなかった。
陰のある男に、あたしは惹かれていた。
徹にはない、男気があった。
あたしは、オフの日も彼に会うことが増え、次第に深い仲になっていった。

蒲生は店のみんなからは「譲二さん」と呼ばれていた。
あたしが彼と付き合っているのも店では半ば公認となっていた。

情事の後、元夫のストーキングの話をした。
蒲生は、「ふん」と言いながら、あたしの一方的な話を聞いていた。
興味はなさそうだった。
「殺しゃいい」
「え?」
「殺っちまえよ。一思いに。でないとずっと付きまとわれて、しまいには取り返しの付かないことになるぜ」
「そんなぁ」
「怖いのか」
「だって」
「女には難しいかもしれないな。でも銃を使えば殺れるぜ」
「警察に言ってあるし」
「あてになるか」
吐き捨てるように彼は言った。
「あいつらは、なおぼんにはなんの協力もしちゃくれねえぜ」
「そうかなぁ」
「甘いな」

数日後、蒲生に呼ばれたあたしは彼の部屋で、拳銃を渡された。
「コルト・ガバメントだ」
黒光りする、重い無粋な鉄の塊があたしの手に載せられた。
「重たい・・・」
「銃口を下に向けておけよ。ここが安全装置だ」
その日は、それだけだった。
あたしは、やっぱり拳銃を持って帰るのは断った。

別れ際に蒲生が、
「なおぼん、パスポートを持ってるか?」
いきなり、そんなことを訊いてきた。
「あるよ」
去年、香港に友人と旅行したときに取得したものだった。
「来週の土日で韓国に行こう」
「えー?」
「金は出してやる」
「でも、なんで」
「俺は仕事があるんだが、お前も来い。そこで実際に銃の撃ち方を教えてやる」

そんな経緯(いきさつ)があって、あたしはインチョン(仁川)からほど近い、シューティングサイトに連れて行かれ、自動拳銃の扱い方を蒲生から習った。

帰国後、あたしの手にはコルト・ガバメントがあった。

徹の嫌がらせは、度を越していた。
家の塀に落書きしたり、植木鉢を壊したり。
現場は見ていないが、あいつの仕業に違いない。
そして、電話がかかってきた。
「もしもし」
「なおこ、もう、俺は死にたいよ。助けてくれ」
「死ねば」
「なんやと!」
いつもこの調子だ。
「なあ、会うてくれ。たのむ」
「ふう・・・。しゃあないな。一度だけ会うたげる」
「ほ、ほんまか?いつやったらええ?」
「明日、海浜公園に晩の九時頃ってどう?」
「そんな遅うにか。まあええわ。ぜったい来てや」
「あんたこそ」
そう言って電話を切った。


ここは、夜の海浜公園の円形劇場。
花崗岩でできた場所は、街灯で照らされている。
夜気がひたひたと満ちていて、息も若干白くなっている。

石造りの観客席に一人の男が立っている。
徹だ。
他に人はいない。
「おう、来たか」
タバコを足元に捨てて、踏み消している。
「久しぶりやね」
「お前、夜の仕事に行ってんねんて」
「食べていかなあかんからね」
コートのポケットにはコルトが入っている。
そんなこととはつゆ知らず、徹はあたしの前に来た。
いやらしい笑みを浮かべて・・・
あたしは、街灯を背にして、彼の後ろに回った。
当然、徹もこちらを向く。
振り向きざまに、あたしはポケットから銃を掴んだ手を抜き、有無を言わせずトリガーを引いた。
乾いた音と、薬莢が石の上を跳ねる「キン」という音が余韻を残した。
遅れてドサリと徹の体躯が崩れた。
静寂が戻った。

至近で撃たれた徹の頭に銃弾が貫通し、頭蓋を割って石壁に脳漿をまき散らした。
白い脳味噌が散らばっている。

あたしは、ハンマーの上がったガバメントを構え、死亡を確認した。

薬莢を拾い、頭が半分飛んでしまった死骸を残して、あたしはその場を足早に去った。

その晩のうちに、蒲生に銃を返し、本懐を遂げたことを伝えた。
「ようやったな。自首するのも勝手やけど、おれのことは言うなよ」
「はい」
「風呂に入って、よう体を洗え。硝煙反応を洗い流しとけよ。じきにサツはお前を疑いだすからな」
そう付け加えて帰っていった。

翌日、テレビでさっそく徹の射殺事件が報道されていた。
その日のうちに、警察があたしを取り調べた。
徹のケータイにあたしとの通話記録が残っていたが死亡の前日のものだった。
しかし、動機はあるにしても、あたしが銃を所持しているとは思っていないらしく、数時間、警察署に留め置かれた後に釈放された。
店にも警察がきたようだが、もとよりあたしと蒲生の関係は誰も口外しなかった。
徹には、借金があり、その関係でトラブルをいくつか抱えていたらしく、その方面で、銃の線条痕から割だそうと懸命だった。
至近距離で頭を正確に撃っていることから、銃の扱いに慣れた暴力団関係者ではないかと睨んでいるとのことだった。

まさか、夫殺しのためにあたしが外国で銃の練習をしてきたなんて、これっぽっちも疑っていない警察だった。

あたしは、せいせいして、晩秋の街を闊歩していた。