「人間は考えるペニスである」とパスカルは言うたとか、言わんとか。
これでは、男子のみが人間であるかのようではないか。
それを言うなら
「人間は考える管(くだ)である」と。
葦(あし)でも管でも変わりはせんがな。

膣のような「盲管(もうかん)」は両方が開存している消化管に比べて、必要性が劣る。
なんとなれば、「なくてもいい」ということになりかねない。

盲腸だってそうではないか。
胆嚢(たんのう)だってそうではないか。

で、ペニスは両端が開存しているし、多用途器官となっています。
すなわち、排尿と射精器官ですね。
膣は、それに比べれば、単一用途器官だ。
おまけに盲管だ。
でも人類の故郷だ。
おお膣よ、子宮というお宮参りの参道(産道)ではないか。

あたしが「人間とは考える管」だというのは、受精後の卵割の折、原口(げんこう)と原肛門(?)が受精卵の両端にできて、中心に向かってくぼんでいって、芯の部分で出会って開通するからです。
どんな動物も同じような発生経路をたどるんですけど、高度に「考える」かどうかは人間のみ。

女は、子宮で物を考える・・・
だれや?そんなあほなことを言うのは。
子宮のない人が聞いたら怒るで、ほんまに。
ただ、各臓器に脳並みのセンシング機能や「考える」みたいな機能も備わっているらしいよ。
胃なんか第二の脳と言われてるし、心臓だって脳とは別に動ける「インデペンデンス」な臓器なんよ。
ペニスに人格がない人もおるしな。

原口と原肛門がつながった、「ちくわ」が人類の原型だとしたら、その後、管は複雑怪奇に発達し、胃袋やら腸やらになり、枝分かれして、すい臓やら肝臓やらができて、中には膣のように本線とは連絡のない経路も発達して人体ができるねん。
あたしの体は、管だらけや。
ほんで、死ぬ間際にも病院で管をいっぱいつながれて、逝くんやなぁ。

セックスも管に管をつっこんでの注入や。
もはや、管なくして人類は語れない。
管管(かんかん)接待やな。

水曜日はな、おばちゃん、ひまなんや。