経済というものは、化学反応に似ている。
その昔、ガルブレイスとかいう、ケインズ学派の経済学者がおった。
ケネディとかリンドン・ジョンソン大統領の時代に活躍した人らしい。
あたしも、彼の著作が日本でよく読まれているので名前くらいは知っている。
石油危機の1977年に、彼の「不確実性の時代」という本はベストセラーにもなったはず。

アメリカの共和党政権、とりわけ新保守とか言われる人々(レーガンとか)にはすこぶる人気がない。
そんな経済学者だけれど、彼のものの見方には、傾聴に値するものも少なくないと思う。

自由市場経済は行き場を失ったのではなかろうか?ともささやかれる今日、次の一歩は「腰をすえて」かからねばならないと思うから。

あたしは、投資家でもないし、金持ちでもない。
どちらかといえば、ブルーカラーのプロレタリアートだ。

その立場で、ガルブレイスに学ぼうというのだ。
彼は、当時(1970年代だと思う)こう言っている。
「アメリカ経済が成功に向かうためには大規模な公共事業、例えば高速道路、教育といった分野への投資が必要」だと。
どっかで聞いた内容だ。
「アメリカ」を「日本」に置き換えてみたまえ。
日本でも言われて久しい。これが正しいかどうかは一概には言えないけれど。
また「生産者側の宣伝によって消費者の本来意識されない欲望がかき立てられる」とも言い、これを「依存効果」と名づけた。
あたしらが日常、よく経験することだ。
ガルブレイスは金融バブルの生成をつぶさに研究して、「その全てに共通する原理はレバレッジ(テコの原理)である」と指摘していました。

レバレッジで大損こいた人々があたしのまわりにもたくさんいます。
自分の金じゃなく、人の金でリスクを買うのだからしかたがない。
救いようがない人々だなぁとつくづく思います。
こんなの正しい投資じゃないよ。

もう亡くなったがレーガンやサッチャーは、ガルブレイスの考えに否定的だった。
それは日本のナカソネやコイズミもそうだった。
そもそも竹中平蔵がそうだった。
アベはどうだろう?

日本の「失われた十年」はフリードマンも、シカゴ学派(竹中平蔵)も、ガルブレイスも予想できなかったけれど。
辛うじて、クルーグマンという経済学者が「ほとんどの経済学者は景気の後退に際して金融緩和を行うと、利率が低下することで民間の投資や消費が増加すると考えていたけれど、利率を下げ続けて、ある水準以下になると流動性の罠(わな)が発生し、マネーサプライ(貨幣供給)をいくら増やしても、民間の投資や消費に火がつかないため、通常の金融政策ではすぐに効力を失うのだ」と指摘していた。
つまりデフレスパイラルが起こって、抜け出せなくなるのだと。
実際、そうだったよね。
今も、抜け出せた?インフレ目標到達で?
※今日と明日のクローズアップ現代(NHK総合)では、企業の人手不足が話題になります。雇用が売り手市場だそうだ。これは良い兆しなのかな?それとも・・・

金融緩和策の一つ「ゼロ金利政策」だったら、投資家は運用資金を貨幣で保有してもいいわけよ。
銀行に預けて預金債権にしても金利がゼロに近いからね。
そうすると、取引は債権ではなく、現金になるでしょう?
投機目的に基づいた貨幣需要が無限大に増大することになるの。
仕方ないから中央銀行(日銀とか)はマネーサプライを増やすけど、それは国民にはなんの恩恵ももたらさないよね。

確かに、景気が後退気味にあるときには、ゼロ金利のような金融緩和を行うと、民間投資を促し、消費も上向くと政府は言うよね。
でも利子が付かないというデメリットが、じきに、金融緩和の効果を失わせていくのよ。
これがヒックスの言う「流動性の罠」と呼ばれる悪循環状態です。
ヒックスもケインズ学派の経済学者でした。

貨幣と債権というのは、等価であってはいけないの。
金利というもので、すこし債権のほうが価値が高い状況にしとかないと、お金が流れないの。
これは天秤が平衡していると動かず、どちらかが重いと動くような力学に似ているわ。
もし貨幣と債権が等価で完全代替の状態にあれば、いくら金融緩和策をとっても景気のてこ入れにはならなくなるよね。
電圧の平衡とか化学平衡に似た現象でしょう。
動かないということは、仕事をなさないという物理学と同じだから。
あたしが、言いたかったのはこのこと。

みかけの反応(取引)は止まっているかのようだけど、実際は分子レベルでやりとりが行われているの。
それが、綱引きでつりあっているように動かないだけ。
みんな力は抜いていない。
抜けば、抜かなかったほうに動くはず。
もっと綱引きのセンターに近づいて見てみましょうか。
左右に少し動いている。
振動しているみたい。
その瞬間値で、投資家はお金儲けをしているの。
バブルがはじけるのは、どっちかの力のバランスが崩れて、勝敗がはっきりするか、綱が切れるか。

実際の経済では、長期国債と短期国債が完全代替ではないことから、中央銀行が長期国債購入をずっと継続すると騙してでも言い続けて、市場に貨幣を供給し、有効需要の下支えを行う余地は残されているのよ。
つまり、綱引きゲームを続けられる余地ね。

じゃあ、「インフレ目標」のような国民の期待に訴える心理作戦的な金融政策は本当に功を奏するのだろうか?

インフレ期待が高まれば、将来金利を下げたのと同じ効果があるというが本当だろうか?
(もはや下げるべき利幅がない以上、苦し紛れの言い訳のような気がする)

さっき引用したクルーグマンは「投資が無いため消費者が全体として現在と未来との間でトレードオフを行う手段の無い、非常に簡単な経済では(流動性の罠は)起こりうる」とか「未来の生産力が今の生産力よりも低い場合にしか流動性の罠は生じない」とも言っています。
それは利食い、先食いの話であって、未来のことなどだれにもわからない上での楽観論に過ぎないんじゃないかしらね。
日本の製造業は「未来の生産力のほうが、今より悪いんじゃないの」って言ってますよ。

そこには詐欺的手法でもなければ、成長できない深い病理があることに気づかなければならないとあたしは思います。
今一度、ガルブレイスの論拠に戻ってもよいのではないでしょうか?
貨幣供給がこのまま増大すれば、インフレになるのは古典的経済学の示すところです。
それを利用して需要を掘り起こすしかないのかもしれない。

公共事業に依存した財政政策は、実施している間は有効に作用するけれど、それによって流動性の罠から完全に脱することは不可能だと思うの。
公共投資の経済全体への波及効果も期待されるが大きくはないでしょうから。
だって、それは日本の場合、建設業界だけが潤うに過ぎないから。
父親が工事現場の手配師だったから言うんじゃないけれど。

それによ、過大なデフレギャップを埋めるような公共事業を継続的に行うことも不可能でしょうが。
持続的に金融政策が行われないと金利は高止まりして、財政出動が終わったら投資が抑制されて、また流動性の罠に陥るのよ。
どうすんのさ。

FRBのバーナンキ氏が指摘するように、金融緩和で担保となる不動産価格が上がるとお金が借りやすくなり、リスクを伴っても新規の投資を行ない利益を増やそうと考える人が増えるとも言われています。
日本じゃ、中国人などの不動産投資家が活躍するのではなかろうか?
ただし、日本の不動産市場がめちゃめちゃにされるリスクを伴うけれど。

かつてあった「バブル経済」はあってはならないと思います。
あたしも良い目を見たほうだけど。

小さなバブルはあったほうが市場に良い刺激になるとも言われますが、バブルの心理はとても制御しきれるものではないというのも学習したはずでしょう。
人は賢くなっただろうか?
お金の前には、そんな聖人君子的議論も消し飛んでしまうのだよ。
ガルブレイスは言います。
「「そのうちくるだろう大きなチャンス」などと喧伝される過大な期待は、たいてい根拠のない、非合理的要因による錯覚に過ぎず、とりわけバブルの絶頂においてはそれを疑う言動すら激しく排斥されるので、バブル崩壊によるダメージが大きいから注意せなあかんよ」と。

今の日本は、少子高齢化によって、生産に携わる国民が減り、生産性が落ち、税収も減り、反対に社会保険料が増えることになるようです。
福祉を受ける国民が増えて、その財政を支える人が減れば、これまでのいかなる金融政策も水泡に帰すだろうね。
アベノミクスが標榜するような「期待」だけで国民を牽引していくのは無理があって、そのうち政権維持にもかげりが見えてくるだろうよ。
「期待」が「現実」のものとならなくては、よい政治とはいえないから。
しかし、それは国民皆参加の行動で達成されるものであり、一政治家、一政党が成しうるものではないだろうということも今のあたしにはわかっている。
当然「痛み」を伴う政策もありうるし、失い、我慢を強いられることもあろう。