ドイツ空軍(ルフト・バッフェ)は第二次世界大戦の緒戦で大勝するの。
ポーランドとの戦いだったわ。
アドルフ・ヒトラーは1939年の九月一日に、空軍と陸軍にポーランド進駐を下知するの。
当時のポーランド軍の兵装は旧態然として、ドイツ軍の敵ではなかった。

この緒戦は名機「メッサーシュミット」の事実上の初陣(ういじん)でもあったのね。
Me109E型は、みごとに勝利を飾ったわ。
その高高度性能は、複葉機が終焉を迎えつつあったその頃には驚異的なものだったの。

同じ頃、イギリス空軍もドイツの最新戦闘機の戦いぶりを知って、おののいたといいます。
英空軍アシャー・リー中佐はメッサーを「空の魔王」と恐れたわ。

メッサーMe109EとユンカースJu-87「スツーカ」急降下爆撃機、ハインケルHe-111双発爆撃機であらかたのポーランド軍事施設を壊滅させました。

ドイツの外貨獲得の種としてメッサーシュミットMe109Eは日本をはじめ、ブルガリアやルーマニア、スイスなんかに売られたそうよ。

日本も、メッサーシュミットから得た技術を日本機に応用したよ。
液冷式エンジンを搭載したスマートな戦闘機「飛燕(ひえん)」がそうね。
エンジンはハ-40という型式。
初の東京空襲「ドーリットル空襲」で応戦したのが「飛燕」でした。
ほかに「彗星」とか「晴嵐(せいらん)」が同系列のエンジン(アツタ)を使ってたかな。
アツタっていう名前のエンジンはダイムラー・ベンツのDB601のライセンス生産品です。
「晴嵐」はね、伊号-400型潜水艦に三機積まれていた、水上機(下駄履き)です。
日本軍はこれで、密かにパナマ運河攻撃を企んでいたんだ。

ルフト・バッフェと互角に戦ったのは、英空軍の「ハリケーン」と「スピットファイア」といいます。
メッサーの弱点は足が短いこと。
つまり、航続距離が短かったの。
ドーバー海峡を挟んでの戦い、「バトル・オブ・ブリテン」では爆撃機を援護するためにメッサーシュミットに護衛させますが足の短いメッサーに苦戦を強います。
それでも、アドルフ・ガーラント少佐(当時)はロッテ戦術で好成績を得ます。
ルフト・バッフェの戦法は「ロッテ」という2機が組んで戦うものなのね。
彼の愛機の「メッサーシュミット」には、どういうわけか、ミッキーマウスのマークがつけられていました。
ハリケーンやスピットと一騎撃ちに持ち込めば、メッサーが断然有利でした。
ガーラントは言います「ハリケーンは撃ち落とすにはもってこいの相手だ」と。
※スピットに関しては評価の別れるところですが、若干メッサーが優位であったかと・・・。楕円翼のスピットは後期型となると飛躍的に性能が良くなっていましたし、その分、メッサーは時代遅れになってきていました。

結局、「バトル・オブ・ブリテン」は続かず、英軍有利に運ぶのね。
「ダーツ」のようなV-2号ロケット攻撃も英国民を恐れさせはしたけれど、続かなかった。

フランス戦線でも旧式なドボアチンなどメッサーの敵ではなかった。
英国から旧式のグロスター「グラディエーター」なる複葉機も譲り受けていたがこれもメッサーの餌食になった。
欧州戦線の制空権奪取はメッサーシュミットの独壇場でした。
※個人的には「グラディエーター」好きです。

高高度性能に問題のあったフォッケウルフに対して、メッサーシュミットは終始優位だったわ。
メッサーの引き込み脚が弱いので、胴体着陸の事故が多く発生したという欠点はあったけど。

メッサーシュミットはロケット機(Me163)とジェット機(Me262)に発展していきます。
これは日本軍の秋水(しゅうすい)や橘花(きっか)と同じ時代を生きた名機でした。

ただ、ヒトラーがMe262の本来の使い方を理解していなかったので爆撃機として設計しなおせと再三言うのね。
爆撃に高速など必要ないのにね。
ジェット機なんて足が短いんだから、一撃離脱の防空戦闘にしか役に立たないのよ。
バカなヒトラーにはそれがわからない。
空軍のえらいさんに出世していたガーラントも何度かヒトラーに注進したけれど聞き入れられず、彼は、とうとう戦闘機隊総監の職を解かれてしまうの。
ガーラントはそれでもMe262戦闘機隊の司令官を務めたよ。

メッサーについて、あたしの知っているのはこれくらい。
プラモデルでも72分の1から48分の1、32分の1のメッサーを作った経験があるわ。
ゼロ戦より多いことは確かね。
あたし、ゼロは21型しか作ってないから。