伊丹万作が戦後語った言葉を要約すると、
「あの戦争の責任を一部の戦犯に押し付けて、国民は『騙された』のだと、『被害者』なのだと嘆いているが、それは違うだろう。戦争責任は、当時の国民それぞれにあまねくあったのであって、決して『騙されていた』のではなかったはずだ」
2朝
(今朝の庭の風景です。めずらしく積もったわ)
あたしは、当事者でないけれど、いろいろな人の話を聞き、本を繙(ひもと)くに及び、確かに戦争に「反対」せず、唯々諾々と受け入れ、「鬼畜米英」のスローガンに踊らされ、「廣瀬武夫」の銅像に敬礼し、若者を戦地に駆り立てたのは、ほかならぬ国民ではなかったか?
※あたしが前に取り上げた、大川悦生さんのおかあさんの木を読んでみてください。

「非国民」と石もて追わるることを恐れて、小市民はそうするしかなかったのだという。
確かにそうだろう。
国民は恐怖政治におののいて、夜警国家に身を縮めて暮らしていたのだった。
それを「被害者」と片付けるのはたやすい。

戦争経験者は、しかし、「悪意」の「被害者」だったふしがある。
まったくの「善意」ではなかったようなのだ。
「子供だって、負けてるなと思っていたよ」
「大人も、陰では、日本は負けるって言ってた」
「玉音放送を涙で聞き入っていたというのは、おれは知らないな。むしろ、喜んでいたよ。もっとも何を言っているのか、皆目わからんかったけどね」
あたしは、数人のじいさん、ばあさんから聞いたことがある。
妹尾河童氏も、敗戦の欺瞞を語っていた。
これらを裏付ける証言がタモリさんからあった。
「よく、終戦の日に皇居前で跪いて泣き崩れている人たちが映像で残っているけれど、ほんとはヤラセじゃなかのかな?あの日、皇居前には誰もいなかったと聞いてるよ」

今の日本人にも通じるような気がする。
むしろ、戦前の日本人も今の日本人もなんにも変っていないと思うのだ。
『占領軍』を『進駐軍』と言い換え、昨日の敵は今日の友人とばかりに百八十度、思想を転換させたかに見えた日本人をもっとも、奇異に思い、行く末を恐れたのは、アメリカ人だったという。
「この民族は、また過ちを繰り返すんじゃないか?」
マッカーサーも、日本を去るときに、大歓迎でたくさんの日の丸を振られて送られたのを見て、そう思ったに違いない。
『敗戦』を『終戦』に置き換えてでも、臭いものにはフタをしてきた、その『心』こそ『大和魂』だったのかと、皮肉を込めてあたしは、思う。

一方で、敗戦からの復興が目覚ましかったのも、日本人のなせる技だった。
朝鮮動乱が特需を生み出し、高度成長期を日本経済にもたらした。
所得さえ倍増すれば、なんにも言わない。勝手にしてくれというオトナ。
ベトナム戦争にアメリカが苦戦し、「アメリカの正義」は初めての負けを意識した。
学生は、日米関係の欺瞞に憤慨した。
東大は燃え、ゲバ棒は血に染まった。
そのエネルギーをそらすかのように、東京オリンピックだの、大阪万博だのが日本にやってきて、『お祭り』ですべてを流しさろうとした。
保守派のオトナたちは、だれのおかげで大学にやらせてもらってると思ってるんだと、いきまくのだ。
「平和」だから、お前たち若者は勝手な物言いができるんだぞ。


日米関係が、日本を救った一面も確かにある。
それが「正常」だと言い切っていいかどうか、沖縄の人々に聞いてみるがいい。
本土の人間は、「臭い物に蓋」的考えで、「自分の家周辺」だけが美しければいいという考えなのだから。

日本人は賢くて、災害復興もつつがなく行う・・・といううわべだけの姿、砂上のプライド・・・
勤勉?従順?
そう思い込まされて、また、誤った方向に走ろうとする。
走ってしまえば、止まらないのが日本人なのだ。
「K国人よりは賢いから」「C国人よりは勤勉で正直だから」
いつまでもそういって、奮い立たせていくしかないのかな?
かえって、美しくない日本になりはしないか?
たとえ、押し付け憲法でも、それを玩味してから物を言えと思う。
いまこそ、新憲法発布に湧いた日本人の心を信じたい。

自虐史観だなんていうマスターベーションは滑稽なだけだ。
歴史に「正しい認識」など存在しない。
「正しい」と主張したとたんに、都合の悪いことは隠されるものだから。
まして、当事者でない者が、万巻の書を渉猟したところで、事実にどれほど迫れようか。

「教育勅語」を復活させたりするような戦後世代の誤った愛国心が、日本人を歪めてゆくような気がしてならない。
(戦中派が、これに固執するのなら、あえて反対はしないけれど)

何も知らないくせに、銃も握ったことがないくせに、戦争賛美をするんじゃないよ。
それなら、戦争を恐れるほうが、いささかでも「正しい」と思うよ。
なぜなら、無辜の人の命を勝手に奪うものは「正しくない」からだよ。

あたしは、その立場で今後も、「戦争」について書いていこうと思うよ。
年頭にあたって、お屠蘇気分で勝手なことを言いました。