森山直太朗の「生きとし生ける物へ」
死への憧憬・・・

死から再生を信じるのだろうか
花は枯れ、大地はひび割れる・・・そこに雨は降るのだろう

ウソとまことの化かし合い、それを眺めるあまのじゃく・・・
数の足りない七並べ・・・

その言葉遊びとも取れる作詞には、実は、深い洞察があるように思える。
だから、心を打つのだ。

そして「生きていることが辛いなら」という佳作。
※作詞は御徒町凧(おかちまち かいと)とのこと

いっそ小さく死ねばいい・・・
これは心に沁みる。

ここにも、彼の死を見つめてから、生きることへのベクトルが見える。
大上段に「生きよ」とは言わない。
どうしようもないことが、世の中にはある。
いやになるまで生きるがいい・・・
くたばる喜び取っておけ・・・

いっそ小さく死ねばいいと突き放したところから、嫌になるまで生きるがいいとは、痛快ではないか。

死は訪れるもので、自ら招くものではない。
生きることがつらいのは、それが行(ぎょう)だからだ。
つらいのが当たり前で、楽しいという人は「ウソ」をついてごまかしているか、痛みが麻痺している病人だ。

理不尽を強いられるのがあたりまえで、やりたいことをさせてもらえないのも当たり前。
もし、それに抗えば、一時(いっとき)の勝利の美酒に酔いしれても、百人の敵を作ることになる。
明日は寝首を掻かれるだろう。
その恐怖におののき、猜疑心の塊になるのが落ちだ。

あなたは幸せの絶頂か?
ならば、心するが良い。
人の妬みは、深い闇を創り、その奈落に引きずり込まれぬように。

最後に、今年も森山直太朗の「さくら」を聞く季節になった。
彼の絶唱は、ほんとうに美しい。
まぶたを閉じれば、青い空に桜が舞い散る無限の世界が拡がるようだ。

「願わくば、花の下(もと)にて春死なん、その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃」
(西行)