梁石日(ヤン・ソギル)の有名な小説『終わりなき始まり』の冒頭、「光州事件」で幕が開ける。
「光州事件」とはどういうものだったのだろうか?
1980年初夏、韓国の光州で民衆蜂起によって軍と衝突、多数の死傷者を出した内戦で、その結果、金大中(キム・デジュン)氏が首謀者として死刑判決を軍法会議で受けたと、日本の報道も大々的に伝えた。
学生運動のようなものと思っていたが、もっと特殊な事情があったようだ。
もとは、1979年の朴正熙(パク・チョンヒ)暗殺事件に端を発する。
朴正熙はKCIA部長の反感を買っていたらしいことが、そもそもの暗殺の真相らしい。
KCIA部長の金載圭(キム・ジェギュ)が朴大統領を射殺したと言われる。
その時の保安司令だった全斗煥(チョン・ドファン)がKCIA部長らを逮捕し、大統領不在をいいことに、軍を乗っ取り、政権をも簒奪したのだった。
このクーデターに抗議した学生や慶尚南道(光州市を含む)の市民が蜂起したのである。
もともと学生運動が勃発しており、KCIA部長の金載圭は朴大統領から「学生への弾圧が手ぬるい」と叱責されていた矢先だった。
光州事件が、軍の専横への反発、韓国の民主化の運動として歴史上は捉えられているけれど、大統領の座に就いた全斗煥は粛清を推し進め、邪魔な金大中を死刑判決、金泳三(キム・ヨンサム)を軟禁、金鍾泌(キム・ジョンピル)を逮捕など、後の大統領や首相になる大人物をことごとく縛り上げた。
あたしは、この頃、大学の一回生で、民青同盟の勧誘に引っかかり、集会に顔を出したりしていた時期だった。
一回生というのは、孤独で、話す友人がほしい時期だったから、親しく民青のお兄さんなんかが話しかけてくると、嬉しくなってしまったものである。
イデオロギーに免疫のないあたしは、すぐに取り込まれてしまった。
そのころ、韓国籍の学生や在日の学生がこの事件について、ビラを撒き、オルグも盛んにやっていた。
朴正熙大統領という、現韓国大統領朴槿恵(パク・クネ)の父親が軍事国家を築き上げたことに対する韓国国民の憤懣が爆発したわけでしょう。
その後を全斗煥が襲ったのがいけなかった。
ミャンマーのようなことが、ここでも起こったわけです。
隙を見て、軍はなんとか政権を奪取しようと手をこまねいている。
我が国の2.26事件もそうだった。
8.15終戦のときも、クーデター未遂が起こった。
そういう政変を待っているのが軍隊なんですよ。
だから、日本も自衛隊に力を持たせてはいけない。
田母神みたいな男は、自衛官にはいっぱいいるわけです。
全斗煥は、しかし、親日的な態度で日本に接してきました。
彼は、1984年に来日し、国賓として昭和天皇の晩餐会に招かれ、大統領自ら「先の朝鮮半島の日本占領は当時の大韓帝国にも否があった」と言わしめた。
この晩餐会で陛下は、「両国の間に不幸な過去が存在した」と認められ、「誠に遺憾だ」と述べられました。
事前に韓国政府側から、陛下に「反省の言葉を盛り込むよう」に文書で要請があったと聞きます。
しかし、陛下は自身の御言葉を述べられ、「反省」という内容にはならなかった。
もしそのような内容だったら、外国から強要された御発言ということになり、日本国にとって、忌まわしい過去になりますからね。
「反日」ではなく「克日」を唱え、戦後、目覚ましい発展を遂げた日本を目指そうと自国民を鼓舞したのも彼でした。
韓国は光州事件の前後で変わりました。
良い方に変わったところもありましたが、どうも、今の韓国は昔の悪い面がまた出て来ているようにも思えます。
それは、我が国でも同じなのですがね。
北朝鮮との関係が、米韓合同軍事演習でまた悪化しそうです。
今度、この地で戦禍が巻き起こると、確実に日本に影響します。
北朝鮮が崩壊した場合、大量の難民が日本や中国に押し寄せるでしょう。
相当な覚悟を、日本政府や日本国民はしなければなりません。
「鬼」になるか「仏」になるかは、あたしたちにかかっています。
「光州事件」とはどういうものだったのだろうか?
1980年初夏、韓国の光州で民衆蜂起によって軍と衝突、多数の死傷者を出した内戦で、その結果、金大中(キム・デジュン)氏が首謀者として死刑判決を軍法会議で受けたと、日本の報道も大々的に伝えた。
学生運動のようなものと思っていたが、もっと特殊な事情があったようだ。
もとは、1979年の朴正熙(パク・チョンヒ)暗殺事件に端を発する。
朴正熙はKCIA部長の反感を買っていたらしいことが、そもそもの暗殺の真相らしい。
KCIA部長の金載圭(キム・ジェギュ)が朴大統領を射殺したと言われる。
その時の保安司令だった全斗煥(チョン・ドファン)がKCIA部長らを逮捕し、大統領不在をいいことに、軍を乗っ取り、政権をも簒奪したのだった。
このクーデターに抗議した学生や慶尚南道(光州市を含む)の市民が蜂起したのである。
もともと学生運動が勃発しており、KCIA部長の金載圭は朴大統領から「学生への弾圧が手ぬるい」と叱責されていた矢先だった。
光州事件が、軍の専横への反発、韓国の民主化の運動として歴史上は捉えられているけれど、大統領の座に就いた全斗煥は粛清を推し進め、邪魔な金大中を死刑判決、金泳三(キム・ヨンサム)を軟禁、金鍾泌(キム・ジョンピル)を逮捕など、後の大統領や首相になる大人物をことごとく縛り上げた。
あたしは、この頃、大学の一回生で、民青同盟の勧誘に引っかかり、集会に顔を出したりしていた時期だった。
一回生というのは、孤独で、話す友人がほしい時期だったから、親しく民青のお兄さんなんかが話しかけてくると、嬉しくなってしまったものである。
イデオロギーに免疫のないあたしは、すぐに取り込まれてしまった。
そのころ、韓国籍の学生や在日の学生がこの事件について、ビラを撒き、オルグも盛んにやっていた。
朴正熙大統領という、現韓国大統領朴槿恵(パク・クネ)の父親が軍事国家を築き上げたことに対する韓国国民の憤懣が爆発したわけでしょう。
その後を全斗煥が襲ったのがいけなかった。
ミャンマーのようなことが、ここでも起こったわけです。
隙を見て、軍はなんとか政権を奪取しようと手をこまねいている。
我が国の2.26事件もそうだった。
8.15終戦のときも、クーデター未遂が起こった。
そういう政変を待っているのが軍隊なんですよ。
だから、日本も自衛隊に力を持たせてはいけない。
田母神みたいな男は、自衛官にはいっぱいいるわけです。
全斗煥は、しかし、親日的な態度で日本に接してきました。
彼は、1984年に来日し、国賓として昭和天皇の晩餐会に招かれ、大統領自ら「先の朝鮮半島の日本占領は当時の大韓帝国にも否があった」と言わしめた。
この晩餐会で陛下は、「両国の間に不幸な過去が存在した」と認められ、「誠に遺憾だ」と述べられました。
事前に韓国政府側から、陛下に「反省の言葉を盛り込むよう」に文書で要請があったと聞きます。
しかし、陛下は自身の御言葉を述べられ、「反省」という内容にはならなかった。
もしそのような内容だったら、外国から強要された御発言ということになり、日本国にとって、忌まわしい過去になりますからね。
「反日」ではなく「克日」を唱え、戦後、目覚ましい発展を遂げた日本を目指そうと自国民を鼓舞したのも彼でした。
韓国は光州事件の前後で変わりました。
良い方に変わったところもありましたが、どうも、今の韓国は昔の悪い面がまた出て来ているようにも思えます。
それは、我が国でも同じなのですがね。
北朝鮮との関係が、米韓合同軍事演習でまた悪化しそうです。
今度、この地で戦禍が巻き起こると、確実に日本に影響します。
北朝鮮が崩壊した場合、大量の難民が日本や中国に押し寄せるでしょう。
相当な覚悟を、日本政府や日本国民はしなければなりません。
「鬼」になるか「仏」になるかは、あたしたちにかかっています。