『舟を編む』という映画を観て、思ったことを少し。
保守的な日本語の先生方に、悪名高き「ら抜き言葉」です。
会話では、音韻変化では、ら行の欠落は真っ先に起こるのにね。
つまり物理的に「言いにくい」から「ら抜き」になるわけね。

けっこう昔から「ら抜き」になってますぜ。
思い出してごらん?

そんなことよりも「ら抜き」の効用ですよ。
つまり一文字少なくなるんで、俳句や短歌で稼げますぜ。
いや、いや、電報文でも一文字稼げる。
メールでもローマ字入力なら一字少ないほうが早いわ。
(近ごろはAI変換なんであんまり変わらんか…)

電信、つまりモールスでね、当然和文ですよ。
「ら」を抜いたのと、抜かないのとでは、スピードに差が出ます。
抜いて通じるなら、抜きましょう。
打鍵するほうも楽だし。

もう略号でいいやん。
BLで「ボーイズラブ」みたいな。
あたしらの若い頃はBF、GFは使ってたな。
VY FB(とってもいい、Very Fineの電信略号)
TNX FR UR QSO(Thanks for your QSO)

モールスが効率を求めるなら、現代社会の会話も効率を求めて変化するのは当たり前。
FORTRANやBASICがC++になったりするのと同じなのよ。
伝われ!短く!

そう言えば、俳句は最も短い文学だとか。
日本人はすごいじゃないか。

ボブ・ディランの作詞が文学であるように。
短い文章で、愛を語ろう。

LINEの文学もありだよね。

食べられるし、食べれるし、食べれんし…