あたしは子供のころ「丼もの」が嫌いだった。
ごはんに「ぶっかける」ことが汚らしく思っていたから。
なのにカレーライスは構わないのは矛盾していたけれど。

父などが納豆をかき混ぜてごはんに乗っけて、かきこんでいるのを見ると「汚いな」と思っていた。
第一、ちゃわんが汚れているのにそこに「おかわり」を入れる神経がわかんない。
ドロドロよ。
卵かけごはんもめったにしなかった。
食べるとおいしいとは思うのに、口の周りが生卵で汚れるのが嫌だったな。

ご飯粒がはっきりしない「おじや」とか「おかゆ」とかも嫌いだった。
お茶漬けはさらさら食べるのにね。

ところが今はどうだ?
鍋のシメは「雑炊」と決めて、鍋奉行から雑炊奉行になってあたしは鍋を空にするまでなめつくしている。
卵かけごはんなんか炊き立て飯があれば必ず執り行う。
うどん屋にいけば親子丼を頼み、場合によっちゃかつ丼になる。
牛丼も悪くない。
殿方に、お顔にぶっかけてもらうこともある。
(それはちゃうやろ…)

大人になると「ぶっかけ」が愛おしくなるものなのかもしれない。
いや、子供でもぶっかけごはんが好きなもんだと聞きますがね。
「ねこまんま」…おつい(味噌汁)をご飯にぶっかけるの。

インスタントラーメンの最後の汁に冷ごはんをぶち込む食べ方は「クッパ」的でうまい。
あたしは離乳食がそれだったらしい。
チキンラーメンがソウルフードなのはそのためか…

子どものときに何を食ったかでどんな大人になるかわかる(ブリア・サヴァランが言うたか?)
とにかくそういう食生活をしているとあたしのような傍若無人な大人になる。
「ひきこもり」や「いじめ」にはめっぽう耐性がある、自己中な女だ。
あたしは「仕返し」の女だ。
倍返しは常だった。
だからいじめられなかった。
根に持つのだ。
つまり。
「どこからでもかかってきなさい」があたしの信条だからだ。
理不尽は許さないのだ。

さあ、ぶっかけ飯の人生を送ろうではないか。