明石定巳(あかしさだみ)少尉(当時)の話は興味深かった。
あたしが厚生省の恩給局の係官として戦争体験者への聞き取り調査を行っていたころの話である。

明石氏は学徒兵として陸軍に入営したものの、苛烈なインパール作戦の敗走のさなか、夜間に疲れ果てて倒れ寝ている間に本隊からはぐれジャングルをさまよった。

けがをしていなかった彼は、空腹にさいなまれていたものの、足はしっかりしていた。
単独行でたどり着いたのは小さな集落だった。
そこの若い女に助けられ、水を与えられて一命をとりとめたという。
女はロカナ、もしくはルカナといい、年のころは二十代で夫がいた。
夫は彼女よりもかなり年上で、明石氏は最初、彼女の父親だと思っていたという。
ロカナには男の子の幼子がいて、五つにはなっていないだろうか?
山間の盆地で、タロイモなどを栽培して生計を立てているようだった。
インパールの激戦をかいくぐってきた明石氏にはまったくの楽園に見えたという。
言葉は通じなかったが、身振り手振りでなんとか生活の用を足す事ができたらしい。
明石氏は京都帝国大学で農業経済学を学んでおり、そういう役に立たない学問をしている大学生から順に兵隊に取られたと話していた。

ロカナの息子はシルといい、驚いたことに夫のマンドア氏の子ではないというのだ。
いや、マンドア氏は自分の息子だと言うが、わたしたち一般が知っている親子ではないらしい。
「つまり血のつながらない親子ということですか?」あたしが尋ねると。
「そうだ」
という。
「不倫の子なんですか?」
「どうもそういうことではない」
要領を得ない会話だった。
訥々としゃべる明石氏の話を要約すると以下のようになるだろうか。

ロカナたちの村はソングイ族といって、だいたい二十世帯くらいで暮らしている。
女は早い人で十六くらいで結婚し、遅くても二十五、六で結婚する。
ただ、お相手の男性は、マンドア氏のように夫人よりずっと年上の者になる風習があるのだそうだ。
その夫は妻をめとるけれど、その生活を面倒見るだけで子孫はつくらない。
そんなことをしていては人はどんどん減っていくと思うのだが、ここからが奇妙なのだ。
結婚した女は、年上の夫とセックスをせずに、精通が始まったばかりの少年とセックスをして子供をつくるというのだ。
若い精液でないと良い子に恵まれないという掟(おきて)があり、年老いた男ではだめだというのだ。
その少年たちは、せっせと村の若妻と交わり、種付けをして大人になり、壮年期になって初めて妻を娶ることができるのだそうだ。
夫と、種付けが分離されている極めてめずらしい社会といえる。

マンドア氏も少年のころは、いろんな新妻と交わり、彼の子孫は立派な跡継ぎになっているというから、それなりにうまくいっている社会なのかもしれない。

「おれはね、見たんだよ」
明石氏がぼそっと言ったことばが印象的だった。
「まだ年端も行かない男の子がよ、かわいらしいちんぽこをおっ立てて、近所の新妻の上にかぶさって、一生懸命に腰を振ってやがるのをよ」
「へぇ」
「若いあんたに話すことじゃないかもしれんが、なかなか見ものでね。おれだって若かったから、たまんないよな」
「ですよね」
あたしは苦笑いするしかなかった。
「子供のするおまんこを見ながら、おれは木陰で自分を慰めたよ。芋しか食ってないのによ、何度も出るんだ。つらかったぜ」
深いしわを刻んだ明石氏の悲しげな笑顔を忘れることができなかった。

あたしは、その後、国立民族学博物館の知り合いの文化人類学の先生たちにこの話をしてみたが、みな口をそろえて「そんな民族は知らない。でたらめだろう」と一笑に付された。

戦争の合間に現れた桃源郷だったのかもしれない。