キリスト教と仏教には似たところがある。
歴史から言えば仏教のほうが成立が早いみたいだし、するとキリスト教がそれに影響されたということは十分に考えられる話だ。
エルンスト・ベンツという研究者は、そういったことを詳細に調べたらしい。
日本にはその訳本が少ないので、あまり知られていないが、一度読んでみたいと思いながら果たせずにいる。


キリスト教の聖人のなかにお釈迦様と思しき人物がいるらしい。

聖ジョザファがその人だ。
彼はインドの人で、インドにキリスト教の国を創設したと伝えられる。
そういった事実を裏付ける証拠はないのだけれど、このキリスト教徒の国がイスラムに侵略されたことで十字軍が救援に派遣される大義名分になっていたというから、けっこうキリスト教徒の間ではまことしやかにささやかれていたことなのかもしれない。

ベンツの研究によれば、クリスチャンの「合掌」は仏教からの移入であり、ロザリオは数珠の変形だという。
こじつければきりがないけれど、さもありなんとも思える。

反対に、キリスト教から仏教に影響をもたらした信仰が「弥勒菩薩」だろうと言われている。
キリスト再臨と弥勒信仰は確かに似ている。
救いの御子の降臨は、最後の審判以後の世界になぞらえられる。
「アブラハムの宗教」とひとくくりにされる「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」に共通の教えだ。
もともとゾロアスター教に起源をもつ最後の審判だけれど、弥勒菩薩によって仏教にも同じ考え方が付与された。

ヨーロッパで起こった「宗教改革」が、日本の末法思想に端を発する「阿弥陀信仰」とよく似た経緯で広まっているのも興味深い。
小乗から大乗になって広く仏教は敷衍(ふえん)した。
日本でも「浄土宗」「浄土真宗」、そして「日蓮宗」などは「易行」をもって衆生を救う考え方で信者を増やした。

どの宗教を信じようが、その根底に普遍的なものが存在することに、あたしは救いを感じる。
人種が違っても人類愛を共有することができるのではないかと期待できるからだ。