科学的な目を養うには、主観と客観の使い分けが大切ですよ。

「主観」は、自分が感じたままのイメージです。
「客観」は、自分の視点から一歩後ろに下がって、もしくは高いところから俯瞰(ふかん)して眺めることですけれども、そこまでしなくても想像力を働かせて違う立場から(立場の違う人から)物を見るという習慣はぜひとも身に着けてくださいな。

「客観」が難しければ、先生か誰かに同じものを見てもらって意見を聞くのも手です。

また、科学的な目は「疑う目」でもあります。
他人の論文や実験、あるいはテレビや新聞の情報を、いったんは疑う習慣をつけましょう。
「おかしいぞ」と思ったときに、できるだけ「どうしておかしいと思ったのか」を突き詰めます。
「違和感」に敏感になることです。
科学に限りませんよ。
政治や経済の話題だってそうです。

「疑い」が生じたら、それを明らかにするために「実験」と「観察」と「調査」を行わねばなりません。
必ずしも「実験」をする必要はありませんが、「観察」と「調査」は必ずしなければ疑問は解決しません。
あたしたちにとって、「実験」できるものは限られているのです。
ところが、「思考実験」なら誰でもどこでもできます。
スポーツ選手なら「イメージトレーニング」をおやりになったことがあるでしょう?
あれは「思考実験」の一種で、とても有用な方法です。
今日の高度な情報化社会なら、容易にシミュレーションができるはですから、そういった手法を取り入れてもいいでしょう。

どんな「実験」にも「観察」と「調査」がついて回ります。
「観察」は「主観」です。
「調査」は「客観」のための手法です。

「実験」を企(くわだ)てるには、「疑問」をはっきりさせて「因果」、つまり原因と結果を仮定します。
仮定の通りに結果が得られたなら、「考察」で「結論」を論じます。
「こうなるから、こうなるのだろう」が「こうなるから、こうなった」という論法になります。
アリストテレスの「三段論法」で論を組み立ててくださいよ。
論文は、なるべく客観的に書くことです。

ところで、実験には「定性実験」と「定量実験」があります。
前者は物の性質をみて、そのものが何であるか確認する実験です。
後者は物の量的な効果を計る実験です。

たとえば、手元にある卵が「ゆで卵」なのか「生卵」なのかを判定する実験が定性実験であり、生卵をどれくらいの温度で何分ゆでたら、半熟卵になるのかを調べるのが定量実験です。

さきほど、実験をすると必ず「観察」をしなければならないと書きました。
何が起こっているのか、しょうもないことでも、自分の感覚をフルに使って記録します。
先入観は持たずに、難しいですが、この実験については「ど素人」の心構えで見えたもの、匂ったもの、聞こえたものなど、捉えられるだけ、捉えます。
たとえば実験場の気温や天気、気圧、始めた時刻なども記録しておくと、思わぬ関連があったりします。

単に「観察」だけをする場合もありますね。
自然を相手にする場合、おおむね実験をすることができませんからね。
天文や気象、地質、生態などは観察によるしかないのです。
場合によっては採集して、小実験に供したり同定のために標本にすることもあります。
決してコレクションに走ってはいけません。
大事なことを見失いますし、貴重な自然の破壊につながるかもしれません。
博物学や分類学ならばそういうことも大事ですけれど。

最後に「調査」ですが、実は、実験を企てる前にある程度、調査はすべきです。
誰かがすでにやっているかもしれないから。
まったく新しい実験などというものは、今の時代、ほとんどないですから。
誰かが似たような実験をしている。
トレース実験をやるのは無駄だし、先行実験に疑義がある場合を除いて、先行実験の結果を尊重し、そこから新たな疑問に向かうのなら、そういう実験を企画しましょう。
業務研究などは、予算も時間も限られているので、なおさら無駄な実験はご法度です。

実験はかたっぱしから、思いつくままに膨大な数をやるのは無策に過ぎます。
実験計画法に基づいて効率的に行うことが肝要です。
例として、ゆで卵を半熟に仕上げるための最適条件を求める実験なら、できるだけ「因子」を洗い出し、それを網羅したい。
でもそんなことしたら無数に実験数が増えてしまいます。
たとえば、原料となる卵に鶏卵やウズラ卵が混じっていては何の比較かわからなくなります。
ここは、目的からして「鶏卵」に限って実験すべきで、「ヨード卵ひかり」と「さくらこめ卵」の比較なのか、それとも卵の品種は一定にして、ゆで時間のみの追跡なのかで変わってきます。
ゆで時間のみの追跡なら、卵の品種は一定に、統一すべきは鶏卵のサイズ、同じ採卵日の卵を使い、実験開始までの鶏卵の温度は一定に保ち、鶏卵投入時は沸騰水を用いて時間の計測はそこから始めるなど、因子を固定因子と変動因子に分けます。

余熱完熟で「半熟状態」がばらつく可能性を気にするなら、一気に全卵を冷やす方法を考えねばなりません。
こういったことは一回の実験で思いが及ばないこともあるので、改良実験をして補強する必要があります。

発展実験で、卵黄が固まる温度と白身が固まる温度の違いを知りたくなったら、卵を割って身を分けてそういう実験も計画しなければならないでしょう。

科学は、このように「もっともっと」を要求する学問です。
自分が納得するまで終わりません。
そして他人をも納得させねばならないのです。