ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の「冬宮殿(現在のエルミタージュ美術館)」はリラの花が香り、春の陽気に包まれています。
そのころの、わたくしはアナスタシア・ニコラエヴナ様にお仕えしていた、お側用人だったのです。
アナスタシア様は、ロシアの二月革命で失脚された「ツァーリ(皇帝)」ニコライ二世とアレクサンドラ皇后の間にお生まれになったお姫様のおひとりでございます。
アナスタシア様の上にはオリガ様、タチアナ様、マリア様の三人の御姉君、そして弟君の皇太子アレクセイ様がいらっしゃった。

皇帝一家の皆様は、あの悲しい事件で、お命を奪われたのです。
そのことは申しますまい。
あまりにもむごいことでしたから。
ああ、あのときにわたくしがご一緒しておれば…
この耄碌(もうろく)婆にも、一握の忠誠心がございましたのに。

わたくしがお仕えしていたころの宮殿には、まだ華やかな生活がありました。
ただ、日嗣の御子のアレクセイ様がなにやら難しいご病気にかかられ、皇后さまは、それはもう献身的に看病なさいましたよ。
ある日、ラスプーチンとかいう祈祷師がミリツァ大公妃殿下のご紹介で宮殿に参ったのです。

その容貌といったら…
なんと表現してよいのやら、始末のしていない長い髪の毛を顔が隠れるくらいに垂らして、眼光鋭く、冥界の使者の風体…
ただ、ただ、恐ろしいという印象でございました。

ラスプーチン様はしかし、その姿とは反対に、姫君様たちとはよく打ち解けられ、ややかん高い声は威厳よりも、親しみやすい「先生」のように思わせました。
それよりもっとすばらしいことは、ご祈祷によってアレクセイ様のご容態が日増しに良くなっていくのでした。
これには皇后さまも大変喜ばれ、ラスプーチン師は厚い信頼を得たのです。

皇帝陛下はご公務がご多忙で、なかなか後宮にはお越しにならないのですが、皇后陛下はラスプーチン師さえいれば寂しくないとおおせでした。
それだけなら、わたくしも気にも留めなかったのですが、ある日の夜中、皇后陛下の寝所からラスプーチン師が出てきたところに鉢合わせしたのです。
ラスプーチン師の黒い衣は乱れ、燭光に一瞬、何と言ったらいいのでしょう…口にするのもはばかられますが、殿方の象徴が股の間からだらりと垂れ下がって見えたのです。
師はさっさと着衣を整えわたくしに背を向けて、足早に宮廷の廊下を去っていきました。
わたくしは、こういう仕事をしておりますので家庭を持つことができませんでしたが、馬方の男や、庭師の男に言い寄られて経験だけはございました。
ラスプーチン師のあの姿は情事の後に違いないと確信いたしました。
それもお相手は皇后陛下…
これを口外することは、わたくしの死を意味します。

わたくしは、アナスタシア様の支度部屋に戻り、自分の寝床に潜り込んだのです。
瞼を閉じれば、師の性器が浮かびます。
「なんという大きさだろう。馬のようだったわ」
わたくしが知っている男のだれよりも大きい持ち物でした。
「あんな大きなものを皇后陛下は…」
想像するのはいけないことだと思いましたが、止められませんでした。
わたくしは自分の秘め処に指を這わせ、ひとり、谷間をこすり始めたのです。
すでに潤っており、声が出そうになりました。
少し離れたところに、女中頭のオリガが寝ています。
気付かれたら、面倒なことになります。
その夜は、おとなしく眠ることにしました。

じきに、皇后陛下とラスプーチン師のうわさは側用人や衛兵の中でもささやかれるようになりました。
お庭で、大胆にもラスプーチン師が男根を皇后陛下に握らせていたとか…
「でかかったぜぇ。腕くらいはあったな」
庭師のポポフが言います。
「なぁ、ナオボネスカヤ、今夜あたり、やらねぇか?」
「いやよ。月のものが終わってないのよ」
「いいじゃねぇか。そのほうが滑りがよくて、せわがねぇ」
「汚れるのはいや」
「外だから、かまやしねぇって」
わたくしは、ポポフの言い出したらきかない性格をしっていましたので、観念しました。
「じゃあ、四阿(あずまや)のところで」

ポポフや馬方のアリエフとの密会は、わたくしにとって宮廷の堅苦しい生活に一服の清涼剤となりました。
生涯独身でしたが悔いはありません。

そんなことより、ラスプーチン師は姫君様、ことにわたくしのご主人であるアナスタシア様の寵愛を受けられるようになったのには、いささか不安を覚えました。
アナスタシア様は、まだ十三歳の幼さを残したお姫様です。
ご姉妹の中でも、屈託がなく、天真爛漫な表情は、みんなを笑顔にしてくださいます。
そして…お体の発達もすばらしく、湯浴みをお手伝いするかたわら、拝見しましても、下萌えは十分、陰部を隠し、胸元は揺れるような山と谷をこさえております。
そして情熱的な香りが、この王族の象徴として腋の下から立ち上るのでした。
この発育の良い姫君をラスプーチン師が見逃すはずがなかったのです。
年の近いマリア様とアナスタシア様はいつもご一緒でございましたので、ラスプーチン師はまずマリア様にお近づきになられました。
アナスタシア様は、それがご不満でご機嫌が悪くなられることもありました。
しかしラスプーチン師の思うつぼだったのです。
師の本命は実はアナスタシア様だったのです。
姉君に嫉妬させて、アナスタシア様を自分に向けるように巧みに計算したのでしょう。
とはいえお二人の姫君はまだ幼く、ラスプーチン師の巨大な男性を受け入れるには準備が整っておりません。
わたくしもアナスタシア様のお部屋にラスプーチン師が頻繁にお越しになるので不安に思っておりました。
ラスプーチン師は、いろんな世界中のお話をおもしろおかしく姫君様たちにお話になるんです。
シベリアという雪と氷の世界のお話や、東の黄金の国のお話、トルコの甘いお菓子のお話、ヨーロッパの美しい宝石やドレスのお話、音楽や舞踏会のお話…
宮殿から出られないマリア様やアナスタシア様にとってラスプーチン師のお話はとても魅力的だったのでしょう。
まだ幼いお二人には、ラスプーチン師は毒牙を見せずに、やさしく接しておられました。
お二人の家庭教師であり、わたくしも親しくしておりましたマリア・ヴィシュニアコバ先生がお体を壊されたときにラスプーチン師がご祈祷されたことがありました。
マリア先生は、敬虔なロシア正教徒であったのに、師の巧みな言葉に惑わされ、迷路のような宮殿の中の無数にあるお部屋の一つに誘い込まれて凌辱されたのです。
マリア先生は恐怖と羞恥のあまり、発狂してしまい、お暇を出されたのです。
嘆かわしいことです。

わたくしがアナスタシア様の寝所を整えているときに、シーツに血の跡を認めました。
アナスタシア様に月のものが訪れて、粗相してしまったのだろうと思っていたのですが、そのそばに、男のものと思われる乾きかけのどろりとしたしみも見つけました。
わたくしでも赤面するような強いにおいを感じました。
「これは…」
大変なことです。
アナスタシア様はラスプーチン師にいたずらされているのです。
血は月のものではなく、ラスプーチン師の巨大な男根による無理なこじ開けによるものだと直感しました。
痛かったでしょう。
昨晩、そのような叫び声も、わたくしには聞こえませんでしたのに。
それよりも姉君のマリア様はお気づきにならなかったのでしょうか?
わたくしには、一つの推論が頭に浮かびました。
ラスプーチン師はすでにマリア様もアナスタシア様も手籠めにされたのだと。
のぞき見することはかないませんが、わたくしは妙にそのことがほんとうのように思えたのです。
凶器のような師の男根に群がる二人の美姫。

「入れてみて。姉さまのように」
いたいけなアナスタシア様が、先に大人になった姉君に対抗心を燃やすようにねだります。
「いい子だ。アナスタシア様よ。そこに力を抜いて横におなりなさい」
「はい」
しかし、やはりアナスタシア様のそこはまだまだ狭かったのでしょう。
けなげにも黒々とした棍棒に、ガラスのような裂け目を腰をせり上げてアナスタシア様が押し付けます。
アナスタシア様の二つ上の姉、マリア様は奔放な性格で、ラスプーチン師を自ら誘惑していました。
彼女らのさらに二人の姉君、オリガ様とタチアナ様も後でわかったことですが、ラスプーチン師の餌食にされてしまっていたのでした。

ラスプーチン師は、なんとニコライ二世陛下の一家の女をすべて食べつくしていたのです。

一九一四年の六月だったか、師は故郷にお帰りになった。
そして何者かに襲われたんです。
ラスプーチン師を無き者にしようとする輩は多かったので、いつかはこういう日がくると、わたくしも思っておりました。
ニコライ二世陛下もラスプーチン師と皇后陛下の関係を怪しまれており、遠ざけたかったと言われておりました矢先の事件でございました。
かつてのエカテリーナ二世の醜聞を思い起こさせたのは、わたくしだけではありますまい。
それもこの宮殿での出来事だったと聞き及びます。
ただ、陛下はラスプーチン師が皇太子を助けてくれたことに感謝し続けており、深手を負った師に人を遣って、手当を受けさせたので、師は一命をとりとめたそうです。

オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されましたのは、みなさんも記憶に新しいでしょう。
ロシアも、この世界を巻き込んだ戦争に加担することになりました。
ラスプーチン師は戦争に最後まで反対し、そのことでも陛下との溝が深まってまいりました。
ドイツ、私どものころはプロシアと呼んでおりましたが、この国との戦にロシアが負け、国民の不満がたまっておりました。
実はラスプーチン師はアレクサンドラ皇后陛下がドイツ出身ということで、ドイツに宣戦布告することを強く反対していたのです。
二人の関係は政治に直接結びつくぐらいに発展しておりました。
このことがラスプーチンと皇后陛下がロシア帝国を売ったスパイだという噂に発展してしまったのは、この王族の終焉を予想させました。
ドミトリー大公殿下のラスプーチン暗殺計画によって、一九一六年十二月十七日に実行されたのでした。
ドミトリー大公殿下の手先、貴族のユスポフ氏が自らの美しい奥方を利用してラスプーチン師を宮殿の新築祝いの席におびき出し、毒を盛って殺害しようとしましたが、師は平気で毒の入ったお茶を飲み干し、涼しい顔だったそうです。
ユスポフ氏は驚愕して、今度はラスプーチンが大好きな酒を勧め、酔いつぶします。
寝てしまったラスプーチン師をユスポフ氏が拳銃で撃ちますが、これまた死なない。
恐ろしい男です。まったく。
起き上がるラスプーチン師に何発もの銃弾が浴びせられ、雪中で、ついに本懐を遂げたのでした。

わたくしがユスポフ氏に近い人から聞いたのはざっとこんな次第でした。

アナスタシア様ご姉妹と皇后陛下は、ラスプーチン師の最期を聞いて、たいそう残念がり、アナスタシア様が葬儀に参列されましたので、わたくしもご同行させていただきました。

その後、ロシアは人民の不安を扇動した二月革命によって、帝政を崩壊させ、ニコライ二世とそのご家族様が幽閉されてしまいます。
それと同時に、わたくしも職を解かれ、モスクワの実家に帰りました。
アナスタシア様とお別れするのは、断腸の思いでございましたが、共産主義の嵐が吹き荒れるペトログラードでの生活は不穏で、わたくしには耐えがたいものでございました。


忘れもしません。
一九一八年の夏、ボルシェビキの活動も激しさを増してきたころ、幽閉先のイパチェフ館で蛮行が行われたんです。
七月十七日の未明だったと聞きました。
皇帝陛下一家が銃殺されたと。
アナスタシア様はまだ十七歳ですよ。

マリンカ(木苺)のお花を、毎年、その日に、わたくしは窓辺に活けるのです。