ツバメが低く飛んでいる。
あたしは、その俊敏な身のこなしに見とれていた。
自転車を押しながら、たばこ屋の角を曲がって、傾いた電柱の前を通ったところで、コロッケのいい匂いがしてきた。
「シミズミート」っていうこの辺では評判のお肉屋さんだ。
あたしは、コロッケを二つ買った。
「なおちゃん、今、帰りか?」
清水の女将さんが声をかけてくれる。
「こんにちは。コロッケ二つくださいな」
「はいはい。毎度おおきに。高校は慣れた?」
揚げたてのコロッケを紙の袋に入れながらおばさんが笑顔で言う。
「まあまあですわ。勉強、難しぃて」
「そらなぁ、中学とはちゃうわなぁ」
あたしは百円玉を出して、秤のとなりの皿に入れた。一個五十円なのだ。
「ほな、おばちゃん、ありがと」
「ありがとねー」
あたしは、さっそくアツアツのコロッケをかじりながら家路を急ぐ。
はふ、はふ、はふ…あっつ
あまい、じゃがいもの味がすきっ腹にしみる。

『高安電気』と赤い文字で書かれた看板の上がっているのが、あたしの自宅だった。
そう、父は街の電気屋だ。
二階建てで、下が店舗で、奥に一間あって台所とつながっている。
二階に両親の部屋と、あたしの部屋があった。
もう一部屋あるが、そこは父のシャックだった。
シャックってご存じだろうか?
アマチュア無線をする人なら「ああ、あれか」とわかるはずだ。
父も、母も、あたしもアマチュア無線をしている。
父が最初に免許を取って、そのあと、母とあたしが猛勉強(?)して国家試験にパスしたのだ。
電気屋の父は電気に詳しいから、わけないが、あたしたちは素人だから大変だった。
父が先生役になって、それでも根気よく仕事の合間に教えてくれた。
あたしも、母がライバルとばかりに、しゃかりきになって、学校の勉強よりも懸命にやったと思う。
母は最初、まったく乗り気じゃなくて、「ご飯の支度」だとか「お洗濯」だとか言って、逃げてばかりだった。
でもちゃんとあたしの見てないところで勉強していたらしく、一発合格を決めたのには驚いた。
「お母ちゃんは、やるときはやるんやで」
と、真新しい免許証を前に誇らしげだった。
もちろん、あたしも一発で合格したんだけど。
電話級アマチュア無線技士の国家試験は、小学生でも通るのだ。

家の裏の猫の額ほどの庭にアンテナタワーがそびえる。
近所の人は、「なんだんねん、これは?」といぶかしんだ。
無線のアンテナですと説明しても、「ほう」と驚いた表情をするが、要領を得ない様子だった。
アマチュア無線家のことを「ハム」と言うが、これなど、世間一般には食べる「ハム」と思われていたぐらいだった。
タワーの上には5エレメントの6m(50MHz帯)の八木アンテナと、7エレメントの2m(144MHz帯)のスタック(二連)八木アンテナが取り付けてあった。
そのほかに、屋根の上には2m2段GP(グランドプレーンアンテナ)とテレビアンテナが一緒に立ててあった。
さながら秘密基地のような我が家である。

「ただいまぁ」
「おかえり」
母が台所から応じた。
「お父ちゃんは」
「店にいてへんかったら、無線してはるんとちゃう?」
「またぁ」
「もうすぐEスポの季節やし、昼間からワッチしとかんと、とか言うてはったわ」
「きょうは出たかな」
「いや、聞かへんかったな」
きんぴらごぼうの味見をしながら、母が言う。
あたしはごぼうをつまんで、口に放り込んだ。
Eスポとは「スポラディックE層」という電離層のことで、初夏から夏の昼間に突然、局地的に現れるのだ。
Eスポが出ると、50MHzとか144MHzのVHF帯では、普段届かないような遠い場所と交信できる。
あたしも去年、ここ大阪の門真(かどま)から、四国の新居浜と144MHzでつながったことが記憶に新しい。
「お母ちゃん、これ」
コロッケの残りをテーブルに置いて、二階に上がろうとした。
「また、買い食いしてから、この子は」
「おなか、すいてん」
「しゃあないな。育ちざかりは」
と言って笑った。

着替えもそこそこに、父のシャックに入る。
父の後ろ姿があった。
「どう?Eスポ出た?」
「あかんな。今日は」
「ビーム振り回してみた?」
「生駒のほうの反射があればなと、東に振ってみたけどあかん」
八木アンテナの下にはモーターが取り付けて合って、タワーの上で回して向きを変えられるのだ。
八重洲製のFT-620の白いボディが50MHz帯の通信機で、TRIO製のTS-700が144MHz帯の通信機だった。
これと父の車に積んである日本電業製「ライナー2DX」、あたしの携帯型のナショナル製「RJX-601」が通信機のすべてだった。

夕飯の時も、一家で無線談義に花が咲く。
よその家では考えられない光景かもしれなかった。
「なおぼん、今度QSLカード(交信証明はがき)を家族一緒のデザインにしよか」と父。
「いやや。あたしはあたしだけのがいい。お母ちゃんとペアのQSLにしたらええやんか」
と、まあこんな具合だ。
あたしは「尚子」なので物心ついたころから、父に「なおぼん」と呼ばれている。

あくる日の放課後、あたしは科学実験室に向かっていた。
一年生の教室は校舎の一階だったから、三階の三年生のフロアまで上がらねばならない。
その南端が「実験室」だった。
高校生になってまだ、この部屋には入ったことがなかった。
グラウンドからバレーボール部の掛け声やら、野球部の金属バットの音が盛んに聞こえていた。

重い引き戸を開け、「失礼します」とあたしは中に入っていった。
「おう、来てくれたな」
数人の学生の中に長谷川さんがいて、めざとくあたしを見つけて声をかけてくれた。
「みんな。この子な高安さんて言うて、見学に来てくれたんや」
「おおっ。女子や」
とどよめいた。
あたしは、ちょっと引いた。

「さぁ、こっちにおいで」長谷川さんがさしまねく。
どうやら、女の子は一人もいないようだった。