ステンカ・ラージンは帝政ロシア時代、1600年代中ごろのコサックの長(おさ)です。
スチェパン・ラージンと発するのが正しいらしい。

コサック人の長は「アタマーン」と呼ばれましたが、ラージンもそうだった。
コサック人は強大な軍事組織を持っていて、「ドン・コサック」なんて呼ばれて恐れられていたんだけど、ラージンもドン・コサックの家柄に生まれました。
根っからのコサック兵だったわけ。
ドン・コサックは帝政ロシアの「犬」で、警察権を担っていたから、圧政にあえぐ民衆からは良く思われていなかった。
ドン・コサックの「ドン」はドン川流域を本拠としていたから、そう呼ばれていたんだけど、組織の中身は流民の受け皿みたいなものだった。
現在のイスラミックステート(イスラム国)に近い成り立ちだと思います。

ドン・コサックの成立当初はモスクワ公国や帝政ロシアに反旗を翻し、蜂起したのがステンカ・ラージンの軍だった。
しかし、だんだんロシア政府に懐柔させられ、皇帝の犬になりさがっていく。

ドン・コサックはオスマン帝国との戦役で経験を重ね、強い軍隊としてその名をとどろかせることになったんだね。
そういう勇敢な軍隊とロシアは敵対するより、傘下に収めることが得策と考えたんだよ。
コサック兵の勇猛果敢さは遠く日本にも聞こえ、「ステンカ・ラージンの歌」は日本人にもなじみが深い。

ドン・コサック軍はボルシェビキに敵対する軍としてソビエト時代には悪のレッテルを貼られ、その印象が強く残っている。
しかし、それは一面しか見ていないとあたしは思う。
もっと歴史を紐解いて、どうしてそうなったのかを検証する必要があると思います。

ステンカ・ラージンは、当時のモスクワ公国の貴族による圧政から民衆を解放するという、崇高な理念の戦いを指揮した英雄です。
まったく彼は大塩平八郎だ。

ラージンは捕らえられ、反乱の首謀者として赤の広場で生きたまま八つ裂きにされるのです。

ステンカ・ラージン
訳:与田準一

久遠(くおん)にとどろくヴォルガの流れ
目にこそ映え行く
ステンカ・ラージンの舟
目にこそ映え行く
ステンカ・ラージンの舟


(中略)

ドン・コサックの群れに 今湧く誹(そし)り
おごれる姫なり
飢ゆるはわれなり
おごれる姫なり
飢ゆるはわれなり


(以下略)

※「おごれる姫」とはペルシャの御姫様のことらしい。原詩の作者はサドフニコフというヴォルガ地方の詩人だそうです。
※ヴォルガ川はカスピ海に注ぎますが、ドン川はアゾフ海に注ぎます。流域が近いのですが源も違うので別の川です。コサックに人々はだいたいこのあたりを拠点に暮らしていました。