中島飛行機の戸田康明技師はエンジンのヒートシンク(冷却フィン)の放熱効率の研究において第一人者だった。
あたしは、目の前で輝いているテストピースの「鋳込みフィン」のすばらしさに魅せられていた。
「なおぼん、どうや」
「きれいに鋳込んでますね。削り出しみたいやわ」
「鋳物を削ってこんなに深い溝を彫るのは至難やけど、鋳込みやったら砂型職人の腕次第で80ミリの深さくらい十分だせる」
「ヘッドのブロックの量産も可能ですもんね」
「そうや」
海軍が新型航空機用発動機の完成をせっついていた。
三菱にも川崎にも同じような課題を突き付けていた。
中島飛行機の傑作と誉れ高い陸軍の九七式戦闘機が快調で、糸川英男技師の翼形式が功を奏していた。

 昭和十四年に起きた「ノモンハン事件」で九七戦は大活躍したけれど、ソビエトの物量に日本は敗退してしまった。
もっとも、有識者は「やらんでもいい戦闘で犠牲を出した」と陸軍の失策をそしった。

九七戦の発動機は「ハ1乙」という空冷星形単列9気筒で、今後は、これをさらに改良したものを要求されている。

あたしは機械図面を引く助手として、中島飛行機の設計部門に奉職していた、この時代には数少ない女性社員だった。
開発室兼工場にも出入りを許されており、軍属の幹部らにもあたしの顔は通っていた。
当初は、「なんで女がこんなところにおるんだ?」といぶかしがられたが、あたしが横山子爵令嬢だと紹介されたら、彼らもそれ以上の追及をしなかった。

エンジンの冷却フィンについては、その加工が難しく、プラッド・アンド・ホイットニーやブリストル・ジュピターの発動機を参考に、アルミのインゴット(延べ棒)を削ってつくるほかなかった。
しかし、ここにきて日本の鋳物技術の高さを利用して砂型で鋳込む方法を戸田さんたちが開発したのだった。
後に「栄(さかえ)」と海軍で称される発動機のはじまりがここにあった。
国産発動機の研究は、戸田さんの前に中川良一さんという技師が福島栄之助部長(工学博士)の命で行っていたものだった。
あたしはその両方の方をよく存じあげている。

あたしは、戸田さんの後ろを金魚の糞のようについて回って、発動機のイロハから学んでいるところだった。
「なおぼん、冷却効率が悪いと、エンジンの燃焼室に燃料混合気が噴射されたときに、早くも発火して爆発し、ノッキングを起こすのや」
「はい」
「ガソリン・メタノール混合比にもよるが、エンジンヘッドの冷却は高性能エンジンの絶対条件やで」
「はいっ!」

バッキーン!!
鋭く金属を叩くような音が響いた。
あたしの耳がツーンと耳鳴りを生じた。

ノッキングを起こして、単気筒テスト発動機が止まってしまった。
「あかん、またや」
新山さんも、耳をふさいでしかめっつらだ。

彼も去年から、この工場では発動機の試験に余念がない。

三菱に負けていられないという気持ちが、口には出さないけれど暗黙の了解事項だった。
だから中島の男たちは、不眠不休で開発に当たっている。
しかし、三菱とて発動機開発に苦戦していると聞く。
九六式艦上戦闘機は名機の誉れ高いけれど、発動機は中島のものである。
三菱には「堀越二郎」という天才がいるそうだ。
今年の春に完成した新型艦戦「零式」には三菱独自の発動機が乗せられたとは聞いているが…

あたしは、商社を経営している父と叔父から満州のごたごたや、石油のひっ迫、アメリカの日本に対する風当りが強くなってきていることなどを聞かされていた。
「もはや南方に活路を見出すほかない」
「孫文の後を継いだ蒋介石は盧溝橋以来、アメリカを後ろ盾に関東軍を攻撃している」
などなど…

あたしも、この先、大きな戦争になるという漠然とした予感を抱いていた。
だいたい中島飛行機の仕事が日に日に軍関係のものに置き換わっていった。
もともと(中島)知久平社長が海軍の出身で、そのせいもあった。
海軍少将の大西瀧治郎閣下と社長が懇意で、航空機に関しては忌憚ない意見を交わし合う仲だった。
大西閣下はとても飛行機の好きな方で、自らも操縦桿を握られるとか。
近く重慶爆撃の指揮もとられると聞いた。
いけない、これは極秘事項だった…

三菱が発表した「零式艦上戦闘機」という新型機は流線形の美しい機体で、九七戦のずんぐりしたものとは大違いだった。
なにしろ飛んでいるときは脚が引き込まれるという新技術も搭載されていたのだった。
もちろん、中島も負けてはいられない。
小山悌技師の設計による「キ-43」というすばらしい機体が完成しつつあった。
陸軍の正式採用が決まれば「隼(ハヤブサ)」と名付けられることも決まっていた。
もちろん引き込み脚を備えている。
あたしも参加した「キ-43」の発動機「ハ-25」の開発はうまくいったかにみえた。
しかし「キ-43」の旋回性は九七戦に劣っていた。

三菱の「零式」はすでに中国戦線で活躍し、華々しい戦果を挙げていて、坂井三郎という名パイロットまで生み出していると聞けば、中島の技師たちは焦りを隠せなかった。

昭和十五年が過ぎ、昭和十六年になって、軍関係者は「もう戦争だ」ということを誰はばからず言うようになった。
「アメリカと戦争をするんでしょうか?」
あたしは小山技師に訊いた。
「たぶんな」
「国際連盟を脱退したことは、もう後には引けないということですね」
「あれから七、八年も経つ。こちらには航空戦力もアメリカをしのぐほどのものを有している」
「海軍さんが、すごく自信をもっていらっしゃる」
「しかし、燃料だよ。横山君」
「そうですね。蘭印(インドネシア)やブルネイの油田が頼みですが、油槽船団が攻撃されたら心配です」
「キ-43は南方戦線に配備されることになっている。バリクパパンの油田基地の確保が肝だ」

あたしたちは、一般の国民より「訳知り」だった。
立場上、早耳にならざるを得ない。

あたしは言いようのない不安を抱えて、製図台に向かった。