「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」などと言われるこの季節。
「初鰹」など望むべくもないけれど、この山里の青々した木々の景色は、あたしにとって至高の「御馳走」だった。
木々に生気が宿るのは、こんな季節なのかもしれない。

森に精霊がいると信じられそうな山道を一人歩く。
そう、そこかしこから精霊たちの視線を感じるのだった。

あたしは、この名もない山の中腹に庵を結んでいた。
先達の後を襲って、そのまま住まっている。
先達がこの「方丈」を興し、人里から離れて隠棲していたところに、行き倒れのあたしがたどり着いて、先達の憐憫を受けたのだった。
あたしは、逃散者だった。
逃散の理由を挙げればきりがないが、先達の織部善哉師はあたしに一切尋ねることをせずにそばに置いておいてくれた。
あたしは「善さん」と呼んで慕った。
こうして、十九のあたしと六十近い先達との奇妙な共同生活が始まった。

善さんは、山でなんでも手に入れて生活をしていた。
たまに村田銃という鉄砲を使って狩りをしたが、それは、よほど食べ物に窮した場合であって、ほとんどは、谷に下って、魚を獲ったり、わなを使って山鳥を獲ったりしてきた。

庵の裏の、猫の額ほどの地べたに善さんのお墓がある。
あたしは、山吹の黄色い花を竹筒に挿して手を合わせ、たった五年ほどの二人の生活を思い起こしていた。
雨の激しい夜、寂しいあたしは善さんの布団にもぐりこみ「抱いて」と求めた。
男と女が一つ屋根の下で暮らせば、自然にそうなるものだとあたしも心得ていた。
父親のような善さんにそういうことを求めるのは忌むべきことだったのかもしれないが、人恋しいあたしは、ただひたすら善さんにしがみついていた。
善さんは、何も言わずにあたしの頭を撫で、強い汗のにおいのする体で抱きしめてくれた。
次第に、善さんの手はあたしのそまつな着物の合わせ目から胸乳に忍び込み、硬くしこった乳首をつまみだした。

お墓の前で、そんな物思いにふけるのは罰当たりだと、我に返ったあたしは立ち上がった。
女の一人暮らしは、言いようのない寂しさで満たされていく…

あたしは、方丈庵に戻り、外の明かりを入れるために「突き上げ窓」を突き上げた。
方丈の「突き上げ窓」は善さんが作ってくれたもので、蝶番で窓枠に雨戸が吊るされ、その雨戸を棒で突き上げて窓の庇(ひさし)にできるような仕組みになっている。
時鳥(ほととぎす)の声が筒を叩くように遠くから響く。
鴬(うぐいす)の初鳴きも聞こえる。
音と言えば、鳥の声と木々の葉擦れの音、風に乗って聞こえる谷間のせせらぎの、途切れがちな音くらいである。

塩のきつい糠床で漬けた青菜の古漬けと、具のない薄い味噌汁で麦飯の朝餉を一人で食べた。
いつも変わらぬ朝である。
方丈の隅に古びて灰色になった将棋盤と駒の入った桐の箱が静まり返っている。
善さんに将棋を教わって、二人で夜な夜な指したものだった。
最初は負けてばかりだったけれど、一年もすればあたしが勝つこともあった。
「なおぼんは、筋がええ」
善さんが負けても、にっこりと笑ってほめてくれた。
あたしは人にほめられるという経験がなく、とてもうれしかった。
だからというわけでもないが、あたしは将棋に夢中になった。
でも今は、一人ぽっちだった。
もう駒を並べることもなくなった。

善さんは、あたしに女の喜びを教えてくれた。
十五で母の愛人に無理やり体を開かされ、以来、あたしは男を蛇蝎のごとく嫌っていた。
なのに、善さんにはそんな気持ちをこれっぽも抱かなかった。
早くに病に倒れた父の面影を善さんに映していたのかもしれなかった。
「あの男」はあたしたち親子の住まいの家主の息子だった。
父が亡くなってしばらくしてから、母に言い寄ってきたらしい。
未亡人の体に興味を持ったドラ息子だった。思い出すだけでも虫酸が走る。
あたしより、五つほど年上の若造で、母の体をむさぼり、そして娘のあたしにも食指を伸ばしてきたのだった。
追い出されたくない手前、母もあたしも何も言えず逆らえなかった。
何度目かの凌辱のあと、あたしは我慢できずに家を出た。母にも告げずに。
あの男、銀次が母を犯しているときに、母が歓喜の声を上げたのを機に、あたしは決意した。
「もう嫌だ」
あたしは母を嫌悪し、銀次を憎んだ。
「二人とも、どうにでもなってしまえ」
このままだと、二人を刺し殺しかねない衝動に駆られ、あたしは家のお金を持ち出して軽便鉄道の始発に飛び乗った。
そして、半島の裏まで来て山に入ったのだ。

満月が山の端(は)から昇りかけて、あたしを睨んでいるようだった。
狐が鳴き、梟(ふくろう)も鳴き、あたりは夜のとばりが占めていた。
鼻をつままれてもわからない暗がりで一点の明かりを見つけたのは幸いだった。
もう、満月は天頂に掛かり、足元を照らしてくれた。
あたしはひたすら、その明りに向かって、虫たちが引き寄せられるように、足を急がせた。
着物の裾は汚れ、わらじは辛うじて足の裏に貼りついていた。
藁をたたく音が近づき、小さいが農家のようだった。

ついにあたしは、この世で人に出会った。
怪訝そうにあたしを見たその人は、すぐに相好を崩して、あたしを招き入れてくれた。
「たすけてください」
そう言うのが精いっぱいで、それだけで農夫はすべてをわかってくれた。
あたたかい粥をふるまわれ、人心地がついたときに、農夫は「織部善哉(おりべぜんざい)」と名乗って、あたしのことは何も聞かずに寝床にいざなってくれたのだった。

あたしは忘れない。
「善さん、善さん…帰ってきて」
さめざめとあたしは、方丈で泣いた。

善さんは、単なる農夫ではなかった。
日露戦争の兵役を逃れるために、この山間に逃げてきた人だった。
元は石工(いしく)だったそうだ。
若いころから手先が器用で、なんでも自分で作ってきたと言い、この庵も手製だそうだ。
村田銃は、善さんの猟の師匠という人から受け継いだもので、弾があまりないのでいざという時しか使わないと言っていた。
その銃も、長押(なげし)に掛けてある。
弾が残り十五発あることは知っているけれど、もう湿気ってしまって使えないかもしれなかった。

「あのう…」
框(かまち)に十四、五の男の子が立っている。
「あんたは?」
「道に迷って…街道に出るにはどう言ったらええでしょうか?」
身なりは粗末だが、礼儀正しい男の子だった。
「ここからじゃと、半日はかかるでよ。あんた、どっから来たんね?」
「おらは、多度津からオオムラサキを探して来たんだども、迷っちまって」
「オオムラサキぃ?なんじゃそれ」
「蝶だ。ちょうちょ」
あたしは、子供の言うことだから、そのまま聞き流しておいた。
虫を取りに来て道に迷ったということか?
おぼこい話だ。
あたしは、しかし、もう長いこと人と話したことがなく、こんな子供でも口を利ければうれしくなった。
「まぁ、入んな」
男の子はわらじを脱いで、上がってきた。
「なんもないけど、漬物(つけもん)と麦飯ならある」
「ああ、おなかがぺこぺこなんです」
「じゃ、そこで待っとり」
急に弟ができたようで、あたしはさっきの寂しさから逃れられた。
ぺろりと麦飯を平らげる男の子を頼もしく見ながら、
「おまえ、名前はなんと言う?」
「ウエダコウゾウ」
「コウゾウか、こうちゃんだ」
「えへ」
照れる顔があどけない。
字を訊くと、「上田耕三」と書くという。
今日はもう昼を回ってしまったので、明日、街道まで送ってやると言って少年をここに泊めることにした。
昼飯と同じような夕飯を二人で食べ、けらが耳鳴りのように大きな音を出している縁側であたしたち二人は月を眺めながら座っていた。
「親御さんは、心配しとるやろ?」
「いいんです。おれなんか」
「なんでね」
「虫ばっかりおっかけてる、おれなんか親は気にかけてくれません。兄弟はたくさんいますから」
「虫が好きなんやね。博士にでもなるんか」
「帝大に入って、虫の研究をしたいと思っとります」
「たいしたもんだ」
ろうそくの火を頼りに、粗末な床を延べた。
あたしは、久しぶりに声を発した気がした。
「すごい鉄砲ですね」
長押の村田銃に興味があるらしい。
「ああ、ここの主(あるじ)のものだ。もう亡くなってしまったけどね」
「将棋もある」
「やるかい?一番」
「やりましょう。おれ、少しは知ってるんです」
夜気が冷えてきたが、盤上は熱かった。
指し方は我流らしいが、なかなか読みが深い耕三だった。
あたしも、我流だからいい勝負だった。
ようやくあたしが耕三を詰まして、夜半過ぎだった。
「寝るかい?」
「帰りたくないな」
と、ぽつりと言う。
「じゃあ、ここにいな」
「いいの?」
「かまうもんかね」

今度はあたしが、誰かを助けてやる番なのだと自分に言い聞かせて、耕三との奇妙な生活が始まった。
十五の耕三が、あたしが家を飛び出した年齢に近かったということにも、因縁めいたものを感じていた。

(つづく)