京都のお菓子「八ッ橋」は最近、どうですか?
あんまりいただく機会もなくなりました。
もちろん「ハードタイプ」の八ッ橋ですよ。
生八ッ橋は、まだ「現役京都土産」ですからね。

この「八ッ橋」せんべいの由来がわかる出来事が、昨日ありました。
八橋検校は、江戸時代の箏曲家で「平調子」(調律法の一)を考案した盲人です。
「検校(けんぎょう)」とは盲人の役職を言います。
盲人の官職では最高位になります。
「群書類従」という日本の古典書物を蒐集し、レファレンスした塙保己一(はなわ・ほきいち)も盲人で検校でした。

1685年の6月12日に八橋検校がお亡くなりになったんですね。
それで、京都の「八ッ橋」業界の社長などが検校菩提の金戒光明寺塔頭の常光院の墓前に集まり、三三三回忌の供養をしたそうです。
「八ッ橋」が「お琴」の形をしているのは、八橋検校が箏曲家だったからなんです。
あれは「お琴」の形だったんですね。
あたしは初めて知りました。
「八ッ橋」だから橋の形をしているのかと思っていました。
※もちろんそういう名の橋があって、「伊勢物語」の「かきつばた」の段で出てくるものがお菓子の由来だという人もいます。

それで昨日の12日は、八橋検校の菩提寺で、恒例の「八橋祭」が行われたそうで、法然院でも聖護院八ッ橋総本店が「八橋忌」を催されたと本日付け毎日新聞京都版に記事がありました。