あたしの世界史の先生である、府内高校のNさんによると、

①ナチス・ドイツのポーランド侵攻

②イギリスのチャーチル首相がフランスとともにナチス・ドイツに宣戦布告をした。

③ナチス・ドイツは機甲師団によってフランスに侵攻、マジノ線を迂回して占領する。

④日本の真珠湾奇襲攻撃を見て、ナチス・ドイツはアメリカに宣戦布告をした。

以上が第二次世界大戦勃発の経緯だそうです。

これらの事件は1939年9月から1941年暮れまでに立て続けに起こり、世界は戦争に突入するのでした。

「ナチス・ドイツはどうしてポーランドを侵攻したのでしょう?」
あたしがNさんに訊きますと、
「ナチスの、チェコスロバキアからのスロバキア民族解放という側面もありました。ところが、ポーランドはドイツとスロバキア、ソ連からも侵攻を受けたのです」
「ややこしいですね。あたしも常々、きっかけはなんだったのだろうと思っていたんですよ」
「当時ポーランドは英仏と同盟関係にありましたから、英仏がポーランド救援を口実にナチス・ドイツに宣戦布告をすることは当然だったかもしれません」
「ええ、チャーチル首相がドイツに宣戦布告したんだと、戦記などにはありますね」
「実はですね、ナチス・ドイツのポーランド侵攻には、ポーランド領内にある東プロイセン地域という「飛び地」の保護という理由がありました」
「と言いますと?」
「在ポーランドのドイツ人が、バルト海の「ポーランド回廊」で本国ドイツと断絶されていることに不満が募らせとったのです」
「ポーランドかいろう?」
「回り廊下という意味ですかね、バルト海を通じて、ポーランドに住むドイツ人、とりわけ東プロイセンのドイツ人は物や人の行き来をしていたんですが、ポーランドがそれを制限した」
「そりゃ、困りますわね」
「加えて、ソ連がポーランドになにかと干渉し進出したがっていましたので、ポーランドの一部の割譲を迫っていたこともあって、ナチス・ドイツとソ連とのせめぎ合っていたんです」
「やっぱり不凍港欲しさですか?」
「それもあるでしょう。大西洋に勢力を拡大したかったという面もあったでしょうし。しかし、独ソのポーランド不可侵条約をナチスは、不正の口実(あることないこと)で反故にし、ポーランドに攻め込んだのです」

あたしは「U-Boat」というバランタイン版戦記を読んでいて、ドイツ海軍の潜水艦偏重に興味を持っていました。
第一次世界大戦のおりにすでにドイツ海軍には潜水艦「U-ボート」が活躍していたとあります。
後のドイツ海軍潜水艦部隊提督になったデーニッツは、その第一次世界大戦のころから潜水艦乗りだったのです。
チャーチルをして、「U-ボートとの戦いの方が、バトル・オブ・ブリテンよりも脅威だった」と回想させたU-ボートの活躍です。
もしナチスがU-ボートにもっと期待を寄せて、注力していたら第二次世界大戦の結果は変わっていたかもしれないと、チャーチルが語っていました。
連合国軍にとって、幸いにもヒトラーやゲーリングが潜水艦の成果を軽視していたから、連戦連勝だったU-ボートがとうとう窮地に追い込まれることになり、その結果、連合国艦船の被害が抑えられたのでした。
それでも海の脅威には違いなく、危険の多い潜水艦乗りになりたがるドイツの志願兵は後を絶ちませんでした。
※日本の海軍も、「ロ号」という潜水艦の中にはU-ボートを譲り受けたものもあり(U-511)、譲渡後のはなばなしい戦績は無かったけれど、ドイツ籍のころには大西洋やカリブ海で活躍した模様です。

大西洋の海戦は、映画『眼下の敵』にもあったように、太平洋の日米の海戦とは異なる、駆逐艦と潜水艦の戦いだったのです。
空母や戦艦はもはや主役ではなかった。
ドイツの巨大戦艦「ビスマルク」なども、沈められるために造られたようなものでした。
冷たい海の戦いが多かった第二次世界大戦。
北海やフィヨルドが格好の潜水艦の隠れ家になったのは、地勢的にうなずけます。