「リビング」という無料のコミュニティ紙があたしのところにも配られるんで、ほとんど興味ないから捨ててるんだけど、今週の「あなたはすぐやる派?のちほど派?」という特集だったんでつい読んでしまった。

「すぐやる派」は周りを巻き込んで、せかしてしまうとか、「のちほど派」はじっくり考えるのだとか…
まあ、そういう一面もあるだろうけれど、あたしはこれについてちょっと異なる見解を持っています。

あたしはどうやら「のちほど派」に分類されるようだ。
だからといって「じっくり考える」つもりはない。
つまり「やりたくない」から「先に延ばしている」のだから、その辺を追及してほしかった。
この新聞記事には、いっさいそういう糾弾はなかった。
甘いのだ。
掘り下げ方が。

ただし、人と関わるような、利害関係がはっきりしている「契約」は「じっくり考えて」判断して行動した方がいい。
金銭や物品の出捐(出費すること)に関わることなどだ。
クーリングオフなどの救済措置があったとしても、やはり面倒だし、誰かと相談してからでも遅くはないだろう。

つまり「不可逆」な行動は取り返しがつかないから、よくよく考えて行動しなさいよということだ。

反対に「可逆」な、何度でも撤回できるような、やり直しのきくような、しょうもない、取るに足らない行為はさっさとやればいい。
また、ぐずぐずしていると先を越されたり、後悔の念にさいなまれたり、あなたの評価を落としたりしかねないからだ。
金銭で言うなら一万円以下で済むようなもんです。
くれてやってもいい金額だ。
そのくらい気風(きっぷう)良く、堂々とやってやれば、あなたの評価は格段に上がること間違いなし。

だから、他人の評価を気にする人はサクサク行動を起こしなさい。
愚図(ぐず)が一番、嫌われ、いじめの対象になりやすいからね。

あたしは、なんだかんだ理由をつけて「やらない」。
これは「やりたくない」という明確な意思だ。
「また今度」ということは「今度はない」という意味だ。
しかし「やらねばならぬ」と決めたことは、必ずやる。
約束は守る(たぶん)。

「お尻(締め切り)」が決まっていて、やらぬは、それなりの理由を述べないといけない。
「こうこう、こういう理由であたしはそれをやらない」とね。

世の中、いろんなペースの人がいるから、あまりせかして他人を巻き込まないことは大事だね。
とはいえチームで仕事をやっていて、一人、ぐずぐずしている人がいるのも考えものだ。
そのぐずぐずが、生来のものなのか、慣れないからなのか、やりたくないのか?
ここはコミュニケーションで乗り越えるしかない。

この「リビング」の記事にも、「子供ができてから、すぐやる派になった」とか「大病を患って生還してから、すぐやる派になった」という転機によって人は変われるようなことが書いてあった。
確かに、子供ができれば、母親として、妻として仕事が増えるのは否めない。
「のちほど」なんて言ってたら、仕事は山をなすだろう。

大病など生死をさまよった人間は、刹那的になって「自分には時間がない」と「すぐやる派」になるのだろう。
あたしがもしそういう経験をしたら、同じ刹那でも「急ぐことはあるまい」「できぬものはできぬ」と開き直るのかもしれない。
やり残して死んで「後悔」するだろうか?
あたしはもう存在しないから、「われ思う、ゆえにわれあり」の前提は崩れ、後悔などすることもできないのだ。
ならば、やり残したってかまうものか。

好きなことは「すぐやる派」だけど、嫌なことは「のちほど派」なんだよ。きっと。