あたしの書いた『エロ事師たち』の感想文が物議をかもしたわけですが、あたしが大人になって、やはり「AVの脚本」などを書くにあたって、この野坂昭如氏の著作は座右にあるわけです。

大人になったらなったで、興味の尽きない作品なんですね。
色あせない。

千林(せんばやし)商店街や森小路(もりしょうじ)、関目(せきめ)のあたりが舞台というのも、あたしの生活圏だったためか目に浮かぶようです。
あそこは戦災に遭っておらず、「赤線地帯」でもあったのね。

架空の「ベラミ」という「温泉マーク」(連れ込み旅館=ラブホ)があたしの作品に出てきますが、野坂氏のイメージです。
また中華料理屋、淀川河川敷、京阪電車という点景をあたしが用いるのも、彼の影響でしょうね。

「一人寝の女性が、悶々としてビール瓶、ソーセージ、天狗の面、バナナ、化粧水の瓶を、とっかえひっかえもてあそぶシーン」というカメラマン「伴的(ばんてき)」の演出は、中学生のあたしにはよくわからなかったけれど、今は、鮮やかに目に浮かびます。

「もてあそぶ」にしてもこれらの品物をどう使って、何をするの?
そういうネンネちゃんだったあたし。
従弟と初体験をしていたはずなのに、オナニーについては、お豆さんをいじるしか能がなかった。
まさか、あそこにそういうものを入れて楽しむなんて…

「スケコマシ」「肉弾三勇士」「インポ」「対空聴音器」などの言葉をいち早く、十五の少女が知ることは、その後の人生を左右する。

あたしが『エロ事師たち』が単なる低俗な猥雑文学なら、ここまで入れ込まない。
そこには確固たる作者の思いがあるんです。

「スブやん」のお母さんのエピソードは、あまりにも悲しい。
なのに、淡々とおもしろく書いてある。
焼夷弾の降る中、スブやんと彼の母は逃げ惑う。
お母さんは病弱だ。
火の粉を避けるのにお母さんに布団をかぶせて水を撒き、なんとか火災の熱から守ろうとするスブやん。
しかし烈火はとうとう母の命を奪った。
焼け出されたスブやんが大人たちと、布団を剝ぐと、お母さんは焼けただれもせず、きれいに蒸し焼きになって変わり果てていた。
持ち上げると、肉がほろほろと落ち、骨が見える。
スブやんは蒸し鶏を、今も食べられない…

戦争の悲惨さを野坂氏はこんなに鮮やかな描写で、あたしの前にコックさんのように出してくれるのだ。

「性と生」があたしの永遠のテーマなのは、野坂氏の影響が大きい。

国語の先生に、罵倒され、あたしは意地になって野坂氏を弁護した。
その思いに悔いはない。