デリヘル熟女「悦子」を指名した山下雅人が、自分たちの情事のビデオ撮影をした日より数日遡る。
本来「本番行為」をしないのがデリヘルなのだが、大野悦子は誤って客の雅人に「本番中出し」を許し、上に内緒で「中出し料」を上乗せしていた。
悦子には十九の一人息子「英司」がいた。

人気ロックバンド「ヴァイキング」の東雲(しののめ)コンサートは毎年、八月の最終日曜に行われる。
雅人も高校時代からの彼らのファンで、このコンサートが始まった時から観覧を欠かしたことがない。
そこにひと際(きわ)、目を引く青年がいた。
雅人は、最初「熱いやつ」だなとは感じていた。
金色の頭髪を逆さに立てて、「ヴァイキング」のリードボーカル「ノルド」にそっくりにしていた。
鋲打ちの革ジャケットも自分より様になっていて、恥ずかしく思ったくらいだった。

コンサートが始まると、場内は騒然とし、狂気の沙汰となった。
いつものことだが、この身の毛がよだつような、血が逆流するような雰囲気に吞まれないように、雅人も気合が入る。
バンジージャンプを飛び降りるような感覚だ。
飛んでしまえば、このうねりに融和するのだ。
おー、お、おー、お…
キュイーン
金属的なエレキの鳴動が鼓膜をつんざく。
尖ったサウンドが観客をなぶる。
歌詞など、聞こえない。
ノルドがシャウトするが、それが何語なのかもわかりはしない。
爆音がさく裂し、ステージの脇から火柱が上がる。
女性の黄色い声が唱和する。
雅人の真横に、ノルドそっくりの青年がエアギターで激しく体をくねらせていた。
カラコンの目が燃えている。
雅人はひとしきり、見とれていたのだ。
インターバルのひと時、雅人は思い切って、その青年に声を掛けた。
肩で息をしながら、彼は「乗るね。今日は」と応えてくれた。
見かけによらずやさしい声だった。
「君、すごいね。やつらより、こっちを見とれたよ」
「そうっすか?暑くって、ジャケットの中、汗が溜まってるぜ」
「おれだって、ずくずくだよ」
「若そうだけど、大学生?」
「うんにゃ。十九のフリーター。兄さんは?」
「少し、君より上だけど、そんなに変わらんよ。おれマサトってんだ、君は?」
「おれ?オオノエイジ。イゴ ヨロシク」
そう言って、ウィンクした。
「バンドやってんのかい?」
「うん、高宮の駅前のシュメールっていうハウスでやってる。クリンチってバンド名なんだけど。ベースやってんだ」
エアギターの手つきが堂に入っているはずだった。
「そうか、おれもまだ人前ではやってないが石田駅の路上でやったりしてる」
「へぇ、おれそこの駅の近くに住んでんだ」
「そうなんだ」
そう言えば、えっちゃんの息子も「ヴァイキング」のファンだと言ってたな。
「エイジ君、君のお母さんって、えつこさんって言わないかい?」
「え?知ってんの。おふくろ」
エイジの目がまん丸になった。
ビンゴのようだった。
「え、ああ、少し前に親切にしてもらって。あ、そうそう、いつだったか雨の日だったんで傘なんか貸してくれて」
「へぇ。パート先の関係かなんか?」
「い、いやそういうんじゃなくって、ただの通りすがり」
「ふぅん。お、次の曲が始まるみたいですぜ。マサト兄さん」
「あ、そうだな」
「いっしょに、ノリノリでいきましょうぜ」
「よしきた」

雅人は、今度、悦子に会う時に、どう切り出したものか考えていた。
思いがけない金づるになるかもしれなかった。
それより、このエイジの母親をぞんぶんにいたぶって、楽しむのも一興だった。
ロハで…