おれは射精した後、しばらく母の胸に顔をうずめていた。
「よしよし。よくがんばったね」
母は、おれを赤子のように頭を撫でてあやす。
「母さん、もう寝ようよ」
「そうね。寝ましょうね」
母は、出したものをティッシュで始末し、そのかたまりをくず入れに放り込んだ。
そうして、またバスルームに消えた。

自分でもティッシュで拭いた。
べたべたに下半身が汚れている。
青臭いあの匂いが鼻を突く。

おれはオナニーというものを覚えたのが中三の秋で、それまでは精通したことがなかった。
友達との会話で、そうやってこすれば、気持ち良くなって射精するという情報を鵜呑みにして、なかば強制的に射精したものだった。
だからか、あまり気持ちの良いものではなかった思い出があった。
しかし、疲れているときや、試験勉強中などに性器に手が行くようになり、頻度は多くないけれど人並にオナニーはしていた。
ただ、母を想ってしたことは決してない。

童貞ペニスはだらしなく縮こまって、少ない陰毛に隠れていた。

母はシャワーから上がって、今度は離れて寝てくれた。

疲れも手伝って、おれもいつしか眠りに落ちた。

朝、昨夜の夢のような時間を反芻(はんすう)していた。
本当にあったことかどうか、おれは確かめようとしていた。
母は、静かな寝息を立てている。
違和感に股を覗けば、ペニスは硬くそそり立っているではないか。
だいたい朝起きるとこのような状態になっていて、排尿すると収まるのだが。

おれは、ラブホテルで母と一夜を過ごした事実を受け止めつつ、トイレに立った。
勃起したままでは尿が出ないので、ほかのことを考えて鎮(しず)めた。
ちょろっという感じで、尿が滴(したた)ってき、あとは勢いよく飛び出した。
「はあっ」
息を吐き、今後を考えた。

何もなかったかのように、母とモーニングサービスをぱくつき、歯を磨いて、朝のニュースを見ながら身支度を整えた。
精算機で支払いを終え、誰にも会わずにホテルを後にした。
なんともよくできたシステムだった。

陽光まぶしい山間部の道をフィアット「パンダ」は母のハンドリングで軽快に飛ばした。
二人の間(あいだ)はずっと近くなり、おれは母と「もう離れたくない」と思うまでになっていた。

車は再び東名高速道路に入って、母の実家のある浜松を過ぎ、もう名古屋に入っていた。
「どこまで行くのさ」
「京都なんかどう?」
「きょうと?いいね」
「知り合いがいるのよ。学生時代の」
「へぇ。女の人?」
「横山尚子(なおこ)って言ってね、とっても頭のいい人」
「ふーん」
母が学生時代に関西にいたことは聞き知っていた。
父と知り合ったのも大阪だったそうだ。

養老のサービスエリアで母がカード電話でその後藤さんに電話してくるといって車から降りた。
おれもトイレに行った。

昼には京都の東インターから国道一号線に入れた。
このまま五条通につながって京都市内に行けるそうだ。

「京都駅のね、八条口で待ってるはずなのよ」
母が、口を開いた。
「赤いシビック」
と続けた。
八条口と言われても、おれには初めての土地であり、さっぱりわからない。

京都駅は東京駅よりはるかに地味で、特徴はなかったが裏に変な白いタワーがそびえていた。
八条口の西の方に京都らしい五重塔が見える。
訊けば「東寺の塔」だと母が教えてくれた。

おれたちの車の前にすっと赤いシビックが入ってきて停まった。
母がドアを開いて駆け寄る。
「わぁ、なおぼん」
「なっちゃん」
「しんちゃん、早く来なさい」
車から出てきたのは母と同じくらいの年恰好で、ポニーテイルに結ったすらりとした女性だった。
「息子の慎吾(しんご)よ」
「慎吾です」おれはぺこりと頭を下げた。
「へぇ、こんな大きな息子さんがいるんや。あたし、お母さんの飲み友達の横山です」
「母が、えっと、お世話になっております」
「いえいえ、こっちがお世話になってるくらいやわ。しっかりしたはる」
「まだまだ子供で」
「夏休みの旅行ってわけ?パンダってちっさいなぁ」
フィアット「パンダ」をのぞき込む横山さん。
「二人旅だから」
「ほんまにフロントガラス、板ガラスやね」
彼女は、よっぽど車好きみたいだった。
シビックもすこし車高が低いみたいだし…
パンダのフロントガラスは日本車のようにカーブしていない。
めずらしく、真っ平のガラスなのだった。

「お昼、まだなんやろ?お肉でも食べにいこか?それとも「床」がええか?」
「床(ゆか)なんて高いとこ、いいよ。普通のとこで」
「ま、ついてきて」
おれらは横山さんの車についていった。
宇治方面に向かって、宇治川沿いを行く。
「花やしき浮舟園」という立派な庭園のある料亭に車を停めた。
「ここ、ステーキがおいしいねん」
「立派なお店ね」
和風のステーキ膳をいただく。
目の前の鉄板で料理人が肉を焼いてくれるのだ。
「電話くれたときに予約入れといたんよ」
「そうなの。気を遣わせてごめんね」
「なに言うてんの。水くさいなぁ。しんちゃんやったっけ、何年生?」
「高2です」
「そっかぁ、もうあれから十七年もなんねんなぁ」
大阪の大学で母と横山さんは出会った。
二人は学校は違ったが、ライブで知り合って、そのときに父もいたらしい。
横山さんは結婚しておらず、地元の会社に勤めているそうだ。
「卒業を前にして、お腹が大きなって、結婚するだの、親が反対するだの大変やった…あ、しんちゃんはそんなこと知らんよね」
「なおぼん、暴露しないでよ」
母が、赤くなっている。
どうやらさきにおれができちゃって、結婚したらしい。
「まあ、しんちゃんも大人やし、ええやんか、なぁ」
おれは昨晩のこともあってドキッとした。
なんか見透かされているようで。
「ホテルに泊まりながら、旅行?ご主人は?」
「仕事が忙しいのよ」
母は嘘をついている。
「宿は決まってんの?」
「これから」
「この時期、難しいよ。と言っても、あたしは社員寮暮らしやし…」
「心配せんといて、なんとかするし」
「ほうかぁ。いざとなったら、ラブホに泊まったらええねん」
おれはまたまたドキッとさせられた。
「ははぁ、あんたら、もう泊まってきたなぁ」
横山さんがおれの顔をうかがって、そういった。
「もう、何言うの。なおぼん」
「ごめんごめん、さ、食べよ」
目の前に焼き立てのミディアムレアの肉が湯気を立てている。
スライスした焼きニンニクが芳香をたてていた。