あたしが書道教室を手伝っていたころの話。
師範の今井先生はお体がだいぶ悪くって、その師範代をあたしが仰せつかっていた。
今井先生は、書道界の重鎮的な方だったが、その娘の美智代さんが、蒲生と内縁関係にあって、二人には娘もいた。
美智代さんは河原町の方で輸入雑貨店を経営していて、あたしはだから彼女を「ママ」と呼んでいた。
ママの依頼で、この書道教室の手伝いをするようになっていたのだった。
もう三十年も前の話である。

塾生に若林祐樹(ゆうき)という大学生がいた。
彼は小学生のころからこの塾に通っていた古参で、大学に入っても続けている珍しい男性だった。
家が錦(にしき)の乾物屋だそうでそこの次男坊だと聞いている。

あたしより三つ年下で、よく遊んだ。
恋人というより、遊び仲間であり、お互い別にパートナーがいた。
ただ、体の関係にはだらしなく、すぐにホテルにしけこむ間柄だった。
あたしが誘うこともあり、彼から誘われることもあった。
金持ちの息子らしくアウディに乗っていたし、それであちこち遊びに行ったものだった。

書道では、祐樹は行草を得意とし、「かな」も男ながら繊細な文字を書いた。
彼の書いた扇子は、あたしもどこかにしまってあるはずだ。

情事の後のピロートークで、よく書の話をした。
書家はスケベである。
硯の「海」に水を満たし、その水をイタチの毛の筆に含ませて、クリトリスを撫でる。
筆の軸の上の方を持って、草書を書くように…
大事な筆をつかって二人で遊んだものだ。

「なおぼんは、漢字ってだれが考えたのか聞いたことある?」
ふいにそんなことを祐樹が訊いてきた。
「なんだったか、本で読んだんだけど、ほら、目がたくさんある人」
「蒼頡(そうけつ)やね。知ってた?」
「名前だけはね。ビジュアルのインパクトが強すぎて覚えてるのよ」
「蒼頡は、四つの目を持っていたと言われて、そういう肖像画ばかりが残っているからね」
「ほんとにいたの?」
「いたことはいた。でも目が四つってのはでたらめで、それほど聡明だったという比喩だと思うよ」
「彼が漢字を創設したのね」
「それも伝説かも知れない。かれより古い遺跡から甲骨文字を記した亀卜(きぼく)が出てきてるから」
「ふ~ん」
「紙を発明した蔡倫(さいりん)や、筆を発明した蒙恬(もうてん)も伝説の域を出ない」
彼は佛教大学で書道史を専攻していた。

筆で体のあちこちを攻められるのは、祐樹が考え出したものだった。
「ああん、そこやばい!」
「こうかい?」
「だめだって。きゃぁ」
あたしは逝ってしまった。
「あんたの極太の筆を入れてよ」
「じゃあ、一筆書きに逝かせてあげよう」

思えば、ばかな二人だった。