知覧(ちらん)という地名をどれだけの人が知っているだろう?

鹿児島県にあるこの町は、太平洋戦争の末期に陸軍特攻隊が旅立った飛行場があったところだ。
今、この地は「自己啓発セミナー」の格好の教材になっているらしい。
特攻隊員の心に思いをはせて、弱い自分を鍛えなおし、克己の精神を養うということらしい。
知覧には特攻隊員の遺した手記や品物が展示されている博物館がある。
ともに平和を願い、二度と悲しい歴史を繰り返さないことを誓う、貴重な場所である。

その特攻隊員の精神を、自己啓発に用いることは「特攻の美化」につながらないか?
「克己の精神」は何も、国家のために命を賭した若者になぞらえなくとも、養えるはずだ。
特攻隊の遺族も「特攻隊員のように純粋で、強い精神を持ちたいから」なんて若者に言われても戸惑うばかりだ。

こういった「自己啓発」の方法は、得てして、自己犠牲を強い、過労死になるまで自己を追い込む土壌を作りかねない。

克己(こっき)とは己に勝つことであって、自己犠牲ではない。

あたしは、そういうまやかしの自己啓発に「知覧」を使うなと言いたい。
まるで「永遠のゼロ」ではないか。

戦争は、「自己犠牲」を強いるものなのだ。
自分の目標達成のために、迷う心を抑え込み、努力して邁進(まいしん)することが「犠牲」であるはずがないだろう?
それは自分がやりたいことなのだから「犠牲」という言葉を使ってほしくない。
「自己犠牲」を「自己責任」で行うのは、それぞれの勝手だ。
しかし、他人に「犠牲」を強いるものではないし、そんな権利は誰にもない。

特攻隊員は「このような犠牲は俺たちだけでいい。平和を取り戻した日本には、二度と特攻という犠牲を国民に強いてくれるな」と言いたかったに違いない。
「俺たちが、愛する国民のために「盾」になるから、必ず日本を再興してほしい」という願いが込められたものだ。

無謀な戦争を早く終わらせたい、和平の希求の気持ちから敵艦に体当たりしたのだろう。
決して「打倒鬼畜米英」の気持ちからではなかったはずだ。
最初の「神風」特攻隊員指揮官の関行男海軍大尉は「妻をアメ公から守るため」だと出撃前に答えているけどね。

彼らが、日本が勝つことを最後まで信じていたことは想像に難くない。
そうでなければ、命を賭する意味がない。

今の北朝鮮の挑発と、トランプ大統領の舌戦の応酬は、かつての日米戦争の有様を見ているようだ。
「北」の若者の間には「打倒アメリカ」と志願兵が殺到しているとか。
まさにサイパン陥落、レイテ敗走以後の日本政府の特攻要請、学徒動員の再現だ。
その結果、どうなりました?
トランプ大統領は知っているはずだ。
金正恩は知らないかもしれない。

北朝鮮はかつての日本そのものだと、皆さんは思いませんか?
だから、特攻を美化し、その精神を誤った教育に用いるのは危険です。
そしてそれは特攻隊員の遺族にとっても望まないことなのです。