本の地層から、化石を発掘するかのように、あたしは蔵書の中から一冊を掘り当てる。
それは父母や叔父が遺したものでもあるし、あたしが読まずに積み上げたものでもあった。
長い時間が部屋を流れ、埃と黴が「地層」の表面に堆積している。
時間

この堀田善衛の『時間』は岩波現代文庫で復刻されたものだ。
だからあたしが読まずに忘却していたものにほかならない。
『時間』は1953年に新潮社から出版されたらしい。
内容は日本人にとってセンセーショナルなものであるはずなのに、この作品が世に出た時はさほど騒がれなかったそうだ。
では売れなかったのか?
そんなことはない。
かなりの当時の日本人が手に取り、密かに読んだと言う。
(辺見庸氏「あとがき」による)

もし、現在なら、確実にネトウヨ連中やヘイト・スピーカーからやり玉に挙げられる書物だろう。

この『時間』は不思議な物語である。
南京事件の虐殺を、中国人の目から描いているのだ。
堀田氏は日本人であるが、太平洋戦争末期に中国に中国国民党の宣伝部に留用されていた経緯があって特殊な経歴の持ち主である。
南京にも訪れたことがあったそうだ。
だからこそ、中国人の立場で南京事件を眺めることができたのだろう。

主人公の陳英諦の一人称で語られるのは彼の日記というか手記の形式をとっているからだ。
陳はどうやらインテリらしい。
彼の冷徹な語り口、淡々と身に起きた非道の数々を書き述べていく。
「日軍(日本陸軍)」の南京市民への虐待、虐殺、凌辱、略奪の数々。
酸鼻を極める描写は、この作品の予期された特徴と言える。
「わたし」も身重の妻「莫愁」、五歳の長男「英武」、従妹の「楊嬢」を「日軍」の兵に辱められ、莫愁は胎児もろとも殺され、英武も殺され、楊嬢は犯され、行方不明になるも、梅毒に侵され、加えてヘロイン中毒になって半狂乱の有様で見つかる。
この物語は日記風で、二つの部分に分かれるようだ。
1937年の十一月三十日から、十二月十一日までと、翌年の五月十日から十月三日までである。
1937年十二月の空白期間に「わたし」の家族に悲劇が襲ったのだった。

南京の大虐殺である。
嵐のような、夢の世界で起こった出来事(それなら救いがあるが)のような惨事が去ったあと、日軍の支配下にこの城塞都市は置かれる。
蒋介石の国民党軍は重慶に落ちていったのだった。

「わたし」は南京事件の前から、自宅の地下室にこもって無電機(無線機)と電鍵を使い、国民党軍の諜報活動を担っていた。
そのためKという昔、画家を目指していた友人など数人をスパイとして組織していた。
日軍の支配下にあって、「わたし」の先祖から受け継いだ自宅を、日本兵の「桐野大尉」に接収され、自らは下僕として桐野の世話を焼いている。
あの虐殺事件が嘘のような、平穏な毎日が訪れる。
桐野大尉は終始、おだやかで、もとは大学教授のようだった。
だから、同じ気質を「わたし」の中のインテリジェントな素性を嗅ぎ取っていた。

「わたし」は、しかし桐野を最後まで信じず、桐野に諜報活動を嗅ぎつけられることもなかった。

この物語は「わたし」の思索に多くを割いている。
「わたし」は昔、ヨーロッパを旅したことがあったらしい。
見聞の広さが、悲劇を冷静に受け止める一助になっているのかもしれなかった。
物語の後半で、桐野と「わたし」が対話する部分がある。
虐殺をした日本兵の一人の桐野と、虐殺を受けた「わたし」の対峙。
「わたし」は下僕として仕えるのであって、一切の議論を日本人とする気はなかった。
桐野は壁にかけた自分の軍服を指して、
「この服を見ると、見るだけで気持ちの悪くなる人がいることは、われわれは知っています」と口を開く。
あの虐殺を連想する中国人がいることを指しているのだ。
「わたしたちはこの南京で相当なことをやった」と桐野が続ける。
桐野は英字新聞を何冊が取り出して、それを読んでいて、日本が世界で「南京事件」をどのように捉えられているかを知っているということを示したのだ。
ところが、
「この南京で、われわれの援助によって、またわれわれの慈悲で生きている人間に、批判するのが許されるとしたらそれはあまりにも虫がよすぎる」
と桐野は英語で言いだすのだった。
「わたし」と桐野が英語でしか意思を通じることができない関係にあったからだ。
この言葉の裏には、日本人の激しいまでの劣等感、憎悪が渦巻いていると「わたし」は読み取った。
この桐野の言い方で、桐野が今しがた中国人を拷問してきたのだなと直感する「わたし」だった。
被害者たる「わたしたち」のほうがはるかに経験が豊富だと優越する「わたし」。
桐野は「太平天国の乱」を持ち出して、「中国人にも残虐な面がある」などとうそぶく。
「口実を探すためだけにしか歴史を学ばないのか」という「わたし」の鋭いジャブ。

この日本人の態度は、今も健在だ。

二重スパイと「わたし」が疑ったKや、刃物研ぎの男、「わたし」の伯父の「長い物には巻かれろ」的な、したたかな生き様、桐野、その部下など、少ない登場人物で作者の濃厚な思索の分泌を「わたし」を通して描き出すのだった。
これは堀田善衛が「平和」とか「戦争」とかの是非を問うのではなく、そういった災難に遭ってなおかつ自分を見失わない哲学を持つことを教えてくれる。
ある意味「諦観」のような、「達観」のような記述にも見えるが、それは言い訳ではなく、生きていくうえでの逡巡の表れなのだ。

あたしは、幸いにして極悪非道を受けた経験がないけれど、戦争になると「殺人」を命じられ、それを行わねばならないという理不尽に出くわすに違いない。
そのとき、残虐になれるか?
相手が軍人だからと引っ立てて、縛ったまま銃剣で突き殺せるか?
こんなもの戦争ではない。
戦争ですらない。
子女を犯し、家財を略奪し、市民に死体を処分させるなど、よくできるものだ。
日本人も鬼になることができる好例だと思う。

よく南京事件での虐殺はなかったとか、中国の被害は水増しされているとかいう日本人がいるが、人数の問題ではないだろう?
現に理不尽に命を奪われた人がいたわけで、そんな人が一人でもいれば立派な虐殺だ。
一人の死も何千、何万の死も同じである。
どうして都合の悪いことには蓋をして、それを暴くと「自虐的」だというのだろうか?
もちろん『時間』は堀田氏のフィクションである。
しかし、あたしは、事実に基づいた取材があったと思っている。

あたしの大叔父(祖父の弟)に当たる人が陸軍の軍曹だかなんだかで、南京に赴いて、軍刀で「シナ人」を斬ったと酒の席で自慢げに話していたから、やはり南京事件の虐殺はあったのだろう。

おおくの経験者、軍人は南京事件については口をつぐむ。
後ろめたいのだ。

恥ずべき歴史の上に、日本の歴史が成り立っていることも忘れてはいけない。
それを認識することは自虐であるはずがない。