今日の毎日新聞の書評欄に『ルビンの壺が割れた』(宿野かほる、新潮社)の書評が小さく載っていた。
評者は「無」氏で、新聞社の人なのかわからない。
※「宿野かほる」をクリックすると新潮社のHPに飛びそのページの下に「公開往復書簡」という部分があってここをクリックすればこの作者がだいたいどのような人物かがわかります。

先に書いておきますが、あたしはこの小説も作者も存じ上げない。
ただこの書評を読んで、ドキッとする思いがあり、読んでみようかと思った次第。
それでアマゾンで調べて、レビューを見たら、悪いのなんの。
書評欄の評と天と地ほどの評価なんですよ。

「無」氏の評を引きます。

「ごく短い小説である。読み慣れている人なら、1時間もあれば読了してしまうだろう。
フェイスブックを見て、知り合いではないかと感じた水谷一馬が、その女性・結城未帆子に送った最初のメッセージから物語は始まる。1年に1回、3年にわたってメールを送り続け、ようやく3年目に返信が来る。そして始まったメッセージのやりとり。やはり知り合いだったのに必要以上に慎重に、丁寧に交わされるお互いの言葉のもどかしさ。こんな内容だから、作品の初出はネット掲載かと思わせる。ところが、それにしては文章も仕掛けも物慣れていてネット小説らしからぬ風情。作者のプロフィールを探してみたが、どうやら覆面作家ということらしい。何も痕跡をたどることができなかった。やがて、2人は知り合いどころかつき合っていたことが判明する。(以下略)」


このような書評なんですね。
あたしは「覆面作家」というところに興味があり、読んでみようかと思ったんですよ。

ところがアマゾンの本書のレビューは酷評のオンパレードでした。
まあ、上の書名をクリックしてアマゾンに飛んで、レビューを見てみてください。

そういうのをつらつら読んでますとね、あたしに言われているようでね、恥じ入るんですよ。
こういったシチュエーションであたしが書いたものもあったような…
メールのみで会わないから、すれ違いがドラマを生むような。
でも相手は、実はよく知っている人だった…
ほのぼのとした結末にも、恐ろしい結末にも導ける「なりすまし」「覆面」「匿名性」のおもしろさ。
現代の小説家が陥りやすい安直な自己満足の世界のいっちょ上がり。

穴があったら入りたいわ。
というのは思い上がりで、あたしは小説家でも何でもない田舎女ですんでね。
でも、読もうか、読むまいか、迷っています。
レビューによれば、「とても下世話」な表現があるらしく、多くの読者の逆鱗に触れているようで。
「すんません…」
あたしが謝りたくなっちゃう。

ここまで評が割れる本も少ないんじゃないかと。
「宿野かほる」とは、いったい、何者ぞ?