父の本棚を整理していたら、東野圭吾の『秘密』が出てきた。
これは、東野氏が日本推理作家協会賞を受賞した作品だそうだ。
秘密

映画にもなったらしく、この文庫の目次をみると主演女優を演じた広末涼子があとがきを書いている。
あたしは映画を観ていないから、旦那の病院の待合の間の時間つぶしにこの本を読むことにした。

さすがに理系の文章で描写が細かい。
同じ理系の作家で池澤夏樹がいるが、文体も似ていると思う。
かくいうあたしも硬い文章になりがちで、論文調になってしまいやすい。
だからといって東野作品の品位を落とすものではない。

主人公の男性は杉田平介といい、その妻が直子(なおこ)、一人娘が藻奈美(もなみ)という。
「なおこ」にあたしが親近感を抱くのも無理はないけど。

本作品はミステリーというジャンルになるんだけれど、SFでもあり、純愛ドラマでもある。
SFというのは、少し違うかもしれない。
ひとつの不可解な超常現象が物語を複雑にしていくのだから。
大林宣彦作品の『転校生』とか、古典の『とりかえばや物語』に似ているんで、よくある手法だなと最初は思わせる。

平和なというか平凡な父であり夫である平介が、突然の悲劇に見舞われるのだった。
1985年ごろの設定で、スキーバスに乗っていた直子と藻奈美が事故に遭い、一瞬にして命を奪われるのだ。
直子は娘をかばって失血死し、娘の藻奈美は外傷がないが植物状態に…
しかし不思議なことが起こる。
直子は死んでしまったが、目を覚ました藻奈美の人格は妻の直子だった。
小学六年生の少女の体に三十代の妻が乗り移ったかのような物言い。
そして奇妙な父子関係の生活が始まる。
少女は父に妻の口調で話す。
夫は、外向けは娘を娘と扱うが、家では娘を妻として扱うことになる。
家事はすべて妻の記憶通りに上手にこなし、外観は小6の娘のままなのだ。
大人びた発言は、クラスに復帰したときにクラスメイトや先生に怪訝に思われるも、直子はうまく藻奈美を演じた。
事故で頭を損傷し、人格に若干の異常をきたしたと皆が思っているのだった。

困るのは夫である平介である。
大手自動車部品メーカーの製造部門に勤め、それなりの地位にある彼は、夜勤もこなしながらの毎日だったが、この事故で最愛の妻を失い、娘と二人暮らしとなった以上、会社の配慮で夜勤が免除となった。
バス会社は事故を起こして亡くなった運転手梶川の過重労働を認め、和解金を支払うことで幕引きを急いだ。
そんなことは些末な話であり、この物語の本質ではないようだ。
亡くした家族が、曲がりなりにも存在しているという、不穏当な事実が問題なのだ。

娘は初潮を迎え、だんだんに大人びてくる。
中身は妻、直子だから夫の「夜の相手」をどうしようかと平介に持ちかけるが、平介はとんでもないと固辞する。
だって体は娘なのだ。
それもローティーンの…
普通のエロ小説なら「やっちまう」んだけど、そこはブレーキをかけている。
直子は藻奈美の口で「手で抜いてあげようか」とか「口でしてあげようか」とか言うのだ。
男性にとって、なかなか読ませますでしょう?
平介も健康な男だから手淫はやってんのね。
それも藻奈美の小学校の担任、橋本多恵子をオカズにトイレや寝室でシコってんの。
ある日、藻奈美(直子)に多恵子の写真でオナったことを知られるが、彼女は咎めなかった。
むしろ、その後、平介を避けるように距離を置くようになった。

直子が憑依した藻奈美は猛勉強の末、有名私立中学に上がり、順調に成長し、進学校の私立高校にもパスする。
その間、家事もちゃんとしてである。
よくできた少女だった。
この一種の3P状態は、谷崎潤一郎の『卍(まんじ)』も彷彿とさせ、禁断の関係を読者に期待させるが、それはない。
平介は札幌出張を利用してススキノで遊ぶけれど、肝心な時に「立たない」悲劇に見舞われる。

高校生の藻奈美にもボーイフレンドができて、平介は嫉妬する。
妻、直子が心変わりしたと思いこみ、電話を盗聴してまでも二人の間を疑う始末。
直子も悩んでいたのだ。
直子は思い切って平介に「セックスしよう。それしか解決策はないわ」と迫る。
平介は勃起するも、行為に至れなかった。

こういった、読者サービスも欠かさない東野作品は評価されて当たり前かもしれない。
文学的に格調高いかと言えば、そこまで達してはいないだろう。
冗漫な表現も散見され、かえってわかりにくくしているところもあるからだ。
衒学的な部分がやや鼻につく。

直子や藻奈美はどこまで本当のことを言っているのだろう?
谷崎の『卍』を読んだ後、あたしは、直子はどこかで平介を騙していると疑ってしまう。
実際、どの人格が本物なのかどうかわからなくなってくるのだ。
そこが面白い。

どうだろう?
サイコパス的な意思のある「なりすまし」だったのか、憑依という超常現象だったのか?
妻「直子」は肉体的に死亡しているのは事実である。
なりすますのなら、生き残った十二歳の娘「藻奈美」が母を演じなければならないが、先に生きていた母しか知らない事実を娘が理路整然と口にすることができるだろうか?
だとすると精神的にというか非物質的に直子が娘に憑依したのだと考えなければつじつまが合わない。
そして、予想通り、娘は「戻って」来る。
そうすると娘の肉体には二人の人格が同居するはめになる。
二人の人格が同時に発現することはなく、ジキル・ハイドよろしく、はたまた二重体児「ベト・ドク」のごとく、片方は眠るのだ。

この物語は夫婦という男女関係と、父娘という男女関係の危うさを描いている。
この不思議な3P関係は、一時、疑心暗鬼を産み、また倒錯した愛情を生む。
そこだけならば、下世話なエロ小説の出来損ないになるだけだが、ちゃんと東野氏はヒューマンドラマに仕上げている。
そう、ついにおとずれる娘「藻奈美」の結婚だ。
父としてだけではなく、今度こそ妻への永遠の別れでもあるのだから複雑だ。
そこで「直子」の夫への心遣いを知ることになるのだが…

一方で、バス事故を起こし死亡した運転手、梶川の複雑な人生、人間関係が緯糸(よこいと)になって、重層的に平介たちの人生に絡んでくる。
直子もあきれるほど、平介が困っている人をほっとけない人物だから招く結果なのだが、それがないと淡白な物語になってしまうだろう。
一にも、二にも、平介の優しく、おだやかな人柄がこの物語を暖かみのあるものにしていると、あたしは感じた。

よい、お話だと思うし、受賞されたこともうなずけます。