伊佐見(いさみ)川のせせらぎの音が、一段と澄んで耳に届くようになった。
幅の狭いこの川の岸辺は草に覆われ、丈のある草が倒れて川面に洗われていた。
対岸には黄味がかった田が広がり、稲穂は並(な)べてこうべを垂れ、収穫が近いことを知らせていた。
畔に目を移せば、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が朱を引いたように群生を見せる。
曼殊沙華

あたしはこの季節が好きだ。
というより夏から冬にかけての、一時としてじっとしていない「移(うつ)ろい」の瞬間が好きなのだった。
土手を華奢な少年が、蜻蛉を追って歩いている。
ノリオだ。

ノリオは兄の息子だが、兄嫁が胃を病んで春に亡くなったので、あたしが束の間、引き取って世話をしている。
兄の勇作は船乗りなのだ。
貨物船の航海士であり、台湾と日本を行ったり来たりしている。

あたしは寺本の実家に出戻っていた。
和歌山に出て、旅館の仲居などをして生活していたけれど、矢嶋という男に遊ばれて、あたしのほうから引導を渡して逃げてきた。
父にはひどく叱られたが、母はあたしをかばってくれた。
その負い目もあり、離れで甥っ子の面倒を見て暮らしている。
兄は商船大を出て立派な人物になっているのに、妹はあばずれで、どうしようもない…
そう、家人や近所の人々は思っているに違いない。

両親は少しばかりの田畑(でんばた)を耕作して、糊口をしのいでいた。
古くからの小作人だが、地主は鷹揚な人で、小作料を取らなかった。
だから、作物やそれを売った上がりはみな自分のために使えた。
地主の榊(さかき)さんは、その名からもうかがえるように、鹿島神社の権禰宜であり、地べたもたくさん所有しておられ、あたしの両親の小作料などあてにもしていないのだった。
収入の不安定なあたしたちにとって、神のような方だった。

あたしは小さいころから榊さんちの、光男さんにあこがれていた。
次男さんなのだが、あたしより二つ年上で、よく遊んでもらったものだ。
光男さんは、色白で、いかにも神官の息子と言う感じだった。
白い肌に、濡れたような赤い唇が印象的で、唾をすするようなしゃべりかたに、ぞくっとしたものだった。
そんな彼も、神職の学校に進むとかで伊勢の方に出て行ってしまったきり、帰ってこない。
あたしは高校を卒業するとすぐに和歌山市に働きに出てしまった。

ノリオはどこか光男さんに似ていた。
そう唇だ。
赤いサクランボのような唇は、あの人のものだ。
今年、十三になるノリオはここの寺本中学に編入の手続きが済んで、通っているが、休みがちだった。
兄に似ず、肝っ玉の小さい線の細い子で、どこか女の子のような中性的なところがあった。
休みの日でも、表で学友と遊ぶこともなく、ひとりで本を読んだり、兄が与えたトランジスタラジオを聴いていることが多かった。

あたしは離れの縁側で足の爪を切っていた。
「なあ、おばちゃん」
ノリオが背中に乗っ掛かって甘えるように言う。
「なんやな、こら、深爪になるから、ゆすらんといて」
「あんな、ラジオの電池が弱ってんねん、買うて」
「祖父ちゃんが持ってないか?単一やろ?」
「それがな006Pやねん」
「なんやなそれ?」
「四角い電池」
「おばちゃん、そんなん見たことないわ」
ぐりぐりと体を押し付けてくる。
小柄ながら、もう十三であるから、重たい。
「もう、むこう行って。万亀(まんかめ)で買うて来」
万亀とは寺本駅前のよろず屋である。
このへんで電池や電球などというものは万亀にしか売っていない。
ノリオの言う「ゼロゼロなんとか」という電池が万亀にあるかどうかわからないが、店の人に訊くほかないだろう。

「なあ、おばちゃん」
「うん?」
「女の子の一番大切なもんてなんや」
「一番大切なもん?」
「ほら、百恵ちゃんが歌うてるやつ」
「ああ、『ひと夏の経験』かいな、あれはなぁ…言いにくいなぁ」
「エッチなこと?」
にっと笑ってノリオがあたしの後ろから覗き込む。
「まあな。あんたはそんなこと興味があるんか?マセとんなぁ」
中学生にもなると普通かもしれないが、山口百恵のあの歌は思わせぶりでドキッとする。
そういえば、このごろラジオでもよく耳にする。
「あげたり、もろたりするもんなん?」
あたしは噴き出した。
「いや、まぁ、あげるとは言うけど、減るもんやなし…」
あたしは答えに窮した。
「おばちゃんもあげたことあるのん」
矢継ぎ早に、ノリオは訊いてくる。
「あたし?あげやんこともないけど…」
「だれに」
「だれにて、それは」
「なあ、だれにあげたん?」
しつこい子である。こういうところは兄に似ているような気がする。
「そんなこと、言う義務はありません。あっち行って」
あたしは怒気を含んで、声を大きくし、ノリオを振りほどく。
「べーっ」
「憎たらしい子」
少し離れてノリオが、
「おめこのことやろ?」
あたしはどういう顔をしたらいいのか困った。
「あんたがそこまで知ってるんやったら、それでいいやん」
「減らへんねやったら、ぼくにもちょうだいな」
「何を言うてんの。あの歌でも大事な人にしかあげたらあかんて歌うてはるやろ。あほなこと言わんとき」
「ぼくは大事やないねんか?」
「大事やけど、あたしとあんたは叔母と甥や、そういうもんをあげる仲やないの。他人同士でないとあげたらあかんの。わかった?」
「…わかった」
わかってんのかいな、ほんまに。
どうやら深夜放送を聞きかじって、仕入れた知識らしい。
色気づいた少年には、あたしの注意など馬耳東風かもしれなかった。

あたしが処女をささげたのは、和歌山市で仲居をしていたころだった。
そこの支配人の弟で、遊び人の矢嶋伸亮(しんすけ)だった。
フロア係とは名ばかりの役職で、午前中は仕事をしても、午後にはパチンコ屋に入り浸ったり、仲居や女中のケツを追い回したり、やりたい放題の男だった。
あたしが十八でそこに入ったので、もっとも「おぼこ」く、若かった。
伸亮は、住み込みの仲居らを誘ってよく和歌の浦とかに遊びに連れて行ってくれた。
旅館のライトバンに乗せてくれるのである。
白浜にも足を延ばすこともあった。
ある日、あたし一人だけを誘って三段壁のほうまで連れて行ってくれた。
その夕方、白浜で食事して、連れ込み旅館で奪われた。
「あげた」というより「奪われた」のだと、今でも思っている。
その後、何度か関係し、だんだん伸亮の態度が横柄になり、体だけが目当ての付き合いになった。
それだけならともかく、ほかの仲居とも関係を持っており、単なる遊びであることは明白になった。
あたしはその旅館に居づらくなって、去年の夏を待たずに辞めた。
兄嫁の千賀子さんが胃癌だということもその時に知った。
もともと病弱な人で、あたしはあまり話したことがなかったが、料理上手なしとやかな女性だった。
有田市の病院で再会したときにはやせ細り、結婚した当初に会った時とは別人だった。
誰の目にも死病であることは明白だった。

兄の勇作は船乗りで家を空け勝ちだったから、一人息子のノリオが母の看病をしていた。
心優しいノリオは年端も行かないのによくやっていたと思う。
そして今年、ついにというか、とうとう千賀子さんは帰らぬ人となった。
ノリオは泣かなかった。
泣いてもいいよと言って肩を抱いたが、真一文字に口元を結び、耐えていた。
勇作は反対に号泣だった。
あんな悲しいお葬式は、かつて経験したことがなかった。
だからか、あたしはノリオをいとおしく思い、千賀子さんの忘れ形見として、しっかり面倒を見ようと思っている。

ノリオは「則夫」と書く。
でも似合わないから、あたしも両親も「ノリオ」と書き慣わしている。
もちろんちゃんとした書類には漢字で書くが、持ち物などへの記名はもっぱら「ノリオ」である。

ノリオは「甘えた」だった。
ここに来てから、あたしの布団で一緒に寝ることもしばしばだった。
彼にとっての祖父母である、あたしの両親に「おおきなりして」と咎められることもあったが、一向に意に介さない。
その点は頑固者の兄に似ているのかもしれなかった。

幼いし、母親を亡くしたばかりで知らない土地で暮らさないといけなくなった境遇を察して、あたしもノリオを甘やかした。
黒目勝ちの愛くるしいノリオは、あたしの母性を目覚めさせるには十分だった。
あたし自身、末っ子で自分勝手に生きてきたので、あまり年下の者を可愛がるという経験がなかった。
ついぞ女として、母となる想像すらしなかった。
しかし、はからずもノリオを育てるはめになり、あたしのような頼りない「出戻り」にも母性があることを自覚させてくれた。
ノリオがすぐにあたしになついてくれたのも、幸いしている。
もともと、物おじしない、屈託のない男の子なのだった。

ただ、その「甘えた」も今日の様子では考えものだった。

その夜、遅い風呂に入って、夜気も冷たくなってきたので雨戸を閉めて寝床を延べた。
布団を離して、いつものようにノリオの分も敷いた。
ノリオは宿題を文机で片づけている。
「ノリオちゃん、もう寝なあかんよ」
「うん、もうちょっとで終わる」
真新しいパジャマを着て、背中を丸くして英単語をシコシコと綴っていた。
テストでもあるのだろうか?
兄の英和辞典を引きながら、勉強する姿はたくましくさえあった。
勇作のように大学にも行くことになるのだろう。
千賀子さんも浮かばれよう。

柱時計が十時を打ったころ、ノリオの本を閉じる音がした。
「寝るの?」
「うん、終わった」
「おばちゃん、お布団、くっつけていい?」
「なんでよ。一人で寝られるでしょ?」
「いいやろ?なぁ」
しつこいのである。
「勝手にし。電気消すよ」
あたしは伸びあがって電灯のひもを引っ張って常夜灯に切り替えた。
あたりは虫の声で満たされている。
がさごそとノリオが布団を寄せてくる。
寄せた布団におとなしく寝るのかと思うと、掛け布団を通じてあたしのほうに足を忍ばせてくる。
「こらぁ、こそばい(くすぐったい)」
「おばちゃんて、歳、いくつなん?」
「なんでそんなこと訊くの」
「いや、いくつかなぁと思って」
「三十四よ。来月で」
「若いね」
「べんちゃら言うてから。早よ寝ぇや」
ものすごくノリオが近づいているのに気が付いた。
背中にべったりとくっついている。
声も耳元でささやくように。
「おばちゃん、あったかい…」
「くっつかんといて」
かぷ…
耳たぶを噛んできたからたまらない。
「痛っ!」
ぺろぺろ…
こんどは耳の中を舐めてくる。
「やっ、やめてて」
抱え込むようにして、腋の下から手を入れられあたしのお乳がまさぐられた。
ここは離れだから、母屋へは声が聞こえない。
老いた両親も寝てしまえば、そう簡単には起きないのだった。
虫の音(ね)が耳鳴りのように高音部を奏で、自身の心拍が低音部を打ち、呼気も荒くなる。
はあっ、あはっ…
「おばちゃん、気持ちええんやろ?」
「そんなん…あんたが、そんな風に…あ」
あたしはかつて矢嶋にもてあそばれたころを思い出していた。
矢嶋のように、幼いノリオが手練れの技を見せる。
男の子と言うものは本能的に女の弱点を知っているものなのか?
じっとりと胎内から湧き出る泉を感じ、足を閉じた。
あたしは「おつゆ」が多いのだ。
感じるお乳をいじめられると、もう下着は替えないといけないくらいに濡れてしまう。
風呂に入った後なのに、もう汗だくになってきた。
ノリオは大胆になり、あたしがあえいでいるのをいいことに、上にかぶさってくる。
あたしは仰向けにされ、前から抱き付かれた。
「おばちゃん、おばちゃん…」
「ノリオちゃん、あかんて、こんなこと」
「ええやん、やらしてぇな」
「いやや」
と拒否したものの、あたしの理性はどこへやら。
ご無沙汰の熟れた体に火がついて、もうどうでもしてくれという感じになっていた。
もしここで止められたら、あたしは不満が募っただろう。
だれも、いやしないのだ。
わかるもんか。

あたしは、ノリオに体を預けた。
汗みずくのパジャマと下着を取り、ノリオも脱いだ。
常夜灯の薄暗い中で互いの陰だけが大きく動く。
二人はみっしりと抱き合って、キスを交わした。
さすがにノリオのキスはぎこちない。
はむ…あむ
ぬち、ねち…

お互いの唾液を飲みあうような口づけに酔い、ノリオの硬くなった股間に手を伸ばす。
「硬いやん」
「ああ、握ってくれるん?」
「こうか?」
にぎにぎと肉の棒を手のひらで揉む。
矢嶋のものに比べたらずいぶん発展途上だが、長さも十分だった。
先の冠(かんむり)はノリオがにじませる粘液で濡れ、男も濡れることがわかる。
そのぬめりを亀頭に塗り拡げ、指先で刺激を与えると、ぶるぶるとノリオが震え出した。
「あ、あひう」
びゅっと何かがあたしの下腹にかかった。
硬直したノリオの体があたしのうえで止まった。
どろりと手の甲に温かい液体が伝う。
そして栗の花に似た香りが漂ってきた。
「出てもた…」
「あらら、出したん?」
あたしはやわやわと、硬さを失っていく肉棒を揉み、絞った。
「やめて、おばちゃん」
出した後はくすぐったいのだそうだ。
華奢なノリオの体があたしから遠のき、背中を見せている。
あたしは、ほてった体を置いてけぼりにされた。
なんだかみじめな気分だった。
「なあ、ノリちゃん。なんでこんなことしたん?」
あたしは、面白くないのでなじってやった。
「なんでって。したいから」
「好きな人にしかしたらあかんのやって言うたやろ?」
「好きやもん」
「あたしのこと?ほんまに?」
「ほんまやっ!」
かわいい声で言う。
「こっちおいで」
「うん」
細い腕を引っ張り、あたしの横に添い寝させた。
「なあ、あたしも可愛がってぇや。おばちゃんも、せつないやん」
「わかった」
「手ぇ貸し」
あたしはノリオの手をつかみ、あたしの泉に導いた。
ひとりでにその手はあたしの秘め処をまさぐりだした。
はぁん…
あたしはのけ反る。
腿が開き、ノリオの手を動きやすくする。
毛をかき分け、幼い手はあたしのお実(さね)を探し出した。
「そう、そこ…ああ」
あたしの実は大きいらしい。
矢嶋がよくほめていた。
指でつまむようにされると、もうたまらなかった。
「やん!」
電撃が走るように快感が脳天に来た。
びくびくと腿が震える。
また、ひどく胎内から液体が漏れてきた。
「うわ…」
思わず手を引っ込めるノリオ。
「やめんといて」
ノリオは膣に指先を忍ばせてきた。
暗がりでもよくわかっているようだった。
指は容赦なく内部を探り、深い場所にまで到達しているようだった。
あたしの腰は浮き上がり、その指を感じようとあさましく動いた。
こんな子供に、あたしは完敗だった。
「も、もう、入れへん?」
あたしはついにねだってしまった。
「入れてええの?」
「入れてくれな、おばちゃん持たへん。おかしなる」
「ぼくも、また立ってきてんねん」
見ると、お腹に付きそうなくらいに勃起していた。
「わかるか?ここやで」
あたしは股の間にノリオを座らせ、場所を教えた。
すぐにノリオは近づいて、ずぶりと挿し込んできたからたまらない。
あひぁ…
あたしは逝ってしまった。
鋭(するど)い突きに、意識が飛んでしまった。
ノリオが入ったまま、じっとしている。
あたしの肉鞘(さや)がキュッキュとノリオを搾(しぼ)っている。
ノリオはそれを感じているのかうっとりとして、体をくっつけているのだ。
男にとって、女に包まれて搾られるのが至福の時なのかもしれない。
あたしはゆりかごになった。
ノリオを腹に載せて、ゆっくり揺らせた。
揺れに合わせて、硬いノリオがあたしの胎内をこじる。
あらぬ方向に圧力を感じ、あたしに快感が走る。
「うはぁ」
「ああん、気持ちええわぁ」
「おばちゃん…」
「いつまでも、こうしていたいわぁ」
「ぼくも」
「かわいいなぁ、ノリオは」
「おばちゃんも」
「ナマ言うてから」
「大好き」
「好きえ、ノリちゃん」

あたしとノリオの奇妙な生活はその後も続いた。
ノリオはまぶしい青年になっていくが、あたしは醜く老いさらばえていく。
いつかは悲しい別れが待っているのだろう。
あたしに縁談がなかったわけではないが、ノリオのことを考えると乗り気にならなかった。
両親は不審に思ったらしいが、ノリオとの忌むべき関係を疑うことはなかった。

また血のような曼殊沙華の季節がやってきた。
そしてあたしは身ごもった。
鹿島様の怒りに触れたのかもしれない。

(おわり)