あたしにとって算数が数学になったのはいつごろだったろうか?
現代では、生活にほとんど関係のない学問として、隅に追いやられている「数学」が、実は江戸期の日本人が愛して止まない算額ブームを巻き起こしていたというのを聞いたことがあるだろう。
「算額」とは和算の世界で、難問が解けたときにその問題と解を木板に墨書して社寺に奉納したものをいい、今も多数が残っている。
中には、高等数学に属するような問題ものも含まれていて、その層の厚さに驚かされる。
また回答者が市井の人々だったのも驚きの一つだ。
「寺子屋」しか教育機関がないとされていた江戸時代に、こうも高い思考を持つ人々が少なからずいたということだ。
詰将棋や詰碁、なぞかけ、言葉遊び、能・狂言、歌謡、短歌・俳句にいたるまで、深い洞察がある。
視点を変えて、書画骨董、盆栽、盆景、造園、建築、茶華道、禅、武道にも深い洞察がある。
その道を究めた「文化」を同時代の世界の「文化」と比較してもまったく見劣りしない。
和算の歴史に興味のある方は専門の書籍も出ているのでそちらを参照いただくとして、日本人は考えることが好きな民族なのだと改めて感じ入る。
で、話題は数学であった。
あたしが気が付いた時には、算数は数学に変容していた。
中一のときの数学の先生が副担任で、身近だったことも手伝って、「数学セミナー」なんていう雑誌を読むようになってはいた。
しかしチンプンカンプンで、「群」だの「環」だのさっぱりだった。
大学の初年で数学はどうやら、「代数学」「解析学」「幾何学」に大きく分かれるようだということが遅まきながらわかってきた。
言葉は知っていても、学問の連携がわかっていないから、あたしにとっての数学は五里霧中だったわけだ。
今の高校数学がどうなっているのか知らないが、あたしたちのころは「数Ⅰ」「数ⅡB」「数Ⅲ」となっていて、「代数」や「解析」という言葉を使っていなかったのも数学と言う体系をわかりにくくしていた。
あたしなりに、数学体系を書いてみますね。
間違っているかもしれないけれど、そこはご勘弁ください。
なにしろ工学部だったんで数学を道具としてしか勉強していないので、理論的な、純粋数学風の視点からすればおかしな表現になってるかもしれません。
「代数学」は「線形代数」や「代数幾何」というものに発展していくのですが、つまりは方程式ですよ。
初等数学なら「文字と式」というセクションで習ったものが、おおむね「代数学」に属します。
「数の代わりに文字を使って一般化します」という学問なんだと思います。
あたしはね、「数学セミナー」で「数学と算数の違いは一般化もしくは抽象化だ」ということを習いました。
算数では「水道方式」でもそうなんですが、具体的な「物」で量を測ったりするのです。
「水道方式」という教育法は「タイル」を使うのでした。
あたしも小学校では「タイル」を使って数の概念をつかまされました。
そういう教え方はまだまだ算数なんですね。
数学と言う学問になるためには「一般化」または「抽象化」しなければならない。
「リンゴが三つとみかんが二つ。合わせていくつ?」みたいな無意味な足し算を子供らに教えても数学にはならない。
「可換」だからといって交換法則を適用して「リンゴが二つ、みかんが三つ。合わせていくつ?」でも答えが同じなんておかしいでしょう?
「自然数の集合において、3と2の和は?」と問うのが「一般化」もしくは「抽象化」なんです。
どうしてもリンゴとみかんを足してジュースにするのなら「重さ」の概念で足さねばならない。
それが具体的かつ意味のある足し算(和)であります。
「つるかめ算」はあたしはやらなかったのですが、日本的代数学ですね。
しかし、「つる」と「かめ」の足の数を問うてどうするんですか?
「旅人算」ならまだしも、そういう素朴な「無意味な具体例」の疑問への答えが「つるかめ算」にはない。
「つるかめ算」の数学的プロセスはたいへん重要で面白いものなんですよ。
代数学が難問になってくるのは「行列」や「ベクトル」が出てくるところですかね。
大学の初年でやる「線形代数」は「公理形式」で進められていくのでまさに抽象的な話になってくる。
そして「解析学」の微積分との関係性が問われだすと極端に難しくなってくる。
二次曲面ですね。
代数には「数論」という「論理学」と「証明」が主体の分野があって、難しいけれど「エレガント」な分野で数学が「美しい」と感じることができます。
素数が無限にあるのかとか、数直線をある点で切断したときの最大値と最小値はどちらの数直線に属するのかなど、もっとも私たちの生活からは程遠い世界の話なんですよ。
禅問答のようでもあり、騙されたような証明もあり…
ここで気づくべきだったのですが、数学以前の「算数」は「算術」というディオファントスが著した学問を基本とするのでした。
計算方法がわからなければ、数学を語ることができないからです。
この基本ルールは日本では「読み書きそろばん」として誰でも知っていますね。
このどれもが欠けても数学はおろか、学問が成り立ちません。
算術があって、代数学が一般化(抽象化)し、幾何学と解析学につなげていくのです。
つぎに「幾何学」です。
これはあたしは苦手でねぇ。
けっこう、落ちこぼれてました。
最近でも灘中学校の入試問題で苦しみました。
惑わされるんですね。簡単に。
出題者のワナに簡単にはまる。
簡単に言えば図形の学問で、それこそ小学校からやらされてきたわけですよ。
三角形の内角の和だの、対頂角は等しいだの、合同だ相似だ、なんだかんだ。
作図でも正五角形は定規だけでは描けないなんてのがありましたね。
正五角形はコンパスと定規を使えば描けます。
角の三等分は定規とコンパスでは無理なんです。
クイズのような学問が「幾何学」でした。
ただ、代数や解析のように難解な理論は要しません。
そこがだれでも議論に参加できる幾何学の面白さなのかもしれない。
幾何学はユークリッドの「原論」が有名ですが、とにかく歴史が古い。
人類が最初に、思考の遊戯として土に棒で描いて始めたのでしょうか?
つぎに「解析学」ですね。
解析学の端緒はギリシア時代にもあったのだと思います。
それは円周率を求めるのに極限という概念が生まれただろうからです。
「解析学」は極限値を求める数学です。
区分求積法が積分学の元であり、極限値を求めるのが微分学の元でした。
積分の逆演算が微分であることから、どちらも同時多発的に発展してきたのです。
だから百家争鳴で、ライプニッツが先だ、ニュートンが先だ、いやいや、我が国が先だと、もうそれはよくわからない。
だだ、和算でも区分求積法的な考えは見られますし、ヨーロッパから遠く離れた日本でも独自の発見があったのではないかと思います。
円周と直径(半径)との関係は、円に内接する正多角形を作図することで一定の値に近づくことが知られていましたから、円周率を得るために、みなさん、ちまちまと正多角形をつくりましたよ。
3.1415に近い数字になるらしいことはわかったんですが、それが無理数なのか有理数なのかは結論がなかなか出なかった。
今では円周率が無理数、つまり有限の分数では表すことのできない数であることがわかっています。
有限の分数とことわったのは、連分数では円周率も表せるからです。
数学の結果をこういう具体的な定数に帰着させる、つまり極限値を求めることが解析学の目的でした。
区分求積法から発展した積分学によって、不定形の曲線が連続した関数であればその曲線に囲まれた面積を具体的に数値化することができ、またそういった曲線に囲まれた図形の回転体が示す体積も具体的な数値にすることができるようになったのです。
これも解析学の賜物です。
すると天体の動きや、気象の予測、電磁気、化学でさえも解析学によって記述することができたのです。
最後に数学の根底にある学問で、数学とは直接的には関わりませんが「論理学」という分野があります。
「関わらない」といっても空気のような「論理学」は、数学を記述する基盤となって存在しています。
数学の定理は証明しないと使えない。
その証明は古来より、論理学と言うルールのもとに行われました。
「仮定」を「結論」に結び付ける、だれもが納得する理論体系は論理学の成果で語られます。
「真偽判定」「背理法」「帰納法」「三段論法」「ANDとOR」「アルゴリズム」
これらはコンピュータプログラミングにもなくてはならない理論です。
「公理」「定義」「定理」はどうですか?
違いが判りますか?
「公理」は「前提仮定」です。
ユークリッドは「自明なもの」を「公理(公準)」として採用するとしています。
ただ「自明」とはあいまいなもので、どこまで「自明」なのかを示す必要があるかもしれません。
あたしは「公理は証明をする必要のないもの」だと勝手に解釈しています。
というより、あたしのような「下っ端」にとっては「公理」は頭から「正しい」と信じるほかないのですよ。
「定義」も「与えられた決まり事」と理解しており、証明しようと思えばできるんだろうけど、もはやその必要はないものだと思うようにしています。
大事なのは「定理」ですよ。
これは「証明して見よ」と実際に問われる場合があるので、苦手なんですが、教科書を睨んで証明しなくてはいけません。
いろいろ書いてみましたが、あたしなりの数学観でもあります。
数学は難しいけれど、それを解くことは快感につながります。
数式は、やはりどこか美しいところがあります。
手に届きにくいからこそ「崇高」なのだろうと思うのです。
現代では、生活にほとんど関係のない学問として、隅に追いやられている「数学」が、実は江戸期の日本人が愛して止まない算額ブームを巻き起こしていたというのを聞いたことがあるだろう。
「算額」とは和算の世界で、難問が解けたときにその問題と解を木板に墨書して社寺に奉納したものをいい、今も多数が残っている。
中には、高等数学に属するような問題ものも含まれていて、その層の厚さに驚かされる。
また回答者が市井の人々だったのも驚きの一つだ。
「寺子屋」しか教育機関がないとされていた江戸時代に、こうも高い思考を持つ人々が少なからずいたということだ。
詰将棋や詰碁、なぞかけ、言葉遊び、能・狂言、歌謡、短歌・俳句にいたるまで、深い洞察がある。
視点を変えて、書画骨董、盆栽、盆景、造園、建築、茶華道、禅、武道にも深い洞察がある。
その道を究めた「文化」を同時代の世界の「文化」と比較してもまったく見劣りしない。
和算の歴史に興味のある方は専門の書籍も出ているのでそちらを参照いただくとして、日本人は考えることが好きな民族なのだと改めて感じ入る。
で、話題は数学であった。
あたしが気が付いた時には、算数は数学に変容していた。
中一のときの数学の先生が副担任で、身近だったことも手伝って、「数学セミナー」なんていう雑誌を読むようになってはいた。
しかしチンプンカンプンで、「群」だの「環」だのさっぱりだった。
大学の初年で数学はどうやら、「代数学」「解析学」「幾何学」に大きく分かれるようだということが遅まきながらわかってきた。
言葉は知っていても、学問の連携がわかっていないから、あたしにとっての数学は五里霧中だったわけだ。
今の高校数学がどうなっているのか知らないが、あたしたちのころは「数Ⅰ」「数ⅡB」「数Ⅲ」となっていて、「代数」や「解析」という言葉を使っていなかったのも数学と言う体系をわかりにくくしていた。
あたしなりに、数学体系を書いてみますね。
間違っているかもしれないけれど、そこはご勘弁ください。
なにしろ工学部だったんで数学を道具としてしか勉強していないので、理論的な、純粋数学風の視点からすればおかしな表現になってるかもしれません。
「代数学」は「線形代数」や「代数幾何」というものに発展していくのですが、つまりは方程式ですよ。
初等数学なら「文字と式」というセクションで習ったものが、おおむね「代数学」に属します。
「数の代わりに文字を使って一般化します」という学問なんだと思います。
あたしはね、「数学セミナー」で「数学と算数の違いは一般化もしくは抽象化だ」ということを習いました。
算数では「水道方式」でもそうなんですが、具体的な「物」で量を測ったりするのです。
「水道方式」という教育法は「タイル」を使うのでした。
あたしも小学校では「タイル」を使って数の概念をつかまされました。
そういう教え方はまだまだ算数なんですね。
数学と言う学問になるためには「一般化」または「抽象化」しなければならない。
「リンゴが三つとみかんが二つ。合わせていくつ?」みたいな無意味な足し算を子供らに教えても数学にはならない。
「可換」だからといって交換法則を適用して「リンゴが二つ、みかんが三つ。合わせていくつ?」でも答えが同じなんておかしいでしょう?
「自然数の集合において、3と2の和は?」と問うのが「一般化」もしくは「抽象化」なんです。
どうしてもリンゴとみかんを足してジュースにするのなら「重さ」の概念で足さねばならない。
それが具体的かつ意味のある足し算(和)であります。
「つるかめ算」はあたしはやらなかったのですが、日本的代数学ですね。
しかし、「つる」と「かめ」の足の数を問うてどうするんですか?
「旅人算」ならまだしも、そういう素朴な「無意味な具体例」の疑問への答えが「つるかめ算」にはない。
「つるかめ算」の数学的プロセスはたいへん重要で面白いものなんですよ。
代数学が難問になってくるのは「行列」や「ベクトル」が出てくるところですかね。
大学の初年でやる「線形代数」は「公理形式」で進められていくのでまさに抽象的な話になってくる。
そして「解析学」の微積分との関係性が問われだすと極端に難しくなってくる。
二次曲面ですね。
代数には「数論」という「論理学」と「証明」が主体の分野があって、難しいけれど「エレガント」な分野で数学が「美しい」と感じることができます。
素数が無限にあるのかとか、数直線をある点で切断したときの最大値と最小値はどちらの数直線に属するのかなど、もっとも私たちの生活からは程遠い世界の話なんですよ。
禅問答のようでもあり、騙されたような証明もあり…
ここで気づくべきだったのですが、数学以前の「算数」は「算術」というディオファントスが著した学問を基本とするのでした。
計算方法がわからなければ、数学を語ることができないからです。
この基本ルールは日本では「読み書きそろばん」として誰でも知っていますね。
このどれもが欠けても数学はおろか、学問が成り立ちません。
算術があって、代数学が一般化(抽象化)し、幾何学と解析学につなげていくのです。
つぎに「幾何学」です。
これはあたしは苦手でねぇ。
けっこう、落ちこぼれてました。
最近でも灘中学校の入試問題で苦しみました。
惑わされるんですね。簡単に。
出題者のワナに簡単にはまる。
簡単に言えば図形の学問で、それこそ小学校からやらされてきたわけですよ。
三角形の内角の和だの、対頂角は等しいだの、合同だ相似だ、なんだかんだ。
作図でも正五角形は定規だけでは描けないなんてのがありましたね。
正五角形はコンパスと定規を使えば描けます。
角の三等分は定規とコンパスでは無理なんです。
クイズのような学問が「幾何学」でした。
ただ、代数や解析のように難解な理論は要しません。
そこがだれでも議論に参加できる幾何学の面白さなのかもしれない。
幾何学はユークリッドの「原論」が有名ですが、とにかく歴史が古い。
人類が最初に、思考の遊戯として土に棒で描いて始めたのでしょうか?
つぎに「解析学」ですね。
解析学の端緒はギリシア時代にもあったのだと思います。
それは円周率を求めるのに極限という概念が生まれただろうからです。
「解析学」は極限値を求める数学です。
区分求積法が積分学の元であり、極限値を求めるのが微分学の元でした。
積分の逆演算が微分であることから、どちらも同時多発的に発展してきたのです。
だから百家争鳴で、ライプニッツが先だ、ニュートンが先だ、いやいや、我が国が先だと、もうそれはよくわからない。
だだ、和算でも区分求積法的な考えは見られますし、ヨーロッパから遠く離れた日本でも独自の発見があったのではないかと思います。
円周と直径(半径)との関係は、円に内接する正多角形を作図することで一定の値に近づくことが知られていましたから、円周率を得るために、みなさん、ちまちまと正多角形をつくりましたよ。
3.1415に近い数字になるらしいことはわかったんですが、それが無理数なのか有理数なのかは結論がなかなか出なかった。
今では円周率が無理数、つまり有限の分数では表すことのできない数であることがわかっています。
有限の分数とことわったのは、連分数では円周率も表せるからです。
数学の結果をこういう具体的な定数に帰着させる、つまり極限値を求めることが解析学の目的でした。
区分求積法から発展した積分学によって、不定形の曲線が連続した関数であればその曲線に囲まれた面積を具体的に数値化することができ、またそういった曲線に囲まれた図形の回転体が示す体積も具体的な数値にすることができるようになったのです。
これも解析学の賜物です。
すると天体の動きや、気象の予測、電磁気、化学でさえも解析学によって記述することができたのです。
最後に数学の根底にある学問で、数学とは直接的には関わりませんが「論理学」という分野があります。
「関わらない」といっても空気のような「論理学」は、数学を記述する基盤となって存在しています。
数学の定理は証明しないと使えない。
その証明は古来より、論理学と言うルールのもとに行われました。
「仮定」を「結論」に結び付ける、だれもが納得する理論体系は論理学の成果で語られます。
「真偽判定」「背理法」「帰納法」「三段論法」「ANDとOR」「アルゴリズム」
これらはコンピュータプログラミングにもなくてはならない理論です。
「公理」「定義」「定理」はどうですか?
違いが判りますか?
「公理」は「前提仮定」です。
ユークリッドは「自明なもの」を「公理(公準)」として採用するとしています。
ただ「自明」とはあいまいなもので、どこまで「自明」なのかを示す必要があるかもしれません。
あたしは「公理は証明をする必要のないもの」だと勝手に解釈しています。
というより、あたしのような「下っ端」にとっては「公理」は頭から「正しい」と信じるほかないのですよ。
「定義」も「与えられた決まり事」と理解しており、証明しようと思えばできるんだろうけど、もはやその必要はないものだと思うようにしています。
大事なのは「定理」ですよ。
これは「証明して見よ」と実際に問われる場合があるので、苦手なんですが、教科書を睨んで証明しなくてはいけません。
いろいろ書いてみましたが、あたしなりの数学観でもあります。
数学は難しいけれど、それを解くことは快感につながります。
数式は、やはりどこか美しいところがあります。
手に届きにくいからこそ「崇高」なのだろうと思うのです。
矢野健太郎著「角の三等分」、吉田武著「オイラーの贈物」は私の愛読書です。
実用からするとベクトル、虚数、行列、四元数、群、統計、あたりを高校で重点的にやっておけば、電気工学や実験物理、理論物理の助けになるなぁと思ってます。いまはときどき見直さないと忘れていく一方です^^;