ママの御父上は今井凌雪(りょうせつ)という書道界の重鎮で、あたしも書道を学生時代にやっていたので、この人の名を聞き知っていた。
会えば、好々爺だが、実態はとんでもないスケベ爺だった。
あたしはたちまち、師範の手籠めにされてしまった。
しかし、師範は糖尿を患っており、年齢も年齢だったので「お道具」がまったく役立たずで、あたしは安心だったけれど、その分、毛筆を使った愛撫やおもちゃで執拗にいたぶられるのだった。
ミョンヘとのレズビアンの火遊びよりも、この老獪(ろうかい)な師範の責めはあたしを腑抜けにしてしまうには十分だった。

法外な報酬もあり、あたしはすでに真っ赤なアウディ「クワトロ」を乗り回し、会社でもうらやましがられる存在になっていた。
とはいえ、あたしがブラックな人物たちと関係を持っているなどと疑う者は会社にはいなかった。
後に夫になる後藤祥雄も、同じ職場の研究員であり先輩だった。
彼は車が趣味で、あたしの外車選びに一役買ってくれたのだ。
それで、意気投合し、結婚を前提につき合いだし、あたしはさほど乗り気ではなかったけれど、成り行きで社内結婚と相成ったのである。
蒲生もママも祝福してくれ、結婚式には招かなかったが、祝電を頂いた。

夫にも言えない秘密があるまま、あたしはつつがなく新婚生活を送っていた。
ただ、夫にはマルファン症候群という遺伝病があり、心臓疾患を伴っていて余命があまりないようなことをあらかじめ聞いていた。
それゆえ二人の間では避妊して性生活を営んでいたのに、蒲生とは避妊していなかった。
あたしは妊娠した。
蒲生の子であることが明白である以上、夫に知られるのが怖かった。
いっそ、避妊の失敗で妊娠したと夫に訴えてみようかとも思った。
それなら仕方ないから産めばいいと、夫なら言ってくれるだろうから…
あたしは一向にかまわなかったが、周囲が「子供はまだなの?」と無遠慮に訊いてくるのがうっとおしかったこともあった。
しかし、なかなか言い出せなかった。

二か月も生理が止まり、妊娠が確実になっていたのに、急な腹痛であたしは出張先の駅のトイレで出血を起こした。
生理の多い時のような出血で、なにやらどろどろの紐のようなものが出て、あたしは青くなった。
貧血のように頭が真っ白になり、しばらく便器に座ったままぐったりとしていた。
もうすぐ冬だというのに汗をびっしょりかき、腹痛が収まるのを待った。
だんだん意識がはっきりしてくるにつれ、おそらく「流れた」のだろうと思えたら、自然に笑いたくなった。
そして泣けてきた。
あたしは便器の中を見る気もうせてそのまま流してしまった。
どうせ宿らぬ命だったのだ。
後始末をし、ナプキンを当ててショーツを上げ、何食わぬ顔で個室を出ようとしたが、あたしは振り向いて便器に合掌した。
夫にも蒲生にもこのことを話してなくてよかったと思った。

間もなく、夫はマルファン症候群からくる心臓弁閉鎖不全がひどくなり人工弁置換術(ベントール術)という大手術を行うことになり、あたしもひどく落ち込んだ。
覚悟をしていたとはいえ、身近な人が生死の境をさまようのはたまらなかった。
先生の腕が良かったのか、手術は無事に終わり、予後も心配するほどではなかったのは幸いだった。

ただ今度はあたしの叔父が職場の関西電力で感電事故に遭って、帰らぬ人になったのはショックだった。
なんと不幸が続くのだろうか?
あたしが理系に進んだのも叔父の影響だった。
もっともよく遊んでくれ、優しくて屈託がなく、年の離れた兄のように慕った叔父、高安周(たかやすめぐる)。
それは従弟の浩二にとっても同じで、あたしが浩二と一緒になれるだろうかと相談を叔父に持ち掛けたとき、叔父は親身に相談に乗ってくれたのだった。

なのに、こんなに突然の別れが来るなんて。

叔父が死ぬ少し前、あたしが金明恵という在日の友人から、怪しげな暗号を解読させられたり、送信させられた件を相談していた。
叔父は、いつになく厳しい表情で、「その友達とは付き合うな」と言ったのだった。
そして、日本の若者が北朝鮮の工作員に連れ去られる事件が多発していることや、短波放送を利用した工作員への拉致工作の指示や、あたしのような者が工作員に騙されて利用されること、そのうち、命を狙われることになるだろうことなどを教えてくれた。
「浩二君もそういう連中に連れ去られたんやないか?」とまで言うのだった。
「まさか…」
「とにかく、その子と付き合ったらいかん」
「はい」
「それにな、その子は土台人(どだいじん)と呼ばれる役目やな」
「なんなん?どだいじんって」
「日本で、言葉の不自由な北朝鮮人の工作員に協力する在日朝鮮人のことや。文字通り土台になる人間や」
「ふ~ん」
それが叔父との最後の会話となった。