浩二が失踪してから十年で、叔父が亡くなり、しばらくして、あたしの父も末期の肝がんで帰らぬ人となり、不思議なことに母も肺がんで父の後を追うように亡くなってしまった。
とうとうあたしは、独りぼっちになってしまった。

もちろん夫、祥雄(さちお)がいるものの、あたしにとっては他人である。
彼はマルファン症候群という先天性の難病を抱え、そのために心疾患に苦しみ、大きな手術を二回も重ねているので、あまり仕事もできなくなり、あたしが家計を支えなくてはならない状況になっている。

指定暴力団「琴平会」の蒲生会頭との関係は続いていたが、そのおかげで金銭的な心配はなかった。
ただ、蒲生から依頼された詐欺的行為(商法違反)の容疑で警察のお世話になりかけ、顧問の神原弁護士に「完黙(完全黙秘)を通せ」と教えられ、その通りにしたら証拠不十分で釈放され、なにかと社会勉強をさせてもらった。
ああいった取り調べでは、自白がすべてで、たとえ強要されても自白したらおしまいなのだそうだ。

あたしは蒲生との関係で、普通の人が経験しえないことをいくつか体験することができ、後々役に立つことになった。
ひとつは、拳銃の扱いであり、いまひとつは密輸である。
ほかにもあるのだが、この二つは特筆すべき体験だった。

いつだったか会社の休みを利用して、蒲生に旅行に誘われたことがあった。
蒲生と、若頭の柏木勝(通称マーシャル)と三人でグァムに行った。
二泊三日の強行軍で、滞在期間中ほぼシューティングサイトで拳銃や自動小銃を撃ちまくったのである。
もう体中が硝煙臭くなるくらいだった。
手や肩がしびれ、帰国後も筋肉痛に悩まされたのには閉口した。
拳銃というものが、いとも簡単に人を殺せる道具だという実感があたしに芽生えた。
そしてその音は想像よりも軽く、乾いていて、吐き出される薬莢というものが触れないくらい熱くなるものだということも知った。
「姐さん、狙っても当たらしまへん。殺(や)るときはターゲットにくっついて引き金を引くんです」
「相手のあごの下に、こうやってマズル(銃口)をくっつけて、一気にトリガーを引きまんねん」
右手で拳銃の形を作ってあごの下に突き立てるように見せて教えてくれたのはマーシャルだった。
彼は、もう何人も殺ったことがあるという。
「逃げるときは、こう両手で構えてあとずさりで十メートルほど距離を稼いでね、そのあとは踵(きびす)を返して、ジグザグに走るんだす」
「姐さん、十メートルも離れたら、相手の弾は、普通は当たらしまへん」
「こっちが狙って打つ時はね、こうして車のボディとか、塀とか、しっかりしたもんで腕を支えてね、構えて狙いまんねん」
などと、事細かに教えてくれたのだった。
たしかに、にわか仕立ての、それも女のあたしに、拳銃で人を殺すのは簡単ではない。
下手をすれば返り討ちにあうだろう。
ところが女は男の懐(ふところ)深くに入り込める。
そうやって、欺(あざむ)いて殺れるのは女の特権だとまで言われた。
刃物で殺るより、拳銃の方が確実だそうだ。
それも頭を撃てという。
蒲生が若いころ、屠畜(とちく)をやっていたらしく、牛を屠殺するとき脳天を専用の銃で撃つらしいことを教えてくれた。
柏木はというと、高校を卒業してすぐに陸上自衛隊に入隊したそうで、そこで銃器に興味を持ち詳しくなったと話してくれた。
ところが上官と折り合いが悪く、けんかっ早い性格の柏木は「不適格」のレッテルを貼られ、施設大隊に回され、特殊部隊への道を閉ざされた経緯があり、つまるところ、やけっぱちになって除隊してしまったというのだ。

いずれにしても、学校では決して教えてもらえないことばかりだった。

そして密輸である。
たいてい、舞鶴港付近でそれは行われた。
あたしは車を転がして、その「ブツ」の受け渡しに何度か行かされた。
夕刻から早朝にかけて、釣り客を装って沖に停泊している中国船や韓国船に近づいて、合図を送り、「ブツ」を投げてもらう。
「ブツ」には発泡スチロールの浮子(うき)がついていて海中に没しない。
あたしは釣り用の小舟でそれを拾って帰るのである。
送金は蒲生が別ルートで支払っているのでその場での金銭の授受はなかった。
「ブツ」の中身は、たいていは、銃器の部品であり、ミネベアのOBに教わってあたしが拳銃に組み立てるのだった。
品物は北朝鮮からの薬物の場合もあったが、あたしが担当したころは薬物も「左前」になっていて、あまりシノげなくなって、もっぱら銃器、中華トカレフだった。
北朝鮮のアサリの稚貝が中国ルートで日本に輸入されるのだが、その稚貝と一緒に「ブツ」を仕込ませているのには感心させられたものだ。

蒲生が、この取引で巧みに在日韓国朝鮮人を使い、またパチンコ店からの売上金をマネーロンダリングで、北朝鮮の銀行口座に送金するビジネスでも潤っていた。
ただ、北朝鮮の「偽札」には悩まされたという。
あの国は国家を上げて外貨を偽造する、とんでもない国なのだそうだ。

あたしは、裏社会が、表社会以上に巧みに成り立っていることに驚きを隠せなかった。
しかし、「このことを口外することは、お前の死を意味している」と蒲生から、きつく釘を刺されていたが…
もはや、あたし一人を消すことくらい、琴平会は屁とも思っていないのだ。
裏切れば、あたしは輪姦(まわ)され、殺され、どこかの山中に埋められるだけだった。