カルメン・マキの『時には母のない子のように』はあたしの子供頃の心象を写していて、今聞いても「はっと」させられる。

この詞は47歳で夭折した寺山修司の手になるものだと後に知ることになった。
劇団「天井桟敷」を主宰し、多才な活躍を見せた寺山だった。
※劇団名の由来が、フランス映画『天井桟敷の人々』であることは説明するまでもないだろう。

寺山修司は、テレビへの露出は少なかったけれどラジオではよく声を聞いた。
カルメン・マキも「天井桟敷」でデビューした女優であり、彼女のために寺山が作詞したのだという。

あたしの幼少のころは、歌謡曲とともにあった。
当時、母が内職をしていたせいもあったろうが、部屋のラジオがつけっぱなしになっていて、そんな中でだらだらと過ごしていたからだと思う。
由紀さおりの『夜明けのスキャット』もよく耳に残っていたし、やはりこれを聞けば、あのころにフラッシュバックするのである。

寺山修司といえば、あたしは彼の俳句が好きだ。
彼の俳句歴は長く、中学生のころに端を発するらしい。
あたしの父と同じ昭和十年生まれということで、寺山に父を重ねてしまう。
寺山は青森の生まれだそうで、そういう「さいはて」の海辺のうら寂しい空気を持った人だと勝手にあたしは思っている。
ぼそぼそとはっきりしない話ぶりも東北人に特有のものを感じる。
そういえば『時には母のない子のように』が醸し出す原風景も津軽あたりの海岸のような印象を与える。

莨火を樹で消し母校よりはなる  (寺山修司)

莨は「たばこ」と読みます。
「母校よりはなる」は「母校より離る」ということです。
卒業の句ですかね。それも高校の。
寺山が背伸びして、つっぱっていた頃の苦い青春を詠んだのですね。

あたしも十代のころ、この句に妙に共感したんで覚えています。
あたしはタバコも吸わなかったし(当時は)、不良でもなかった。
だだ、すでに処女ではなかっただけで、少しクラスメイトとは距離を置いて、窓際を愛していた…
そんな気恥ずかしい頃ですよ。十七、八は。

唐突ですがカーメン・キャバレロの『愛情物語』が、あたしの十代後半の心の曲でした。
今、思い出しましたわ。
劇的なピアノのイントロ。
映画音楽なんですってね。
この映画をあたしは観ていないので内容は知りませんが、なぜかこの曲だけは知っている。
ラジオ大阪の土曜の番組「サタデーバチョン」のコーナーで、ニニ・ロッソの『夜空のトランペット』とともによくかかっていました。
リスナーの切ない思い出を告白するコーナーのバックに流れていたのです。たしか。
パーソナリティの浜村淳が、しんみりとお手紙を朗読されるんです。
たいていは成就しなかった甘酸っぱい恋の話。
ついに告白できなかった、苦い経験。
「愛情物語」が盛り上げます。

ラジオはいい。
冬こそ、ラジオだなぁ。
冬の季語にしたいくらいだわ。
冬だから、中波放送はDX(遠方の局)が聞こえるのよ。