あたしは、いつかシェーレ(カール・ヴィルヘルム・シェーレ)のことを書こうと思っていました。
彼こそ、化学者の先駆けであり、この人以前は「錬金術師」という、いかがわしい連中が化学と魔術を一緒くたにしていたのです。
もちろん錬金術師を貶(おとし)めるつもりは、さらさらないんですよ。
彼らの「よこしま」な動機から始まった技術の熟練、失敗があってこそ化学が発達したのですからね。

それはさておき、シェーレです。
彼はスウェーデン人ですが、名前はドイツ名ですね。
よく知らないのですが、彼の生まれた故郷はポメラニア(犬種で有名な地方)といい、当時はスウェーデン領だったようです。
シェーレは、1742年12月9日にバルト海に面した海辺の街、ストラルスンド(シュトラールズント)に生まれました。
もちろん今はドイツに属します。

日本でなら、中学生くらいの年頃で、シェーレは薬種商に丁稚(でっち)奉公に出されます。

十四歳の多感な頃に、薬品という、魔術的な商品を扱うお店の手伝いをしたわけですから、興味がわかないわけがない。
病気を治す薬を精製したり、調合するには、当時として最先端の器具が使われたはずです。
わずか十四の男の子は、目を輝かせて、魔術のような薬剤師たちの仕事ぶりを眺めていたことでしょう。
あたしには、その気持ちがよくわかります。
先輩薬剤師の手伝いをするかたわら、器具の扱いにも馴れていき、その後ストックホルムに渡り、独り立ちして自ら薬剤師としての仕事を得ます。
シェーレは、ストックホルムやウプサラで薬剤師の仕事の傍ら、化学物質を、ことに物質の基本となる「元素」のいくつかを発見しています。
このころはまだ「四元素説」が信じられ、この世の物質は四つの元素から成ると言われていました。
四元素とは「火・風・水・土」を言います。

ところがシェーレは実験を重ねるにつれもう一つの元素「フロギストン」の存在を信じます。
訳せば「燃素」となりましょうか?
つまり物を燃やす働きがある元素で、それは気体であるらしい…と。

1771年ごろシェーレは二酸化マンガン(軟マンガン鉱)を濃い硫酸に溶かし、その液を加熱すると気泡が発生し、これを羊の膀胱で作った袋に集めます。
この気体をロウソクの火に吹きかけると炎が大きく燃え上がり、輝きも増しました。
この実験結果から、フロギストンの存在を信じるようになったのです。
彼の結論はこうです。
「濃硫酸から『火の空気』が発生したのだ」

「火の空気」とはいったい何でしょう?
皆さんなら、すぐに「酸素」だと答えるでしょうね。
小・中学校でも行われるシェーレの実験の追試は「酸素の発生の実験」として知られています。
酸素の確認試験として、シェーレのようにロウソクの炎か、または日本人らしく線香の火を使うと思います。
この実験は、マイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』にも載っています。

シェーレはしかし「酸素による酸化」という概念には到達できていなかったんです。
彼は「火の空気」も「濃硫酸」から発生したと考えており、二酸化マンガン(軟マンガン鉱)からではないと思っていたわけですからね。
酸素の発見はしていても、彼は別のこと(脱フロギストン空気)を考えていたからです。
シェーレは二酸化マンガン以外に、危険な酸化水銀(Ⅲ)の加熱や、硝酸塩(硝石)の加熱でも「火の空気」を得ています。

1773年にはこれらの実験からシェーレは、ますます「フロギストン説」を唱えるようになりました。
物が燃えるのは、「フロギストン」が物質から放出され熱に変わり(脱フロギストン)、その熱で「火の空気」が発生して明るい炎を出して燃えるのだというのです。
また、水素と空気の燃焼実験で空気は「火の空気:窒素(?)=1:4(体積比)」だという結論にまで達していたのですが報告書にまとめたのはプリーストリーよりずいぶん後になってしまいました。
だから教科書などでは、酸素の発見者はプリーストリーだとされています。
独学で、たたき上げの化学者シェーレとしては致し方のない事だったのかもしれません。

イギリスのジョセフ・プリーストリーもシェーレと同じような実験を独自に行って、彼は「脱フロギストン空気」を発見し、フランスのラヴォアジェにそのことを伝えていたんですね。
一方で、シェーレもラヴォアジェに「火の空気」のことを手紙で知らせていました。
実は、シェーレは高度な実験器具を持たなかったので、ラヴォアジェにも実験を依頼していたらしいのです。
そんなラヴォアジェとはどんな科学者だったのか興味がつきませんが、それはまた別の機会に…

プリーストリーはすぐに「火の空気」に関する論文を仕上げ、王立協会に報告書を提出しました。
ただ、プリーストリーも「フロギストン説」に拘泥していましたから、酸素を発見しつつも誤解していたのです。
はっきり「酸素」が化合する(酸化する)ことで熱を発生し、時には炎を上げて燃えることに言及したのはラヴォアジェですから、酸素の発見はラヴォアジェだとフランス人は言います。
酸素(oxygène)の命名はラヴォアジェによります。
しかし、ラヴォアジェは「酸素」に関して、自分に手柄があるとは言わずに、ちゃんとシェーレとプリーストリーが自分よりも先に、それも別々に「火の空気」を発見していたことを言及しています。
プリーストリーがいち早く「火の空気」の報文を公開していたから、教科書では彼が「火の空気」、つまり「酸素」の発見者だとしているのも仕方がないのです。

「酸素」の発見につながった、一連の実験と思索の変遷は、シェーレ、プリーストリー、ラヴォアジェの三人がいなければ成り立たなかったと思いますので、三人の業績だと言っていいかと思います。
のちのドルトンに「分子説」へのヒントを与え、「化合」の概念が生まれるのですから、彼らの業績は人類にとってとても重要であると言っても言い過ぎじゃないです。

さらにシェーレは「塩素」を発見しているはずなんですが…
1774年に軟マンガン鉱を塩酸(海塩酸)に浸すとやはり気体を生じましたが、特有の刺激臭がありました。
これを「海の塩」から得られた気体として彼は「脱フロギストン海塩酸空気」と名付けています。
シェーレはこの、今でいう「塩素ガス」にも「脱フロギストン空気」つまり「酸素」が含まれていると考えていました。
この気体が酸素を含まない、まったく新たな気体であることを明らかにした人物は、これより約四十年も後のイギリスのハンフリー・デービーでした。

シェーレはほかにも酒石酸をワインの沈殿物から発見し、ずいぶん後になってフランスのルイ・パスツールがこの酒石酸の結晶には二種類の形があって、それぞれが鏡像関係にある事を見出し、その結晶を顕微鏡で丁寧に分離し、光学異性体という分子の存在を初めて明らかにしたのでした。
さらにシェーレは、ある種の植物から得られるもっとも簡単な二塩基カルボン酸であるシュウ酸、柑橘系の果実に多く含まれるクエン酸、動物の代謝物から得られる乳酸や酪酸などの有機酸を多く発見しています。

蛍石(ほたるいし)という鉱物がありますが、これはフッ化カルシウムの結晶です。
蛍石は日光に当てると蓄光作用で、暗いところで蛍光を発するのでこの名があります。
ハロゲン属の「フッ素」の資源としても重要な鉱物です。
この鉱石を濃硫酸に溶かすと刺激性のフッ化水素ガスを発生し、この水溶液はフッ酸といい極めて強い酸であり、ガラスをも溶かしてしまいます。
こういった一連の実験からシェーレは、おそらく今で言うところの四フッ化ケイ素を発見します。

シェーレは、リンを骨の灰から容易に得る方法を成功させ、アンモニアもプリーストリーに遅れて合成しています。
こういったシェーレの研究はのちの火薬や肥料化学に発展していきます。

シェーレの軟マンガン鉱の研究から先ほど述べた酸素らしき元素の発見に続いてバリウムらしきもの、マンガンらしきものを発見していました。
実は、軟マンガン鉱から酸化バリウムを分離したのは同じスウェーデンの鉱山技師ヨハン・ゴットリーブ・ガーンでしたが、純な金属バリウムを得ることはできなかった。
けれども、ガーンは軟マンガン鉱から酸化マンガンを得、これを石炭で還元して金属マンガンの単離に成功しています。
そして、酸化バリウムの電解還元法により金属バリウムの単体の分離に成功したのは、先に塩素を単離し命名したイギリスのハンフリー・デービーでした。

シェーレは軟マンガン鉱以外に、ヒ酸塩鉱物からヒ酸を分離し、輝水鉛鉱から鉛水土(酸化モリブデン)を分離し、灰重石(CaWO4)から酸化タングステンを分離することに成功しています。
この「モリブデン」の命名はシェーレによるものです。
また酸化モリブデンを石炭で還元して金属モリブデンを単離したのはシェーレの友人、イェルムだったといいます。
シェーレは灰重石(tungsten:タングステン)の命名者でもあります。
これは「重い石」という意味だそうです。

このようにフロギストン説に立ちながらもシェーレとその時代の化学者は「酸化と還元」を実際に行っており、それによって純粋な元素を手にしていたのです。
人類が鉄の精錬を古代より行っていましたが、これもコークスもしくは石炭を用いた酸化還元反応でした。
ただ、どうしてそうすれば純粋な鉄が得られるのかというストーリーは神のみぞ知る状態でした。

ほかにシアン化水素や硫化水素もシェーレが発見したと言われています。

シェーレのこれらの目覚ましい業績のため、多くの大学から招聘の勧誘が彼に届きますが、彼は一介の薬剤師としての仕事を貫き、1762年5月21日に43歳の若さで亡くなります。
どうやら、危険な化学物質に冒されて体を壊していたようです。
一説に、シェーレは化学物質の性質を調べるのに舐める癖があり、それで毒に中(あた)ったのではないかと言われています。
これね、あたしも舐めて「あ、アルカリだ」「これは酸性だね」とやってましたわ。
危ねぇなぁ。

シェーレこそ、錬金術をサイエンスに高めた偉大な研究者だったと言っていい。
また彼と同時代に、ドイツやフランス、イギリスで化学が長足の発展を遂げるのも科学史として興味深いものです。
四元素説から始まるフロギストン説と酸化説は、人々に天動説と地動説のような思索の往還をもたらし、宗教や常識から脱却する機会を与えたのです。

科学とは疑うことだと、改めて認識するあたしでした。
十四歳のシェーレ君、ありがとう。