産油国が貧しいということを真剣に考えることは無駄なことではない。
たいていの人は、石油さえ資源として持っていれば「アラブの大富豪」のような生活が約束されると錯覚している。
実際、産油国は、ほとんど貧困なのだった。
サウジアラビアだって、一握りの王族とその関係者が潤っているだけで、ほかの国民はかなり貧しい生活を余儀なくされている。
アラビアから離れて、ベネズエラに目を向けてみよう。
かつてチャベス大統領というのが治めていたが、この国は南米随一の産油国であるのに、国民は貧困にあえいでいる。
チャベスは貧困撲滅を国民に訴えて大統領選挙に勝利した。
しかし状況は変わっていない。
そして任期中の2013年にチャベスは癌で死んでしまった。

西アフリカのナイジェリアも同じだ。
ここも有数の産油国だけれど、政情不安で危ない国のままである。
その根源は、改善されぬ貧困にある。
1975年から2000年の間に三千億ドル近くも石油の輸出で稼ぎ出しているのに、国民の所得は15%も減少したらしい。
つまり1日1ドル以下で生活する人が1900万人から8400万人にも増えたのだった。

どの産油国も経済を天然資源に頼りすぎていたことが取りも直さず原因である。
これは天然資源に依存している国に相等しい現象だと言える。
だとえばシエラレオネがダイヤモンド鉱山に依存していることから、争いが絶えず戦闘にまみれて難民社会になってしまっている。

これらの国の国民に占める貧困層の割合が圧倒的に多い。

一握りの実力者が鉱脈の利権を得て、その輸出によって莫大な資産を形作る。
しかしその利益が内国の貧困層に分配されることはまずないのである。
人間というものは、富者が貧者に施すという美談は好きだが、それを実践する者は極めて少ない。
「群れ」よりも自己保存を優先するのが、人間の業なのかもしれない。
「群れ」たる国家は、同族によって私物化されるのがオチなのだろう。
ここに高邁な理論はない。
経済がどうの、倫理がどうだの、そんなことは「金塊の山」の前では無力だ。
これらの「有資源国」はなべて民主主義政治から程遠いのも共通だ。
為政者の恐怖政治、武力政治で国がなんとかまとまっている。
ヤクザ社会がそのまま国家になったようなもので、国営マフィアだ。
上納金提供という汚職が彼らを動かしている。

持つ者と持たざる者の間で争いが絶えないのは、今に始まったことではない。
生存競争とまで言われる、経済戦争は倦むことを知らない。
持たざる者が下克上を企て、左翼思想で人心を掌握するも、あらたな軍事国家に様変わりするのである。
なぜか?
憎しみの連鎖が絶たれないからである。
最初は資源の取り合いで、国土を二分し、他国が攻め入り、長いものに巻かれる勢力が利益を分け合い、同族同士が守り合って領地領土がやがて国家となる。

あたしは傍観者として、歴史を俯瞰するときに、そういう「繰り返し」がどの国にもあまねく見られることに興味を覚える。

日本に目を向けてみる。

日本のような資源のない国は、技術革新で立国するほかないと言われてきたし、そう実践してきたことだろう。
日本政府が明治維新以後、列強諸国と対峙するには、富国強兵・殖産興業というスローガンで邁進するほかなかった。
その激しい馬力で突き進むためには中国大陸やアジア諸国からの資源搾取構造がどうしても必要だったのだ。
世界における近代化の黎明時代に、日本はいち早く国是として近代化を推し進めたので、乗り遅れずに済んだし極東という特殊な地勢から唯一、西欧諸国に一目置かれる存在になった。
その陰には、「眠れる虎」と恐れられた清国と、南下政策に血道をあげていた大ロシアに戦いを挑んで運よく勝てたというのが大きく作用している。

資源のない日本が、大陸の資源、インドネシア方面の原油資源を手に入れたことが、その後の道を誤らせるのである。
いったん暴力が使われると、これを止めることは難しい。
同じように搾取体制は簡単には改まらず、吸い尽くすまでそれは行われる。
現地の貧困は固定されたままに。

このように、いち早く経済大国となった先進国は、容易に搾取体制、不平等関係を改善しない。
搾取される国の犠牲の上で、それら大国の経済が成り立って、既得権が成立しているからだ。

現在のTPPやFTPの会議がなかなか合意されないのも同じである。
強者と弱者の関係は、そう簡単には改まらない。
昔のように武力でなんとかさせるということはできにくい世の中にはなったものの、経済戦争はより熾烈になって、血が流されない分、フラストレーションのたまる外交となる。

天然資源を頼りにする国家は、これではいつまでたっても貧困から脱却できないだろう。

それは一大消費国家の日本や中国、アメリカ、ヨーロッパの諸国が「グローバリズム」というまやかしにとらわれず、真に富の分配、搾取の解消を実践しなければ、あたしはこの世から不当な貧困がなくならないと考える。
※参考文献 ジョセフ・E・スティグリッツ『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(徳間書店)