何度も『学問のすゝめ』を引いて心苦しいが、お付き合い願いたい。

この書物の第八編に男女同権への福沢諭吉の提言がある。
「そもそも世に生まれたる者は、男も人なり女も人なり。この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、天下一日も男なかるべからずまた女なかるべからず。その効能如何(いか)にも同様なれども、ただその異なるところは、男は強く女は弱し。大の男の力にて女と闘わば必ずこれに勝つべし。即ちこれ男女の同じからざるところなり」
とある。
この現代では当たり前のことを、封建社会の末期から文明開化の明治期に生きた福沢諭吉は、明朗に言ってのけたのだった。
性別以前に男女は「人なり」である。
同じ人権を持って生まれているのである。
また男女どちらが欠けても世の中は成り立たない。
両性が助け合って、人の世は成立している。
しかし明らかな「性差」はある。
体力は男の方が女に勝る。
そのうえで、両性が互いに必要欠くべからざる存在であることを認識せねばならない。

「女大学という書に、夫人に三従の道あり。稚(おさな)き時は父母に従い、嫁(よめ)いる時は夫に従い、老いては子に従うべしと言えり。稚き時に父母に従うは尤(もっと)もなれども、嫁(か)して後に夫に従うとは如何にしてこれに従うことになるや、その従う様を問わざるべからず。女大学の文に拠(よ)れば、亭主は酒を飲み女郎に耽(ふけ)り妻を詈(ののし)り子を叱りて放蕩淫乱を尽すも、婦人はこれに従い、この淫夫を天の如く敬い尊み顔色を和(やわ)らげ、悦(よろこ)ばしき言葉にてこれを異見(意見?)すべしとのみありて、そのさきの始末をば記さず。さればこの教えの趣意は、淫夫にても姦夫(かんぷ)にても既に己が夫と約束したる上は、如何なる恥辱を蒙るもこれに従わざるを得ず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諫むるの権義あるのみ。(中略)仏書に罪業(ざいごう)深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人(とがにん)に異ならず。(以下略)」
この後も、「妾」の議論では、男より女の方が出生の数が少ないなどの西洋の例を引きつつ、妾を持つことは男の身勝手であり、そういうことを許すと、女はますます貶められ、男の間では不平等が生じ、風俗は乱れると忠告する。
はなはだ至言であるし、耳の痛い殿方も多かろう。

それに「子を産めない女」に対する世間の風当たりの強さにも触れていて、孫を欲しがる父母が嫁に余計な圧力を与えていること、早く跡取りを産むことが嫁の親に対する孝行だという旧弊について再考を促している。
こうした画期的な思想を、「明治一桁(ひとけた)」の時代に早くも諭吉は述べている。

どうやら諭吉は「ちょんまげ」の時代の、若いころから武家社会に不条理を感じていたらしい。
そんでアメリカに渡ったのちに、その平等主義の考えを強くしたのだろう。

「然るに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破って貧困に陥り、気力漸く衰えて家産既に尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、乃(すなわ)ちその子に向かって孝行を責むるとは、果たして何の心ぞや。何の鉄面皮あればこの破廉恥の甚だしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑はソク(女偏に「息」で息子の嫁の意)の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤にして子供の申分は少しも立たず、ソク(息子の嫁)はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるが如く、起居眠食自由なるものなし」
と、息子の嫁に対する義父母の態度に手厳しい。

あたしは、なかなか興味深く読んだよ。
『学問のすゝめ』はずっとこの調子で一気通貫に自由と平等と責任を説くのです。
そして自立する人間とはどういうものなのかを示してくれます。
古い本なのに新しいのは、今の人間が、あたしも含めて諭吉の時代からちっとも成長できていないからでしょうかね。