あたしが機械工に再就職したとき、深井さんというおっちゃんについて仕事を習った。
太鼓腹の職人肌の人で、気難しかったが、こういう現場の人は大なり小なり気難しい人が多かった。
もう十年近く前の話である。

最初の機械組み立ての手伝いは、たくさんのローラーがついた、フィルム加工機だったと記憶している。
重いローラーの据えつけが大変難しく、つらい仕事だった。
スリングベルトで吊り上げ、中心を出しながら軸受にはめ込むんだけど、ステンレスローラーが数十キロと重い。
鏡面加工されたローラー表面に傷でもつけようもんなら、思いっきりどやされるし。
スパナが飛んできたこともあった。
「あほんだら!そんなとこ持ったらいがむ(ゆがむ)やろ。ぼけ!」
あたしは、徒弟(とてい)のつもりで入社したので何を言われても辛抱した。
仕事の流儀は「盗め」である。
「こういう世界なんだ」ということは予(あらかじ)め、覚悟していた。
キャリアもプライドも捨てて、あたしが飛び込んだのだから…

最初は女だということで、仕事などほとんどさせてもらえなかった。
しかし「猫の手も借りたい」時期だったのが幸いして、あたしも「お茶くみ」から「部品手配」「図面複写」「パーツリストチェック」などをこなしていって、まず彼らの独特の「言葉」をものにしていった。
昼休みや休憩時間はなるだけ、深井さんの話を聞き、雑談から吸収していった。
「なおぼん、これは何かわかるけ?」
「じ、定盤(じょうばん)です」
覚えたてで答える。
「そや。定盤でも、こっちの御影石のは石定盤(いしじょうばん)や」
「はあ」
そこには真っ黒な墓石を倒したようなものがあった。
なんでも、黒御影(くろみかげ)という硬い石を丁寧に磨いて平面を出している、基準面になる定盤だそうだ。
普通の定盤は鉄の塊を磨いて、表面を、きさげて基準面とするもので卓上のものから、テーブルぐらいの大きなものまで存在する。
平らに見える定盤の表面は「きさげ」といって、きさげ師という匠(たくみ)が刃物で引っ掻いて凹凸をつけ、磨いてある。
反対に石定盤は鏡面に磨いてあった。
「なんで、鉄の定盤は、きさげをしてあるかわかるけ?」
「きさげで凹凸をつけとかんと、磨いた面同士がくっついて摩擦になるからです」
「そうや。しかし石定盤には、きさげはされてない。なんでやと思う?」
これは、難しい…あたしはしばらく考えた。
曲がりなりにも、あたしは博士号を持っているのである。
何かしら「良い答え」を思いつかないか?
「それは…おそらくですよ、石は硬くてもろいので、きさげると細かく割れやすいからやないですか」
「さすがやな」
煙たそうに自分の咥えたタバコの煙に目を細めながら、深井さんはニタリと笑った。
「きさげの鑿(のみ)で、こんな石を傷つけたら、粉がいっぱい出て、面が荒れるだけや。上に重量物を乗せて滑らせたら、もうぼろぼろになる。合格や」
あたしは、深井さんから及第点をもらったようだ。
そうやって、少しずつ機械や工具のことを覚えていった。

機械工にはおなじみの治具に「スコヤ」とよばれるものがある。
直角を正確に出したり、調べたりできる金属でできた器具である。
ぺったんこのL字型のスコヤと「台スコ」と呼ばれる「台付スコヤ」がある。
スコヤは金属製の定規だと考えればいい。
同様のものに、大工の使う指矩(さしがね)がある。
あたしたちも指矩をつかうが、スコヤのほうが使用頻度は高い。
さっきの定盤とスコヤは対で使うことが多い。
定盤の面が基準で、信頼できる平面をつくってくれている。
この上に台スコを立てると、そこに直角が生まれる。
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 この写真は定盤ではなく装置のベース板の上に立てた「台スコ」である。
ベース板もフライス加工によって、そこそこの平面が出ており、この上に装置を乗せていくが、一応の基準面となる。
ベース板に「きさげ」加工をフライスでつけることもよくある。
台スコの面はすべて磨かれており、直角の(垂直の)基準となるのである。
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台スコはこういったしっかりした箱に入っていて、検定書が添付されている。

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これは普通の「板スコ」である。
会社から支給される個人の工具箱に必ず入っている。
指矩(さしがね)としても使えるが、簡単には、次のように棚の歪みを見ることができる。
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このように棚板にスコヤを立てて、柱に沿わすと、この通り、隙間ができ、直角に組み立てられていないことがわかる。
棚ぐらいなら、ゆがんでいても使えるが、機械装置でこんなに隙間が空くようでは許されない。
ほかに建物など、巨大な物の直角もしくは垂直を見るには「下げ振り」という道具を使う。
錘(おもり)の付いたタコ糸を上から垂らして、その糸に沿って柱を組みつけるのだ。
大工が家を建てるのにもよく使われる。

「スコヤ」とは「スクエア(正方形)」の訛ったものだと、深井さんに教わった。

機械組み立てで「けがき」という作業がある。
部材に傷をつけて、穴あけなどの目印にすることを「けがく」というのだ。
これも定盤の上で行うことが多い。
たとえば、板材に水平に数か所ネジ穴を開けたいとする。
辺から内側に100㎜の場所に三つ、直径3.1㎜の穴を開けたい場合、定盤から10㎜の高さに「ハイトゲージ」か「トースカン」を立てる。
あたしは「ハイトゲージ」でやるんだけど「トースカン」という「ケガキ針」を柱に取りつけた道具でも同じだ。
「ハイトゲージ」は垂直の柱に摺動するデジタルスケールが取り付けてあって、上下にスケール動くようになっている。
つまり定盤にハイトゲージを乗せると定盤面からの高さが正確に測れる装置なのだ。
このハイトゲージには「くちばし」がついていて、これは超硬性のステンレスでできていて「けがく」ことができる。
定盤から100㎜にデジタルゲージを合わせ、そのまま板材に「くちばし」の角を押し当てて、定盤の上をハイトゲージを滑らせるのよ。
すると、定盤面に平行に高さ100㎜のところを一直線にケガキ線が彫れる。
こんどは、板材を90度回して立てて、下からハイトゲージで100㎜、150㎜、200㎜に同じようにけがいて、交点をつける。
トースカンなら、板材を回さなくても、垂直にケガキ針が動かせるのでそのまま交点をつけられるんだけど。
※トースカンはけがき専門の工具なので、けがくための筆記具をいろいろ取り付けられる。鉛筆はもとより、ダイヤモンドペンなんかも取り付けられる。

このけがいた交点をボール盤の3.1㎜径のドリルで穿つのよ。
ドリル先端が食い込みやすいように、交点にポンチを打つのも忘れずにね。

あたしは約1年くらい工場でこういうことをやっていた。
化学工場で働いていた時とは180度も違う職場だった。
試験管やフラスコではなく、ノギスや六角レンチが仕事道具になった。
でも、モノづくりの現場には違いはなかった。

タバコ臭く、切り粉だらけで、油まみれの作業場だけど、馴れれば楽しい。
「重い、固い」は、頭を使ってやりとげる。
組立、組み付け、バラシは「やみくも」がいけない。
かならず、パズルのように順番がある。
あとで手が入らなくなって、途方にくれないように、ぱっと見て判断しなければならないのだ。
そのためには図面を読み込まなければならない。
二次元で表現されたものが三次元に頭で組み立てられないと、思わぬポカをやってしまう。
あたしのもっとも苦手とするところだ。

男も女も、オネエも関係ないのが現場である。
性別ではなく、丁寧で、手の早い者が勝つ世界だった。