旅館「鳥海」をチェックアウトして、私は雪の街に出た。
雲は低く垂れこめ、雪は小止みだが、かなり寒い朝だった。
このあたりの小学生の冬休みは長いと聞いているので、子供たちはまだ往来で雪かきの手伝いなどをしながら遊んでいる。

私は羽越本線遊佐駅でタクシーをつかまえ、車を鹿野沢に向けさせた。
「お客さん、一人旅ですかい?」
運転手が、しばらくして口を開いた。
「ええ」
「どこから?」
「京都」
「へぇ、こりゃまた遠いところから」
運転手は、かなり驚いた声をあげた。
「鹿野沢にはお知り合いでも?」
「古い友人がいましてね、一度遊びに行こうと」
「この辺は、ようござんすよ。鳥海山の一の宮がありましてねぇ」
「いちのみや?」
「へえ、お正月の初詣は、大物忌(おおものいみ)神社と決まっとります。この辺では」
雪道を軽やかにハンドリングしながら運転手は話す。
雪道

「このあたりが鹿野沢になりますが、どのあたりにお着けしましょうか?」
「運転手さん、西村俊章(としあき)という老人のいらっしゃるお宅はご存じないですか?」
「ああ、西村家ですか、上の家(かみのや)の」
「よく知らないのですが、そこに友人がご厄介になってるようで。ここなんですよ住所」
そう言って私は柏木からもらった年賀状を差し出した。
「ええ、ええ、わかります。この坂を上り切ったところですな」
そういうと、ハンドルを切って、ぐいぐい急な坂を上って行った。
「あすこがね、天狗森といって西村さんの山ですだ」
運転手の指す方向に、木々が雪に覆われた小山が見えた。
「かなり山深いですね」
「ここらは、みんなこんなもんですよ。はい着きました」
私は料金を支払って降車した。
坂を下るタクシーを見送って、目の前の門構えを見上げた。
「こりゃ、りっぱだわ」
呼び鈴を鳴らす。
「はい」
インターホンから女性の声がした。
「わたくし、柏木さんを訪ねてやってきました横山と申します」
「はぁ、少々お待ちを」
そういって、インターホンが静かになった。

しばらくして門扉が開き、なつかしい柏木勝が顔を出したのだった。
「姐さん…驚いたな」
「ご無沙汰してます。年賀状をいただいたんで、思い切って来ちゃった」
「まあ、中へ、入って。さあ」
相好を崩して着流しに毛皮の半纏を羽織った柏木が、私を招じ入れてくれた。

囲炉裏端に通された。
黒光りした床や柱が北国を象徴しているようだった。
囲炉裏

囲炉裏には鉄瓶が自在鉤に引っかけられて、湯気をしゅんしゅんたてている。
「さ、姐さん、ここに座って」
「ありがとう」
すると、奥から七十くらいの女性が茶器を持って入ってきた。
「こちら、おれの義理の母、ふくみさん」
義理の母?私は怪訝に思った。
そうして、彼女の方に向き直って、今度は、
「こちら、あっしが京都で極道やってたときにお世話になった姐(あね)さんで、横山尚子さんです」
と柏木が紹介してくれる。
「すみません、突然、おじゃまいたしまして」
私はぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、こんな田舎によう、お越しくださいました。なんもござんせんが、ゆっくりしていってくださいな」
「ありがとうございます。これつまらないものですが、京都のお菓子です、みなさんで召し上がってください」
手土産の「雲龍」を差し出して、私も丁重におじぎした。
「これはこれは、お気遣いをいただき、相済みません。とにかくおくつろぎになってくださいな」
ふくみさんも菓子包みを押しいただくようにして、深々と額づいた。

私は、想像していたこととかなり違っていることにとまどっていた。
柏木は結婚していたらしい。
つまりはここは柏木のお嫁さんのお宅だということだ。
ふくみさんが下がって、柏木と二人きりになったので、私は訊いてみた。
「結婚してたなんて知らなかった」
「ああ、姐さんには言ってなかった…娘もいるんだ。今は友達の家に遊びに行っていないけれど」
「奥様は?」
「亡くなったんだ」
「え?」
「そうさな、四年ほど前だったかな、子宮頸がんでね。手遅れだった」
四年前と言えば、琴平会がガサ入れを受けて、蒲生会頭以下幹部が特殊詐欺で挙げられたころだ。
万の悪いことに北朝鮮への不正輸出の廉で罪が上乗せされてしまった。
柏木は逃げてそのままここへ転がり込んだのだろう。
「娘と嫁と三人で京都から逃げてきた。そしたらここで急に嫁の加奈子が倒れたんだ」
「へえ」
「手遅れだった。三か月持たなかったな」
囲炉裏の炭を火箸で寄せながら、しんみりと柏木は話した。
そこへ、女の子が元気に帰ってきた。
「ただいまっ!」
小学校高学年くらいの黒目勝ちの可愛らしい子だった。
「お客さん?」
「挨拶しろ、真帆」
「こんにちは」
その子は、ぺこりとおじぎした。
「はじめまして、私、横山と言います。お父さんの古いお友達なの」
真帆という、その子は柏木に照れくさそうにもたれかかって、あたしを見ている。
「さ、真帆はあっちいってなさい」
「はぁい」
続いて、恰幅のいい、ふくみさんと同年齢くらいの男性が玄関から入ってきた。
「オヤジさん、お帰りなさい」
「おう」
オヤジさんと呼ばれたその男性こそが「西村翁」と柏木が年賀状に書いていたこの家の主、つまり義父になる。
「こちらは?」
「おれが、京都でやんちゃしてたおりに世話になった姐さんです」
「横山尚子と申します。この度は突然お邪魔いたしまして、ご無礼いたしました」
「いやいや、そうでしたか」
雪だらけの長靴を難儀して脱いで、框(かまち)を上がってきた西村翁だった。
「こいつが、なにかとご迷惑をおかけしたんじゃろ。なにせ、はぐれもんですからな。はっはっはっ!」
豪快に笑い飛ばして、翁は囲炉裏端にどっかと腰を下ろす。
すると待っていたかのように、ふくみさんが酒の膳を奥から持ってきた。
「あなた、お昼に御酒を召し上がるでしょう?」
「おう。なおこさんもどうじゃ。いけるんじゃろ?え?」
「ええ、まあ」
「勝(まさる)、十四代(じゅうよんだい)を持って来い」
「へい」
じきに、囲炉裏に鍋がかけられ、寒鱈汁がふるまわれた。
赤カブの柿酢漬けやら、たくあん、青菜など京都に負けないくらいうまい漬物がありがたかった。
『十四代』なる銘酒もまろやかで盃が進んだ。