「電磁波を受けると抵抗値が低くなって通電するデバイスがコヒーラですよ」
三回生のあたしは、電磁気学の後期課程を受講していた。
砂田助教授が丈の短い白衣を着て、黒板にコヒーラの絵を描いた。
なんともへたくそな絵で、ソーセージに串を通したような図を彼は仕上げたのだ。
「この筒はガラスでできとります。ほんで、中に金属の粉が電極間に封じてあるんです。ここにね」
白墨でそのあたりをトントンと叩いて示す砂田先生。
「このガラス管の両端から電線をだして、片方を接地、片方をアンテナにつなぐのね。こうかな」
あたしは、この「コヒーラ」について、マルコーニの実験で知った。
彼の用いたものはコヒーラの中の金属粉の代わりに水銀を用いたもので、どうやら他人のアイデアを盗んで自分の業績に使ったらしいと、あとで暴露されたんだった。
この水銀コヒーラは、鉱石ラジオの方鉛鉱式鉱石検波器を発明したチャンドラ・ボースの発明の一つらしい。
ボースは、マルコーニに盗用されたことを知っても、気にもせず、人類にとって大切なのは発明者でなく発明そのものなのだと、マルコーニの電信技術を称えたという。
そういうことをアマチュア無線関係の雑誌かなんかで読んだことがあった。
「現在のラジオは検波回路の前に同調回路がありますが、このころのものはありません。固定周波数で通信することが前提だったんですね。アンテナからいきなり検波回路のコヒーラに信号を導きます」
ぼやっとしているうちに、教授は複雑な回路を黒板に書き足している。
独り言のようにつぶやきながら、その「絵画」を修正して仕上げている。
彼の説明によると、コヒーラだけでは検波作用しか得られないが、それはダイオードのような働きをするからだという。
つまり、電磁波の入感で電気が流れたり、感度が無くなると抵抗値が高くなって回路が切断される、半導体スイッチのように働くからだということだった。
初期の通信型受信機にはコヒーラが検波回路に使われていた。
後に、もっと簡便な鉱石検波器(点接触やショットキーダイオードの原型)が家庭用ラジオに使われるようになった。
あたしの祖父などは、まさにその世代で、たしか高安の物置に古い鉱石ラジオがあったと思う。
従弟の浩二が、乾電池のような鉱石検波器の容器をばらばらにしてしまったと記憶している。
「コヒーラにはデ・コヒーラがあってですね、コヒーラが検波して抵抗値が下がった状態をコヒーアと言ってややこしいんですが、このコヒーアの状態は解除するまで不可逆なんです。解除することをデコヒーアといって、これまたややこしいですが、しかたがない…」
どうやら、教授の説明を要約すると、コヒーアをデコヒーアするためにコヒーラにショックを与えるんだそうだ。
わけわかりません。
簡単にデコヒーアするには、コヒーラのガラス管を叩けばいい。
それを回路に組み込むなら電磁石でトンカチをオン・オフするようにすればいい。
いわゆる「ブザー回路」とか「リレー」みたいなものだ。
コヒーラとデコヒーラが一つになったデバイスが「コヒーラ」なのだった。
実は、チャンドラ・ボースが発明したコヒーラは金属粉の代わりに水銀を使ってデコヒーラ不要にした優れものだったのだ。
グリエルモ・マルコーニが盗用したくもなるわね。
初期の電信機は送信機からの電波で、受信機のコヒーラをコヒーア(ON)・デコヒーア(OFF)させることで、モールス符号を復号させ印字させていたんだね。
まったく遠隔操作で離れた受信機のスイッチ回路の開閉を行ったのよ。
すばらしい技術ですね。
「このコヒーラの原理は、長らく不明でしてね」
教授が、あたしたちのほうに向き直って、一息ついた。
「トンネル効果を持ち出さないと説明できないんですよ」
ほう…江崎玲於奈だな。
「そこのテキスト236ページにあります、ショットキーバリアダイオードの説明で、障壁とありますが、この障壁の厚さがトンネル効果を起こすほど薄いのです。コヒーラのどこにそんな障壁があると思いますか?」
※ショットキーは人名。ドイツ人物理学者のヴァルター・ショットキーに因む。ジーメンス社で四極管を発明した博士である。
そうなのだ、そこが長年の謎だったのだ。
金属粉コヒーラで説明すると、その微小な金属粉同士が隣り合う時に接触している面積がすなわちこの障壁程度の小ささらしいのだ。
金属粉の表面を拡大すると、そこには酸化被膜というさらに薄い絶縁部分に覆われて接触していることがわかる。
この絶縁障壁をくぐり抜ける電子がトンネル効果である。
ポテンシャルの壁を超えるのには相当のエネルギーを要するところ、トンネル効果によって電子はいとも簡単に障壁をすりぬけるのだった。
こうして、コヒーラの抵抗は小さくなって通電する。
「この金属酸化物の被膜は電界効果トランジスタにも使われていますが、たくさんの格子欠陥があるわけです。トンネル効果をきっかけにして、格子欠陥に電子がつぎつぎに雪崩のように落ち込むことで、大量の電子が流れてスイッチがオンになるわけですね」
なるほど。アバランシェ効果のことかな?いやいやこの場合はツェナー現象じゃないかな?
時間が来たので、砂田教授は教科書を閉じ、後期試験の範囲を少し話してくれた。
コヒーラは現在も避雷器などに形を変えて使われているそうだ。
一時期、遠隔操作(ラジコン)のおもちゃに使われたことがあったので知っている人もいるかもしれない。
ニコラ・テスラがマジソン・スクエア・ガーデンでコヒーラをつかった船の模型を遠隔操作して見せたのが、ラジオコントロールの始まりだった。
あたしはエジソンよりテスラのほうが頭がよかったと思っている。
テスラはエジソンが数学を全く理解しないので、頭にきて、エジソンの会社から出てしまったらしいから。
「数学の話を聞くと、さぶいぼが出る」とは発明王エジソンの言葉である。
三回生のあたしは、電磁気学の後期課程を受講していた。
砂田助教授が丈の短い白衣を着て、黒板にコヒーラの絵を描いた。
なんともへたくそな絵で、ソーセージに串を通したような図を彼は仕上げたのだ。
「この筒はガラスでできとります。ほんで、中に金属の粉が電極間に封じてあるんです。ここにね」
白墨でそのあたりをトントンと叩いて示す砂田先生。
「このガラス管の両端から電線をだして、片方を接地、片方をアンテナにつなぐのね。こうかな」
あたしは、この「コヒーラ」について、マルコーニの実験で知った。
彼の用いたものはコヒーラの中の金属粉の代わりに水銀を用いたもので、どうやら他人のアイデアを盗んで自分の業績に使ったらしいと、あとで暴露されたんだった。
この水銀コヒーラは、鉱石ラジオの方鉛鉱式鉱石検波器を発明したチャンドラ・ボースの発明の一つらしい。
ボースは、マルコーニに盗用されたことを知っても、気にもせず、人類にとって大切なのは発明者でなく発明そのものなのだと、マルコーニの電信技術を称えたという。
そういうことをアマチュア無線関係の雑誌かなんかで読んだことがあった。
「現在のラジオは検波回路の前に同調回路がありますが、このころのものはありません。固定周波数で通信することが前提だったんですね。アンテナからいきなり検波回路のコヒーラに信号を導きます」
ぼやっとしているうちに、教授は複雑な回路を黒板に書き足している。
独り言のようにつぶやきながら、その「絵画」を修正して仕上げている。
彼の説明によると、コヒーラだけでは検波作用しか得られないが、それはダイオードのような働きをするからだという。
つまり、電磁波の入感で電気が流れたり、感度が無くなると抵抗値が高くなって回路が切断される、半導体スイッチのように働くからだということだった。
初期の通信型受信機にはコヒーラが検波回路に使われていた。
後に、もっと簡便な鉱石検波器(点接触やショットキーダイオードの原型)が家庭用ラジオに使われるようになった。
あたしの祖父などは、まさにその世代で、たしか高安の物置に古い鉱石ラジオがあったと思う。
従弟の浩二が、乾電池のような鉱石検波器の容器をばらばらにしてしまったと記憶している。
「コヒーラにはデ・コヒーラがあってですね、コヒーラが検波して抵抗値が下がった状態をコヒーアと言ってややこしいんですが、このコヒーアの状態は解除するまで不可逆なんです。解除することをデコヒーアといって、これまたややこしいですが、しかたがない…」
どうやら、教授の説明を要約すると、コヒーアをデコヒーアするためにコヒーラにショックを与えるんだそうだ。
わけわかりません。
簡単にデコヒーアするには、コヒーラのガラス管を叩けばいい。
それを回路に組み込むなら電磁石でトンカチをオン・オフするようにすればいい。
いわゆる「ブザー回路」とか「リレー」みたいなものだ。
コヒーラとデコヒーラが一つになったデバイスが「コヒーラ」なのだった。
実は、チャンドラ・ボースが発明したコヒーラは金属粉の代わりに水銀を使ってデコヒーラ不要にした優れものだったのだ。
グリエルモ・マルコーニが盗用したくもなるわね。
初期の電信機は送信機からの電波で、受信機のコヒーラをコヒーア(ON)・デコヒーア(OFF)させることで、モールス符号を復号させ印字させていたんだね。
まったく遠隔操作で離れた受信機のスイッチ回路の開閉を行ったのよ。
すばらしい技術ですね。
「このコヒーラの原理は、長らく不明でしてね」
教授が、あたしたちのほうに向き直って、一息ついた。
「トンネル効果を持ち出さないと説明できないんですよ」
ほう…江崎玲於奈だな。
「そこのテキスト236ページにあります、ショットキーバリアダイオードの説明で、障壁とありますが、この障壁の厚さがトンネル効果を起こすほど薄いのです。コヒーラのどこにそんな障壁があると思いますか?」
※ショットキーは人名。ドイツ人物理学者のヴァルター・ショットキーに因む。ジーメンス社で四極管を発明した博士である。
そうなのだ、そこが長年の謎だったのだ。
金属粉コヒーラで説明すると、その微小な金属粉同士が隣り合う時に接触している面積がすなわちこの障壁程度の小ささらしいのだ。
金属粉の表面を拡大すると、そこには酸化被膜というさらに薄い絶縁部分に覆われて接触していることがわかる。
この絶縁障壁をくぐり抜ける電子がトンネル効果である。
ポテンシャルの壁を超えるのには相当のエネルギーを要するところ、トンネル効果によって電子はいとも簡単に障壁をすりぬけるのだった。
こうして、コヒーラの抵抗は小さくなって通電する。
「この金属酸化物の被膜は電界効果トランジスタにも使われていますが、たくさんの格子欠陥があるわけです。トンネル効果をきっかけにして、格子欠陥に電子がつぎつぎに雪崩のように落ち込むことで、大量の電子が流れてスイッチがオンになるわけですね」
なるほど。アバランシェ効果のことかな?いやいやこの場合はツェナー現象じゃないかな?
時間が来たので、砂田教授は教科書を閉じ、後期試験の範囲を少し話してくれた。
コヒーラは現在も避雷器などに形を変えて使われているそうだ。
一時期、遠隔操作(ラジコン)のおもちゃに使われたことがあったので知っている人もいるかもしれない。
ニコラ・テスラがマジソン・スクエア・ガーデンでコヒーラをつかった船の模型を遠隔操作して見せたのが、ラジオコントロールの始まりだった。
あたしはエジソンよりテスラのほうが頭がよかったと思っている。
テスラはエジソンが数学を全く理解しないので、頭にきて、エジソンの会社から出てしまったらしいから。
「数学の話を聞くと、さぶいぼが出る」とは発明王エジソンの言葉である。